脱貧困ブログ

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もはや家族はセーフティネットにならないと断言する理由

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いざというとき頼りになる親類がいる=セーフティネット、では成熟した社会とは言えないと思ってしまってるのです。

 

この言葉は、当ブログの読者が書いてくれたコメントです。

実に、鋭い指摘だし、その通りだと思いませんか?

 

今回は、なぜ「いざというとき頼りになる親類がいる=セーフティネット」では、成熟した社会とは言えないと断言できるのか?

この問いをじっくり考えてみたいと思います。

 å®¶æ—å…±å€’れ社会

 ã“の問題を考えるうえで、うってつけの本があります。

NPO法人ほっとプラス代表理事・藤田典孝さんが書いた「貧困世代」という本です

 è—¤ç”°ã•ã‚“は、本の中で「家族が助けてくれる神話」と題して、こんな事を言っています

たとえ働かなくても、若者たちには父母、祖父母がいるので、多少、お金に困ったとしても、家族が手を差し伸べてくれるのではないか、という神話もある。

しかし、もうかつてのように家族は若者を救えない。

家族の世帯員が縮小し、相互扶助機能は前例がないほどまで、弱まっているからだ。

世帯年収も減少傾向にあり、若者の父母や祖父母世代は、自分たちの生活で精一杯であろう。

(中略)つまり、困ったら家族が助けてやればいいという論調は、やもすると社会保障や社会福祉の機能を家族に丸抱えする事につながってしまう。

これでは家族が共倒れの状況を招きかねず、さらに社会保障や社会福祉の発展を妨げる。

そういう点において、家族扶養説は危険な前近代の思想と言えるだろう。

 

社会福祉をもっと頼っていい!

ポイントは以下の言葉です。

世帯年収も減少傾向にあり、若者の父母や祖父母世代は、自分たちの生活で精一杯であろう。

この言葉が冒頭の「いざというとき頼りになる親類がいる=セーフティネット」では、成熟した社会とは言えない、と断言できるのか?」という問いの答えです。

皆さんも、うすうす気がついていたと思います。

 

しかし、未だに「困ったら家族に助けてもらえ」という雰囲気が社会に蔓延しているがために、「家族の問題は家族だけで解決しなければならない」という考え方が常識と思われている

しかし、もう、そろそろ家族がセーフティネットにならない時代である、事を受け入れませんか?

そうでなければ、家族が苦しんでいるのに、ひたすら我慢するという地獄のような状況が続いてしまうからです。

じゃあ、どうしたらいいの?、と聞きたくなったかもしれない。

 

社会福祉、社会保障を使いましょう。

生活保護、障害年金、使えるものは全部使う。遠慮なく堂々と使ってほしい。

当ブログは、社会福祉、社会保障を使うのは、恥ではなく、むしろ当たり前の事である、という主張を今後も繰り返して行きたいと思います。

そのために、税金を払って来たんだから、遠慮なく使いましょう。

共に、社会福祉、社会保障を広めて行こうではないか?!