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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

公明党代表・山口那津男が集団的自衛権の行使を容認

公明党代表・山口那津男がついに集団的自衛権の行使を容認した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014062702000140.html

集団的自衛権 公明代表が行使容認 歯止めの確約ないまま

 公明党の山口那津男代表は二十六日夜のNHK番組で、憲法解釈を変更し、他国を武力で守る集団的自衛権の行使を限定的に認める考えを表明した。山口氏が容認に言及したのは初めて。執行部で解釈改憲に慎重だった山口氏が転じたことで、集団的自衛権に関する自民、公明両党の与党協議は近く合意する方向になった。政府は合意の後、速やかに解釈改憲を閣議決定する方針だ。専守防衛に徹してきた日本の平和主義は大きな転換点を迎える。

 山口氏は番組で「政府が国民の権利を守ろうとする場合には(自国を守る)個別的自衛権に近い形の集団的自衛権であれば、一部限定的に容認して国民を守り、国の存立を全うすることは許される余地があるのではないかと考えるようになった」と明言。「安全保障環境が大きく変わってきている」と理由を述べた。

 与党協議で議論している「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」など、武力行使を認めるための新たな三要件については「『明白な危険』は客観的な概念だ。歯止めが利いている」と強調。閣議決定案概要の修正案が「自衛の措置」と位置づけたことも指摘し「二重三重の歯止めが利き、拡大解釈の恐れはないと思っている」と述べた。

 自公両党は二十七日、十回目の与党協議を開催。政府から正式な閣議決定案の提示を受け、公明党は持ち帰る。

 公明党は二十八日、全国の地方組織幹部を集めた会合を開催し、執行部は閣議決定案を説明する。容認への理解を求め、週明けに執行部が一任を取り付ける方針だが、党内には慎重論が根強い。政府・自民党は公明党との与党合意に達すれば、七月一日にも解釈改憲を閣議決定したい考え。

<解説> 公明党の山口那津男代表が二十六日、集団的自衛権の行使容認に転じた。山口氏は武力行使のための新たな三要件について「二重三重の歯止めが利き、拡大解釈の恐れはない」と言い切った。しかし、既に自公間で集団的自衛権の行使として認められる活動の内容や範囲をめぐって食い違いが生じているように、時の政権が都合よく解釈できる余地を残していることは明らかだ。

 公明党は集団的自衛権の行使容認に一貫して反対の立場を取ってきた。山口氏は昨年七月、「断固反対」と明言。今年四月には、解釈改憲という手法を「憲法の精神にもとる」と批判し、長く維持されてきた政府見解を閣議決定で覆そうとする安倍晋三首相をけん制していた。

 山口氏としては、安倍首相が解釈改憲に強い意欲を示していることを踏まえ、連立政権の維持を優先したとみられる。しかし、結党から五十年にわたって掲げてきた「平和の党」の看板を傷つけ、安倍政権の「ブレーキ役」を期待した国民を失望させるのは間違いない。

 山口氏はこれまで、戦後の安全保障政策の大転換につながる集団的自衛権の行使容認には、国民の理解が不可欠だと主張してきた。だが、各種の世論調査では依然、反対が多い。党内にも異論が根強い。党内の意見集約をする前に、執行部だけで決められる性格の問題ではない。 (生島章弘)

(東京新聞 2014年6月27日 朝刊)

1999年の自自公連立政権発足以来見慣れた光景が、また繰り返された。1999年に自自公の「数の力」をバックに小渕恵三と小沢一郎と公明党が好き勝手をやり放題にして「専守防衛に徹してきた日本の平和主義」を「大き」く「転換」させようとしてきたことを思い出せば、公明党執行部にとって選択肢はただ一つしかなかったことは自明だ。

そんな公明党に期待するのは、集団的自衛権行使容認の最大の立役者である小沢一郎に期待するのと同じで、あまりにもナイーブ(=お馬鹿)に過ぎたのである。聞こえているか、「リベラル」諸賢たちよ。

1999年の連立が最初から「自公」ではなく「自自公」でスタートした(もちろんその前に「自自」連立があった)のには理由がある。公明党の市川雄一と「一・一コンビ」なるコネクションを持っていた小沢一郎をブリッジに自民党と公明党を組ませようというのが仕掛け人(ナベツネ=読売の渡邉恒雄=ともいわれている)の意図だった。そして自自及び自自公連立政権で小沢一郎が一番やりたかったことは集団的自衛権の行使容認だった。

民主党政権時の党内権力抗争を見ればわかるように、小沢一郎とは権力抗争を生き甲斐にする人間で、政権にとっては権力基盤の不安定要因になるから、小沢はほどなく連立政権から排除されたが、小渕が小沢を弾き出した手段が「集団的自衛権行使を容認しない」ことだった。しかし、それは小沢を排除するための口実に過ぎなかった。だからこそ小沢一郎は小渕恵三を「実質的に殺したも同然」と評されるほど激しく詰ったのかもしれない。そして小沢の野望は、小沢が連立から弾き出されて14年後、安倍晋三と公明党によって達成される。

安倍晋三は言わずもがなだが、小沢一郎と公明党執行部の罪も万死に値する。そしてそんな小沢や公明党に期待をかけた人たちの責任もまた重い。