デザインのはてな

身近なところでたくさんの発見!

デザインのはてな【最終回】?

 

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 1000回を迎えたこのタイミングで、ブログをどう続けようかといろいろ考えた結果、一度リセットして新たなカタチではじめてみることにしました。新しくはじめるブログは「デザインのあてな」。そのデザインが向けている先にいる人(宛名)の1人である私が感じたことを綴るブログにしようと思っています。基本的には、これまでとほぼ同じです(笑)。ただ、フィールドを変えてやるのが良いと考え、たくさんの方に読んでいただける今の環境のまま続けるのではなく、心機一転、1からはじめてみることにしました。

 

約3年間という短い間でしたが、このブログを続けられたことでたくさんの学びがありました。それもこれも読んでいただけたおかげ。今まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます!! また、突然の終了となってしまい、読者の方々にはお詫び申し上げます。

 

 

あなたは、どんなとき新たなフィールドに変えようと思いますか?

 

 

 

 

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1000回記念プレゼント!

 

 このブログをはじめて間もない頃に、「1000本ノックの意味?」という記事を書きました。そこで、自分なりに1000本ノックを過去に何度かやってみて感じたことをいくつか書いたんですが、今あらためて思ったことをそこには書いていませんでした。それは、大きな自信になること。このブログは今回でちょうど1000日目になるんですが、実際にやってみて「コレだ!」と感じることは正直なくて、唯一言えるとしたら、自信がついたことぐらいなんです。「やろうと思えば1000本は記事を書けるんだな…」。継続的に何かをやったり、アイデアを出し続けることができたという実績みたいなものです。スポーツなどでは「自信をつけるには練習するしかない」とよく言われていますが、本当にやった分に比例して自信がつくのかもしれませんね。

 

ブログを読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます!!

 

 

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プレゼント企画の応募受付は終了いたしました。

 

たくさんのご応募、ありがとうございました!

 

 

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ブログはその人が丸裸?

 

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 私はどちらかというと外見の印象がわるい方なので、はじめて会った人とはあまり踏み込んだ話はできませんでした。話していくうちに意気投合できたりするんですが、それには時間がかかってしまって…。でも、それが最近は少なくなっていて、会う前にブログを読んでくれた人は、私の人となりをなんとなく知ってくれていたりするので、すんなりと話ができるんです。自身の考え方や気になったことを書いているので、確かに分かりやすいのかもしれませんが、それだけブログというのはその人が出てしまうツールとも言えます。

 

知り合いがブログをやっていると聞いて読んでみると、「あ~あの人らしいなぁ」とよく思います。それは、その人のことを知っているからだと思っていましたが、たぶん知らない人が読んでも同じような人物像を描くような気がします。私はこれまで自己紹介をするとき、経歴やデザインの作品集を見せてきました。でも、自分が見る立場になったときに感じたのは、それらを見てもその人がどんな人かはあまり分からないところ。作品集にあるデザインも、どんな考えでつくったのか分からなかったりします。その点、ブログはその人が見える。私は素でブログを書いているので、別のキャラクターで書いているブログとはまたちがう点もありますが、もし自分のことを知ってもらいたいとしたら、ブログや他のSNSはとても良いツールなのかもしれません。

 

あなたは、誰かのブログを読んだときに、どんな人か何となく分かったりしませんか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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やってもいいのはどこまで?

 

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 受け身で仕事をしている人に対して、「もっと自発的に行動しなさい!」と指導した際に、トラブルになったことがあります。指導された人が自分の判断で仕事を進めてしまった結果、取引先とトラブルになってしまったんです。それに対して上司が怒ると、「自分で判断して行動しろって言ったじゃないですか…」と。自分で判断できないのなら、言われたことをやるしか無いという主張でした。あくまで私の感覚ですが、『自発的』と『自己判断』を混在してしまっている人がいて、自発的を自分で決めていいと解釈しているように思います。大事なことの判断は上司に確認するのが当たり前…。自分から行動するのも当たり前…。

 

自分で進めていいラインが分からないのはきっとみんな同じで、ちがうのはその都度確認しているかどうかだったりします。「これをやってもいいですか?」で、「そういうことなら確認せずに進めていいよ」もしくは「それは都度確認してね!」となって、判断を仰ぐ必要の有無がだんだん分かるようになります。その精度が上がってくると、期限までに上司の確認が取れないときに強行してよいか分かったりして、事後報告で済むことも。細かいことまで都度確認していたら、上司もきっと大変です。だから、必要なことだけ判断を仰げばいいんですが、その『必要なこと』が分からないからと言って自発的に行動するのを諦めてしまうのはもったいないはず。本当に重要なことだけを確認して、多少のことなら怒られて済む話♪ぐらいに考えると気楽にできるような気がします。ただ、その『本当に重要なこと』がまた難しいんですかね…。

 

あなたは、仕事で自発的に行動するときにどんなことを確認しますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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リア充アピールは必要?

 

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 私の周囲で、仕事もプライベートも充実している人のほとんどは、自分が充実していることをアピールしたりはしません。でも、私が「充実しているなぁ」と感じるのは、それが近い人だから。関わりの少ない人が充実しているかどうかは分かりません。「充実しているなぁ」と感じるとしたら、その人が何かを発信したときで、何かで最近やったことを知ってはじめてそう感じます。リア充をアピールするインスタグラムってどうなの?なんてよく批判されたりもしますが、そうしないと、自身の充実っぷりを伝えることができないんですよね。アイドルグループのAKB48が常に話題に事欠かないようにしているのは、充実したグループであることを伝えるためでもあると思っています。

 

自分の事を分かってもらえないと感じたときのことを振り返ってみると、相手に委ねきっていることが多く、自分から「私は○○!」と声をあげていなかったような気がします。自分から発信するのは、ちょっとした気恥ずかしさもあってなかなかできずにいたんですが、それをやってみると、やっぱり少なからず分かってもらえたりもしました。感じわるく捉えられたり、誤解を招くようなことも時にはありますが、そうやって発信しなければ近くの人以外には伝わりません。もし直接的に伝えるのが苦手なら、SNSやブログなどのメディアを使って伝えるのもアリ。ちなみに私の場合はこのブログで何となくの人となりを分かってもらえたりするので、実は結構ブログをやっている意味があったりします。過度に自慢をしたりする必要はありませんが、分かって欲しいときは、分かってもらうための行動をしないとダメなのかもしれません。

 

あなたが、最近「この人充実してるなぁ」と思った人はどんなふうに発信していましたか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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ビニール傘は盗まれやすい?

 

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 盗まれてしまう傘のほとんどはビニール傘…。そんな記事を何かの雑誌で見かけました。盗みは犯罪なので決して褒められることではありませんが、その記事では盗む心理について書かれていて、盗んでもそこまで迷惑を掛が掛からなそうだから盗むそうです。一時的に満たしたい(雨をしのぎたい)ときに、相手の負担が少なければヨシと考えてしまう…。逆に数千円するような傘は、盗んでしまったら相手に迷惑が掛かると考えるので、盗まれにくいそう。その時だけ拝借するには、相手の負担が大きすぎると考えるようです。

 

盗みはダメですが、この心理が働いている場面をよく見かけたりします。例えば、ちょっとした作業を急遽誰かに頼むとき。簡単に頼んでしまいがちですが、相手の時間を盗んでいると置き換えることもできます。そして、時間を取られてしまった人は、ビニール傘(時間をもらってもいい人)だと思われてしまっているかもしれません。一方で、大事に使われていそうな傘(時間をもらったらマズそうな人)は、簡単には頼まれごとをされない。相手の時間を好き勝手に使うことはあまり良いとは言えませんが、使われてしまう側も少し自分を変える必要があるような気がしていて、私もどちらかと言えばビニール傘側なので、大事そうな傘だと思われるようにしないといけないのでは?と考えてしまいました。

 

あなたは、ちょっと荷物の運搬を頼むとき、誰に頼みますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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振ってもらえない仕事?

 

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 会社に勤めはじめた若い頃、なかなかやりたい仕事を振ってもらえない状況だったときに、私はその『振ってもらえなかった仕事』を勝手にやっていたことがあります。既に担当が決まっていたり、自分の能力が足らず話が回ってこなかったことなので、それはやらなくていいこと。それでも、業務時間とは別のところで同じ仕事をやってみて、「私もやってみたんで、見るだけでもお願いします!」なんてことをよくやっていました。「そんな暇があったら…」と怒られることもありましたが、そうやって、少しずつ『振ってもらえなかった仕事』を『振ってもらえる仕事』にしていったような気がします。

 

一般的な会社がどんな仕事の仕方をしているか分かりませんが、私の場合は「新入社員にやらせる仕事は何も無いから、先輩から仕事を奪え!」という環境だったので、それが当たり前になっていました。でもそれが今では糧になっていて、自分から仕事を取りに行くスタイルが、良い方向に転がっていたりします。待っているだけでやりたいことをやるなんて、そんな虫のいい話はきっとありません。私が仕事を振る立場だったら、その仕事を一番しっかり対応してくれる人にお願いしたいし、それを元々頼んでいた人から新人に切り替えるとしたら、同等以上にできるか分からないと安心して仕事が振れません。だから、それを分かってもらう行動を取らなければいけなかったりするんですが、逆の立場にいると「仕事を振ってくれない…」となるから不思議です。

 

あなたは、今何かをお願いしている人から別の人に変えるとしたら、どこでその判断をしますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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その時になる前に接触?

 

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 私は長らく家具業界に携わってきたんですが、家具の売り方にも変化がありました。それは、どんどん接触するタイミングが早くなっている点。ひと昔前は、家具を買おうとするタイミング、例えば新居を構えるときなどに自分の家具屋さんのことを知ってもらえばよかったのが、今では10代の頃に接点を作らなければならなくなっていたりします。家具屋さんが雑貨の取り扱いをはじめたりしているのはまさにそれで、自分で家具を買おうと思うタイミングより前にお店を知ってもらおうと四苦八苦しています。でも逆に、若者に人気のアパレルショップなどが家具の取り扱いをはじめたりしていて、家具屋さんは接触するタイミングでは太刀打ちできなくなっているような状況です。

 

もし明日、靴を買おうと思ったら、あなたはどこのお店に買いに行くでしょうか。たぶん多くの人は、知っているお店に行くはずです。もっと言えば、以前何かを買ったことがあって、安心して買い物ができると分かっているお店。だから、いざそのタイミングになったときに知ってもらえたとしても、馴染みもなく安心できるか分からないお店は候補に選ばれづらい…。これはお店に限らないことで、会社でも個人でも、仕事をお願いしようと思うかどうかは、それ以前に接点があったかどうかが大きなポイントになっていたりします。もし、いつかこの人(この会社)と仕事がしたい!と思っていたら、そのときまで待つのではなく、今から接点を持った方が可能性は出てくるかもしれません。

 

あなたは、もし明日スーツが必要になったら、どこのお店に買いに行きますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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最新の履歴書はコレ?

 

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 ここ最近の企業採用などでは、インフルエンサーと呼ばれるような発信力・影響力のある人が求められています。SNSのフォロアーが2,000人を超えていれば一次面接免除なんてニュースもありましたが、たぶん今必要とされている人材は、従来の履歴書では図れないように思います。マンガの中の履歴書は極端ですが、まんざらでもないかもしれません。10年前に取得した資格よりも、今どんな知識や技能を身につけているのか?の方が知りたいですし、学歴よりも何を学んで何に取り組んだか?の方が知りたい。そして、その人自身が周囲や特定のコニュニティーに対してどんな影響力があるかも知りたい。

 

「直近3ヶ月で、自らとった行動を挙げてください」という項目があったら、何も書けずに困ってしまう人も多いはず…。でも、従来の履歴書に『資格・免許』という記入欄があって何も書けずに困り、何か資格を取ろうと動いたときと同じように、履歴書を変えるだけでも行動は変わるかもしれません。求められていることが明確に分かれば行動も変わる。私の場合は、「自分から発信しないと!」「アクションを起こさないと!」と言われてもピンとこなかったときに、本当に社会が求めているということをひょんなことから知って、はじめて実感できました。もちろん、需要を察して行動をとる力も必要ですが、求めている側が具体的に示すことで相手の行動が変わることもあるので、もし相手に変わってほしいようなときは、明確に示すのもアリかもしれません。

 

あなたは、ハッキリ言われてはじめて気付いたことはありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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相手と同じ絵を描く?

 

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 言わなくても、聞かなくても、情報を共有できることがあります。内容のさわりを話されただけで全体像をイメージできたり、相手が頭の中でどんな絵を描いているか分かったりすることがあります。長年付き合っている人以外でそれができるときは、相手のコミュニケーション能力が高いからだと思っていて、一般的には誰とでも打ち解けて話せることを指したりますが、私がそれだけではないと思っています。打ち解けるのはもちろんですが、加えて情報共有が上手な印象。抽象的かもしれませんが、相手の頭の中と自分の頭の中で、描いている絵を同じにして話ができる感じでしょうか。

 

同じ話をしているのに、そこにいる1人1人の思っているニュアンスが異なっていたり、重要だと思っていることがズレていたりすると、情報を共有できているようで実は出来ていなかったりします。相手の言っている「カッコいい」が、どんな「カッコいい」なのか?。お互いに「そういう感じですね」と話がまとまっても、そういう感じが共有できていない。そんな場面になるたびに、そうでない時と何が違うのか考えてみると、伝える側が相手によって伝え方を変えていることに気づきます。それは話し方や丁寧さではありません。相手の頭の中を引き出して把握し、伝えるポイントを探す作業です。コミュニケーション能力が高いと思う人をよくよく観察してみると、みんなそれをやっているんですよね。接しやすくすることも大事なコミュニケーションですが、意思の疎通はまた別。打ち解けていると思っている相手と本当の意味でコミュニケーションがとれているか?。私はちょっと不安なところがあります…。

 

あなたは、相手と同じ絵を描いて話ができていますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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仕切り直しのタイミング?

 

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 このブログは、はじめてからもうすぐ1000回になります。似たような記事ではあるものの、ここまで続けられたのは少なからず自信になっていて、読んでくださった方々には本当に感謝しています。ただ、同時にマンネリも感じていて、いつも同じ温度感なのがいいところだと思っていても、「ちょっとどこかのタイミングで変えないと…」と悶々としているのが正直なところです。とはいえ、どのタイミングがいいかとずっと考えているうちに、もうすぐ1000回のところまで来てしまったので、ここを仕切り直しのタイミングにしようかと考えています。

 

4月や1月、長い休暇空けや就職・転職など、節目で何か新しいことに取り組む人は多いですよね。本当はどのタイミングでもいいのに、みんなどこかキリのいいタイミングを探していたりします。私もそうで、きっかけを探していたら、ちょうど良さそうなタイミングが見つかりました。でも、変えた方がいいのか、同じ感じで続けようか悩んでいたりもして、またそんなことを考えていたらタイミングを逃してしまうかもしれません。そこで、1000回を迎えたら、ちょっとだけ変えてみようかと思っています。基本的には同じ感じになってしまうと思いますが、変えてみようとすることが大事だったりもするので、気が向いた時に読んでいただけるような何かを考えてみたいと思います。

 

あなたは、どんなタイミングで仕切り直していますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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あなたはよくても私が恥ずかしい?

 

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 先日、私が干してあったシャツをそのまま着て出掛けようとすると、妻に呼び止められました。「ちょっと、それアイロンかけるから脱いで!」。若干シワがあるのは分かっていましたが、お客さんに会うわけでもなかったので特に気にしなくていいと伝えると、「恥をかくのは私なんだから!」と怒られて…。仕事の中では気を配っているつもりでしたが、抜けていました。でもこれは大事なことで、相手に恥をかかせないようにする感覚を持っているチームや会社はとても強いんですよね。理由は、相手に恥をかかせないようにもう1歩努力をするからです。

 

自分がそれで良しとすることでも、周囲の誰かにとっては良しとできないことがあります。それで自分はよかったとしても、相手にとっては不足で、陰で足りない部分を補っていたり。取引先との打ち合わせで、名刺を切らして自分は平気な顔をしていても、一緒にいる上司は恥をかいています。仕事が忙しかったりして、周囲に気を配る余裕がなかったとしても、その意識があるかないかは大きい。「自分の仕事はキッチリやっている」なんて言っている人ほど、実はそこが出来ていなかったりするので、少し息をつく時間があったら、一度「あなたはよくても、私が恥ずかしい」と思われてしまっていないか?をチェックしてみた方がいいかもしれません。

 

あなたは、誰かが平気でも自分が恥ずかしかった経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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関わらなくても分かる魅力?

 

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 ある時期、自分のデザインをブラッシュアップするために、関わりのない人たちに意見を聞いていたことがあります。家具のデザインなら、家具業界に縁の無い人。もっと言えば、家具にそこまで興味の無い人に意見を求めていました。例えば、自分の両親。ストレートな意見が聞きたかったので、他の人がデザインしたことにしてどう思ったか聞いてみると、予想していなかったところを気にして見ていました。その着眼点だけでも勉強になりますが、一番大きかったのは価値観の違い。関わっているから分かる魅力を伝えても、関わりのない人には伝わりづらい。逆に関わりのない人が魅力的に感じるところは、関わっている人が気づかないところだったりします。

 

どちらの価値観が大事だとか言うつもりはありませんが、相手がどこを見ているかが分かっていないと、せっかくの魅力も伝わりません。「このデザインは裏側の仕上げが絶妙で…」は、携わっている人には魅力的だったとしても、表を見て吟味する人にとってはそこまで大事なことではなかったりする。だから、伝え方は「裏側まで仕上げるほど品質にこだわった商品」と少しニュアンスが変わったりします。関わっていなくても品質は気になるからです。たまに「あの人はデザインがよく分からないから…」なんて言う人がいますが、デザインをよく知っている人だけに向けて発信するわけではありません。むしろ逆。関わりのない人に意見を聞いてみると、おもしろい発見もあるので、一度「何コレ?意味が分からない」と言われてみるのがオススメです。

 

あなたは、自分が作ったものをどんな人に見せてきましたか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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足りてないからこそ本番が大事?

 

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 何事も練習することは大事。練習が足りていなければ本番なんてやっても意味がない。…と思っていました。でも、今はちょっと考え方が変わっていて、練習が多少足りないと感じていても本番を経験した方がいいと思っています。練習ばかりしていて伸び悩みを感じていた時期に急遽本番にのぞまなくてはいけなくなったとき、私は不安で仕方ありませんでしたが、本番を終えてそこで学びの多さに驚いたのをよく覚えています。もちろん、うまくはいきませんでしたが、今の自分に何が足りなくて何を練習すべきなのか?が明確になったんです。練習だけしていて悶々とするのは、今やっている練習がどういったところで活きてくるのかが分からないからかもしれません。

 

たまに部下の能力がまだ未熟だと判断して、なかなか仕事を任せない上司の方を見かけたりしますが、それだと今出来ることをやるだけになってしまって成長速度はとても緩やか。一方で、ちょっと背伸びをしないと届かないような仕事を任せた場合、その届かない分を埋めようとしたり、足りなかったところが分かったりすると、グーンと成長が加速していく印象があります。100回の練習よりも1回の本番。決して、練習を疎かにしていいというわけではありませんが、未熟な状態で本番を経験することは大きな活力になるはずです。それに、本番に挑んだときに100%通用するまで練習を重ねるとしても、それがどの時点なのかは誰にも分かりませんからね。

 

あなたは、まだ自分では難しいと思っていたけど本番にのぞんだ経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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知らないと気付かない間違い?

 

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 昨日のブログ「求められることから離れる? 」の漫画には、わざと間違った表現を入れました。気付いている方もいるかもしれませんが、結構そのまま違和感を持たずに流れてしまうことが多い間違いです。2コマ目の皮を剥いているところで、皮むき器で剥いた皮は、本当は下の絵のようになります。ただ、普段料理を全くしない人は気付きづらい間違いで、自分の習慣に無いことに目を向ける意識がないと、間違いを見つけられません。文章の文字校正などが得意でも、意外とこういった『事実と異なる表現』は見逃してしまうような気がします。

 

その表現が正しいかを確認する際、そこで伝える内容を調べて、本当に事実かどうかを確認する必要もあります。「2017年11月13日(火)」は文字としての間違いはありませんが、曜日が正しいのかを確認をすれば「2017年11月13日(月)」だと分かります。また、自分で正しいと思ってしまいがちな内容も要注意。自分の頭の中とそこにある表現が合致したら、間違いを発見するのは難しい。だから、本当にこれは正しいのか?を都度確認しなければなりません。文字校正のプロはそれを当たり前のようにやっていたりするので、もし自分が文章や表現のチェックをするような機会があったら、表記の間違いだけではなく、事実と異なっていないか?も確認してみてください。調べてみると、結構ハッとさせられたりして勉強にもなるのでオススメです。

 

あなたが、見逃してしまった間違いはどんな内容でしたか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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