真女神転生4

真・女神転生IV (2013年5月23日発売) - 3DS

アトラス倒産。
 ITmedia ニュース http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1306/27/news117.html
倒産ではないしアトラスでもなく
インなんとかさんの粉飾決算は腹黒どころか普通に犯罪で
汚いさすがネット関係の虚業会社きたない、
とかそういう細かいことはいいんである。
新作を発売日に新品で買った以上に出来ることはないのです。
どこの誰が作ろうと面白ければ良いのであります。
今回も一ヶ月と少し、二周半ほど充分楽しませていただきました。
さすがに『ソウルハッカーズ』続けて遊んだので
悪魔合体は当分いらない感じではありますけれども。




伝統の女神転生シリーズ最新作。
『ドラクエ9』とか『マザー3』のように携帯ゲーム機に移って登場。
手元の小さな画面に収まるみためであり
『FF』シリーズのように「無駄に手間をかけている」と
私に書かれたりしないけれど、寂しくはあります。
東京マップは東京のひとでないとわからない貧相さで
通行できないのも違和感ありあり。
昔は良かった、ような気がするようなそうでもないようなですが
でもあまり変わってないか。
手間暇かけて広大な立体舞台をつくれば良いものでもないし
ゲームとしての規模が保てればみための大きさは許されるけれど
残念には感じます。


PS2で10年前の2003年発売『真女神3』。
4年前の2009年にDSで出た外伝扱いの前作『ストレンジジャーニー』。
それぞれの流れを受けたつくり。
「デビルサマナー」「ペルソナ」「デビルサバイバー」と
「真」のつくシリーズの違いは
多分お話の壮大さにあるのだと思われます。
悪魔がいて魔法があるのだから
人間に良いように利用されているだけでなく
悪魔のみなさま側におかれましても
人間を良いよう利用しようとするのも当然なはず、というお話。


娯楽作品分類としてはSFのようなものであり
現代風の東京などを舞台に悪魔が暴れて核戦争で人類瀕死。
そんな中で、見ているだけのわれわれと同じく
波乱万丈の大冒険眺めるを好むトリックスターの思惑とか
いろいろあって主人公はその舞台ふらふらさまようのである。
絶対の神が定める秩序に従うのか、
這い寄る混沌の誘惑に流されるのか、
どちらも選ばないのか選べないのか、
果たして人類の行末如何に。
主体性のない私にはみていることしかできない壮大なお話です。


その希有壮大な意気込みはとても買われるけれども
結果としてできあがったお話筋書き満足度合いはまちまち。
別段『女神転生』だけがどうこうでなく
選択肢を選んでお話が分岐するゲームのだいたいにおいて言えることで
「どれも選ばない」も含めて、
選びたい選択肢がない場合のもどかしさ。
選んだ選択肢が何であったか忘れさせてくれない堅実さであり
曖昧な舞台役者たちの態と世界創造者が掌の広さに限りあることとと。


他の表現手段、小説とかマンガとか映画とか絵画とかTRPGとかだと
行間や幕間や画面の外に省略され描かれていないところまで
ゲームの場合みえていなくてはならないからかも知れない。
見えている範囲は行けることが価値に成り得る事もあるくらいである。
といように擁護したくもなるけれど
実際のところ壮大すなわち素材が何でもありすぎて
見ているほうが想像する範囲に収拾付かないようである。
新皇も何を恨んでいるのかさっぱりである。
といって、こじんまりでもきっちり首尾一貫しているのでは
26年にも渡って広げてきた風呂敷に見合わないのだ。
ざっくり見ているこちらに余地を投げかけても良いかもしれないけれど
その場合はシリーズ個々のつながり弱さが残念。
外伝の『ストレンジジャーニー』はあれで良かったのだし
今作も説明過剰でなくスルメな味わい。
みためふくめてもう一歩全体像が惜しかったという印象であります。




シリーズ続編であるゲームとして変わったところは
メニュー画面が開けるならどこでもセーブでき
悪魔合体もできるようになったこと。
そして主人公が戦闘不能になっても即全滅とならず
仲魔が頑張ってくれるようになったこと。
既存作における人間パートナーみなさまの立場なし。


メニュー画面でセーブロード仲魔造成まで出来るとなると
あとは買い物も出来れば「街」や「拠点」の必要がなくなります。
管理するバロウズちゃんは無茶苦茶優秀で
固定敵のいる直前ではかならず警告、
言葉の通じない悪魔とは通訳、自動弱点選択戦闘機能搭載、
主人公の経験値増幅までと、なんでもかんでもいたせりつくせり。
悪魔合体のスキル継承も含めて過去最高性能。
検索合体も今までのゲームの外にあった攻略本は
なんだったんだってな便利さです。世界が狭く感じるくらいに。
いやさ、ここまでしてくれるとなるとでは、今度次逆に言わば、
なぜいままではこうでなかったのか、
なぜ買い物はメニュー画面でできないのか、と思うわけなのです。
なんでなんだぜ。
もうバロウズちゃんさえいれば誰も何もいらなくなくないんでないか。
バロウズアプリに『真女神転生4』を入れれば完結するのはないか。


ゲームにおいてセーブがいつでも出来るわけではないのはなぜか。
例えば、なぜ本作においても戦闘中やイベント中はセーブできないか。
ひとつには詰まりの防止。
どんな手段を取ろうとも敗北が確実な状態で
セーブしてしまうとまずいから。
何がまずいかというと、「ふりだしに戻る」は楽しくないことが多く
楽しかった思い出になることもあるけれど
その場合は「ふりだしに戻る」理由に理不尽さを感じさせる要件を
わずかも満たしてはいけなくなってしまうからである。
ミスはある。なくとも二度目なら対処できる場合もある。
それを解いていくのが、
戦闘を繰り返す種のRPGと分類されるゲームというものの多くに見られる
ゲームと呼ばれる部分だからして。


他には、そういうものだと思っている、というより
思ってみないからではなかろうか。
なぜ敵を倒すとレベルが上がって強くなって
事件を解決できるようになるのか。
それがゲームというものだからである。
ゲームは娯楽であって暇つぶしであり
人生と同じく意味を求めても答えは無い。だからなのでは。


バロウズちゃんがいても、敵として悪魔が出現してくれなければ
主人公は生きていけないのである。
同様にその世界は、さまざまな理由で、
主人公に「ここは豊島区の村です」と何問われようと答えることとかで
生きているひとたちで出来ているのだ。だってゲームだし。
いやゲームとしての部分を問題にしているのでしょう
メニューとかセーブとか。


そういうわけで今回は主人公に呪殺耐性必須でなくなっただけ
ゲームとして拡がったのである。
いままでも出来だけれど、今回に出来るようになったのだ。
どこでもセーブできるようになったのです。
携帯ゲーム機だからだろうか、きっかけは何であるかを
存じ上げないけれども
大切なのは出来るけれど出来るようにしていないことの中から
何に気付いてどれを選んでゲームを、
ゲームのみためやそこに載せるお話を作っていくかである。


秩序や混沌、光と闇、賢さ愚かしさというような尺度だけで
測りきれるなら簡単だけれど、
喜ばしいことに、ものごと世の中そう単純でもない。
全体の収拾帰結を、みているほうの手でも広げられるように閉じるのは
容易なことではないけれど
そこが面白いのだし、興味深く見ているこちらも楽しいはずである。
RPGというのは大体すでに充分わりと良く出来上がっていながら
まだまだ味わい応えある代物であると感じさせてくれる
良いゲームでした。