『ゴーストトリック』

 ゴースト トリック
 公式サイト http://www.capcom.co.jp/ghosttrick/

・主人公は幽霊。最初からお亡くなりになっている。
 気づくと自分は誰で、なぜ死んでいるのか思い出せない。
 それを知るために、
 いろいろな物にとりつきポルターガイストのように操ったり
 人にとりついて会話することで情報集めたり
 電話線を経由して移動したり
 死者の魂から、その死の4分前の過去に移動したりして
 冒険するお話。
 明らかになる過去。纏わる人々の数奇な運命とはとは。


・『逆転裁判』シリーズを作ったひとによる新作、
 という事前情報がなかったとしても
 そこかしこにつながり感じさせるつくりです。
 アドベンチャーゲームとして、ゲーム部分を進める過程もそうだし
 その結果、浮かび上がるミステリ調の物語もそう。
 みため絵も変わっているのだけれど、
 どこかカプコンらしい、特徴付けがされたデザイン。
 『逆転裁判』に劣らない良いゲームです。



・本作の特徴は、事件を追っていく場面にあります。
 殺人事件現場や容疑者のアジトを調べて解決の鍵を発見、という
 良くみられるミステリものゲームと少し違い、
 事件現場そのものが「ピタゴラスイッチ」の「ピタゴラ装置」のような、
 ゲームでいうなら『インクレディブル・マシーン』のような、同じか、
 『マリオとワリオ』のような、ではもう古いか。
 とにかく、そんな感じのパズルゲーム「ステージ」になっていて
 先のポルターガイストのような幽霊的挙動を駆使し
 そのパズルを解くことで事件が展開します。

・アクションゲームなどで、そのステージのゴールにたどり着ければ
 幕間デモシーンが挟まって、話が展開していくかのようなあれ。
 このゲームはデモシーンでも絵が切り替わらず、
 パズルゲームのステージ上で主人公だけでなく登場人物皆が演技し、
 お話が進行します。
 そこでの個性的な動きが、ゲーム的ではないけれど絵的に、本作の個性。
 


・こういうAVGを遊んだとき、面白かったところとして
 語られ体験するお話が面白かった、
 というところと
 それを解き進め明らかにしていく過程自体が面白かった、
 という2方向に面白さを感じます。
 おおざっぱにいって
 小説や映画という形であったとしても面白かったところと
 ゲームとして遊んだから面白かったところ。

・本作の場合、きちんと両方面白い。
 お話だけでなくピタゴラ装置みたいなところ、
 お話には微妙に関係ない、パズルゲームみたいな部分も良かった。


・けれど、そこで思うこととして、
 AVGにゲーム的なものは必要なのだろうか、というお題があります。
 ゲーム的な「正解探し」部分は、お話を読み進めていく調子の邪魔、
 選択肢のない読み物であったほうが良い、というような。
 この場面でこうしたらどうなっていただろう、
 という選択肢の先をみてみたくはあるけれど
 現実問題現実と違ってゲームでその先は、
 本来正しい真実の終わりへ至る道筋に比べると
 短く不十分であることは許容せざるを得ないのだからして。

・しかしそういう、もうひとつのあったかもしれない物語を開くのは
 ゲームにおいて、AVGでなくRPGの領分であるのです。
 ではAVGとは何か。RPGとAVGをわかつものは何か。
 『逆転裁判』は明らかにRPGでなくAVGである。そこはどこか。
 『ゴーストトリック』は、ゲームであるから何が面白いのだろうか。




・例えば『汝は人狼なりや?』(http://ja.wikipedia.org/wiki/汝は人狼なりや%3F)というゲーム。
 このゲームはRPGでもAVGでもなく、対戦SLG。
 対戦という言い方に語弊があるなら、多人数用SLG。
 SLGという言い方に抵抗があるなら、パズルゲームである。
 対戦パズルゲームといっても『ぷよぷよ』みたいなのではなく
 将棋とか囲碁とかのそれ。駒や石で代えるのでなく言葉を介して戦うSLG。

・RPGの場合、多人数で遊ぼうが一人で遊ぼうがRPGなのだけれども、
 というのはその演じようを競った結果でなく
 過程に物語を見出すことを目標とする遊びだからですが、
 対して、多人数用SLGを一人用にしたものがAVGである、
 といえるかもしれない。
 多人数用にAVGを変えてみたら
 『汝は人狼なりや?』のようなゲームになるのではなかろうか。

・けれど『ファイアーエムブレム』のような一人用SLGはAVGなのか。
 どうみてもSLGにしか見えないし
 『タクティクスオウガ』がAVGで『逆転裁判』がSLGには見えない。
 しかし将棋やシミュレーションRPGは対戦できるけれども
 『逆転裁判』はできない。
 一人でも、対戦や多人数で同時にも、遊べるパズルゲームがSLGであり
 一人でしか遊べないのがAVGなのである。
 そういう区分はあるようだ。


・AVGは、お話を読み進めていく過程の途中で問題が出てきて
 それに正しく答えていくことで先に進む、を繰り返すゲーム。
 例えば、ミステリ小説をゲームにしたようなもの。
 逆に、ミステリ小説を、そのものとの面白さをできるだけそのままに
 ゲームにしようとしたものがAVG。

・世の中には、ミステリ小説の「ミステリ」たる部分が
 すごく少ないお話もたくさんある。
 そういうものをゲームにしようとしたらどうなるだろうか。
 アクションゲームとして代えられるものあるかもしれない。
 けれど「ミステリ」でも「活劇」でもないものも、たくさんある。

・平凡で特筆すべき事件の起こらない日々。
 そこにはゲームのように、もしここでこうしていたら、
 という選択肢は存在しない。
 いや、選択肢は常に無数に無限の可能性を持って眼前に在るけれども
 正しさはそれが無いかのように在るのが、選んできた選択なのである。

・つまり、そこに「ミステリ」のような、こうだからこうするべき、という
 正しい選択を選ぶという余地は存在しない。
 殺人事件に巻き込まれ、容疑者として追われるようになるまで、
 ひとはゲームのように、正しい選択を選ばねばとは普通、思わないのである。
 現実はゲームでないのだし。
 競争で勝つことに選ぶ手段の許される度合いは様々であるし。
 そして後からみても、正しさはひとつでないのだから。


・そこでAVGが、
 「ミステリ」のように登場人物が能動的に正しい選択を選ぼうとしない、
 正しさというものが無いように在る、ごく普通の物語であっても
 ゲームにする手段として採ったのが、セーブとリセット。

・現実によくある物語をゲームにする、
 仮想して競争する、
 シミュレーションゲームに化する。
 競争化すると、勝利と敗北が条件付けて設定できる。
 それに行き着く選択肢に、正しさが顕現するかのように付与できる。
 多人数用SLG、例えば将棋であればここで、
 勝利に向かう正しい選択の道筋が、次第に両者によって生成されるけれども
 これを一人用、一人でテレビゲームあるいは条件記述によって
 過程のあらゆる選択で、その都度正しさを判定することは不可能である。
 ゲーム的にいうなら、正しいとされる答えを正しいと常に納得させることは
 数にまかせられる法律ならともかく、国語のテスト問題以上には困難である。

・そこで、ゲーム内の物語という進行基準上では、
 過去に戻って選択肢を選びなおすことを許すことで
 正解であることの論理的辻褄よりも
 正解したという結果の獲得が目的に掏り変わるようにした、
 ゲーム的でなく現実的に処理する、セーブとリセットで出来ているのが
 一人用SLGたるAVGなのである。


・例えば『逆転裁判』は、
 ミステリ調AVGとして、事件の用意された答えに辿り着く、
 用意された一本の正しき線上をなぞることで事件が解決する。
 自分で推理する場面を用意しないことで
 論理的とは限らない問題を推理しなければならないことや
 推理した気にならせるつくりに浸ってあげることを
 しなくとも事件を解決できるところが
 AVGとして楽しく、よく出来ているところ。

・例えば『インフィニットループ』は、
 さまざまな事件が、先に起こった事件を原因として連鎖して並んでいて
 未来の知識を持ちつつ過去にも介入できる幽霊の自分が
 それを客観的に眺めて、自身が好ましいように並び替えることができる。
 これはセーブポイントに、気に入らなければリセットして戻ることが出来る、
 自身の行動のみによってしか全てを変えることは適わないと知り
 あらゆる在り得る未来を知って、好ましいものを選ぶ絶対の権利を有する、
 AVGを遊ぶひと、そのものである。
 神は全てを知り能わざることなしといえども
 また、ひとのように何を望むこともなし。



・自分で書いていて何が書きたいのか良く解らなくなってきましたが
 物語を体感するゲームに、ゲームであることは必要か、
 という問題であります。
 『シェンムー』より「シェンムーザムービー」の方が面白い気がする、
 ということではなく
 『MGS4』と、そのノベライズ(ISBN:9784043943449)のどちらが面白いか
 ということでもなく
 AVGのどこが面白いのか。

・『逆転裁判』もそうですが、『ゴーストトリック』も
 そのお話だけでも、ミステリ作品として十分に面白い。
 けれどその語り口は、小説でも映画でもなく、ゲームである。
 AVGである。
 ゲームでよかったのだろうか。


・AVGの何か面白いか、
 『逆転裁判』でムジュンを異議ありしているのは楽しいか、
 『ゴーストトリック』でピタゴラ装置を解いているのは面白いのか。
 私としてはそこに、良く出来たミステリと同じく
 心地良くだまされた気分を受けたいのである。

・現実は論理的ではない。
 それを構成するひとが、自身の利益追求とかの目的に沿って行動すると限らず
 それ以前に前提として各人の信ずる正義に統一がない。
 けれどお話のなかでくらい現実と違って
 原因と過程と結果に納得が欲しいのだ。
 論理的な、とは怪しげだけれど、
 例えば国語のテストの正解に一応納得できる程度には、
 そこに心地良い正義をみたいのである。

・ひとによって構成される物語は、非現実を舞台とするミステリであっても
 現実以上に奇ではあり得ない。
 現実の一歩先は予想可能、想像出来得るものでないことを知っている。
 けれど将棋のようなSLGは、すなわちゲームは、
 勝利という目的へ論理的に迫る。
 同じ条件という前提下では唯ひとつの結果に帰納するかと
 錯誤できるかのほどに。
 そこにはひとつの正しさがある。

・自身の望む物語に完結させるため、ゲームという装置を操作して
 セーブとリセットを繰り返し
 用意された物語の帰結に関わらず、
 自身の心地良い正義に納得してゲームを終える。
 RPGのような現実ではできないが、閉じた物語を追うAVGならば許される。  
 そこがAVGの楽しいところだと思うのです。