KnoNの学び部屋

大学に8年在籍した後無事に就職した会社員が何かやるところ。

現代思想の教科書 その6

かなり涼しくて過ごしやすい天気。

 

引き続き

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)(石田英敬、2010)

の

6 「欲望とは何か」 ー欲望と主体ー

をやります。

 

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)

 

 

6 「欲望とは何か」 ー欲望と主体ー

 本章では「人間はいかにして欲望の主体となるのか」という問いについて考える。

→欲望は人間の行動のもっとも根本的な原動力といえるものである。

→フロイトが夢やヒステリーとの関係から明らかにしたように、人間の欲望は「意味の問題」であるともいえる。

=欲望は人間の〈身体〉と〈意味〉の次元との間に生まれる問題、である。

 

 

「ほしいものが、ほしいわ。」

 まず「欲望と意味」として前提的な考察を行う。

 

 「〜〜したい」「〜〜が欲しい」という欲望は、(〜〜の部分に代入可能な)「記号」によって、自分の生活の意味を作り出したい(=意味を実現したい)という欲望であるといえる。

→様々なシナリオ・物語のなかで「実現したい自分(の生活)」をイメージすることが欲望を生み出す。

→物語=意味の見取り図

 

 バブル期の西武百貨店のポスターに、糸井重里が作成した有名なコピーがある。

ほしいものはいつでも

あるんだけどない

ほしいものはいつでも

ないんだけどある

ほんとうにほしいものがあると

それだけでうれしい

それだけはほしいとおもう

 

ほしいものが、ほしいわ。

 

 この詩のようなコピーには「欲望の論理」を表す合計4つの問いが含まれている。

  • 「ほしいもの」の存在と非存在の問い
  • 「ほんとうにほしいもの」の欲望の真理の問い
  • 「ほしがる〈わたし〉」という主体の問い
  • 「ほしいものがあるとうれしい」という悦楽(喜び)の問い 

 

 

欲望のシニフィアン 

 欲望の論理を理解するためには、ジャック・ラカンの精神分析の理論を手がかりにすると分かりやすい。

 ラカンはフロイトの精神分析をソシュールの言語学と重ねあわせて発展させ、現代の精神分析を作り出した。

 

 ソシュールの図式では言語記号は「シニフィアン」と「シニフィエ」の二面からなる。

→欲望の記号を問題とする場合も同様。欲望の対象が直接的に示す「シニフィアン」ではなく、むしろそれがイメージとして持つ「シニフィエ」が目的である。

→「ほしいもの」のデノテーショナル(明示的)な意味作用ではなく、コノテーショナル(共示的)な意味作用が求められている。

→ほしいもの=主体を欲望の二次的な意味作用へと媒介する「欲望のシニフィアン」

 

 どのようなものでも、意味を背負った「欲望の主体」となることが出来る。

→このような特権的な記号となることを目指して記号を繰り出す活動が、例えば消費の欲望をかきたてる広告のような活動である。

 

⇒建築の世界でよくいわれているエピソードとして「出窓の話」がある。

 戸建住宅を設計するとき、クライアントはしばしば「出窓」をリビングに設けることを要求してくる。

 しかしこれは設備としての「出窓」そのものを望んでいるのではなく、むしろ「出窓」によって象徴される「明るいリビング」「明るい家庭・家族関係」を望んでいる場合が多い。そして多くの場合クライアント自身がそのことに気づいていない。

 建築家は専門家の職責として、ただ「出窓」を取り付けるのではなく、そこに込められた「本当に欲しいもの」を読み取って提案することが必要である。

 「欲望のシニフィアン」が典型的に現れている例だといえるだろう。

 

 ラカンは欲望の主体とシニフィアンの働きとの関係について「シニフィアンは、主体を他のシニフィアンに対して代表する」という定式化を行った。

→欲望の主体はひとつだけのシニフィアンで自己の欲望を意味することは出来ない。そのシニフィアンが他の様々なシニフィアンとの間に取り持っている関係に基づいてでしか、欲望は機能しない。

 

 

他者と欲望:隣の芝生は青い

 意味を欲望するという人間の欲望のあり方には、もうひとつの大きな問題論的次元が横たわっている。

→「人間の欲望は(構造的な次元としての)他者の欲望である」(ラカン)

→私という「主体」が記号によって実現しようとする意味は、私という「主体」だけによって決めることは出来ない、ということ。

 

 私の欲望の意味は、実現した記号だけによって生み出されるのではなく、むしろ他者と共有している「記号のシステム」でどう位置づけられているかによって初めて意味を実現しうる。

→「差異の関係」がなければ意味も欲望も生まれない。

 

 これは「自己像」の形成にも関わる問題である。

 ラカンは「鏡像段階」という理論で「他者との関わりのなかで成立する自己」の形成原理を説明した。

→人間は幼児期に「鏡に映った自分(=構造的な次元での他者)」を参照しながら自らのイメージを形成し、統一した「己の身体」を運動調節によって組織していく。

 同様に外部の「鏡像」を通じて「自分」というものを作り出していくのが、人間にとっての自己形成の方法である。

→まず外部のイメージから「欲望の光景」を取得し、それを「自らの欲望」へ内面化してく。

 

⇒『〈私〉をひらく社会学』のなかで夏目漱石の「こころ」を例として説明してあることと同一である。「わたし」は「Kが思いを寄せる対象」として「お嬢さん」を求めるようになった。

参照 〈私〉をひらく社会学 その2 - KnoNの学び部屋

 

 ここまでみてきた欲望の成立のメカニズムは次の四点にまとめられる。

  1. 「欲望」とは意味実現の欲望である。
  2. 「意味」は記号の差異のシステムにおいてのみ実現する。
  3. 記号のシステムは「他者の次元」を前提とせざるを得ない。
  4. 欲望の主体は「他者の場」において成立する「光景」を通して表象される。

 

 

 

【今回の三行まとめ】

  • 「欲望」は、その対象それ自体ではなく、それが共示的に意味する「意味」に本質がある。
  • 「欲望」は他の「意味」と同様に、様々に結びついた「欲望の文脈」の中でしか成立し得ない「差異のシステム」である。
  • 人間は「他者の欲望」を「欲望の光景」として取得することにより自らの欲望を形成する。



【今回の宿題】

  • 「欲望の連鎖」の極限。
  • 若干「他者の欲望」のところの理解が不十分な気がする……。

 

……既に学んだことなので(ry

 正直、最後の4点だけを読んで内容が理解できれば本文を読む必要がない気もします。「現代社会における欲望(と消費)」については、それこそ『〈私〉をひらく社会学』でしっかりやったので。

 初めて読んだ時はどの章もなかなか理解するのが手強かった気がするのですが、一年間(それとは意識しないながらも)色々勉強した成果がちゃんとでている、ということでしょうか。

 

それでは

 

KnoN(60min)

 

ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念

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〈私〉をひらく社会学 (大学生の学びをつくる)

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