
人の手で悲劇が引き起こされてしまったとき、加害者はもとより、ときには人類そのものに対しても怒りの念を抑えることは難しい。しかし、そうした酷い状況においては「許す」ことこそが、心を解放し、明るい未来につながるということを、先人たちの知恵が教えてくれている。
だが人は簡単に恨みに取り憑かれてしまう。なぜなら許すよりも恨むほうが簡単で楽だからだ。それゆえにこれから紹介する25人が見せた許しにはきっと驚かされることだろう。
25. 町を大破した日本人兵を許したブルッキングズ町の住人

第二次世界大戦の最中、旧日本海軍の藤田信雄は首脳部による単独命令で、オレゴン州の海岸沿いを爆撃した。(この辺の経緯はアメリカで伝えられているものと日本とで差があるようなので、詳しくはwikipediaを参照のこと)終戦後、藤田は爆撃した森に囲まれた小さな町ブルッキングズを訪れ、住人に許しを請うた。後悔と謝罪の証として、彼は藤田家に先祖代々伝えられてきた400年前の刀を町に寄贈した。ブルッキングズ町の住人は藤田を許した。寄贈された刀を親善大使「藤田」の名とともに地元の図書館へ展示することにした。
24. 父親を殺した母親を許したスティーブン・オーウェンズ

母親が雇った殺し屋によって父親が殺されるのを目撃したスティーブン・オーウェンズは、その後13年間に渡り、刑務所にいる母親との面会を拒否した。2009年8月23日、彼が母親との面会を決意してから全てが変わる。3時間にわたって本心を打ち明け合ったのち、オーウェンはついに母親を許した。
23. 父親を轢いたドライバーを許したブランドン・ビッグズ

ブランドン・ビッグズの父親は酔っぱらい運転の車にひかれて、残酷な死に方をした。事故発生後、運転手は彼の父親を車で自宅まで運び、ガーレジの中にそのまま放置したのだ。医療関係者によれば適切な処置を受けていたら、死なずに済んだらしい。あり得ない事件である。それでもブランドンはそのドライバーを許した。
22. 娘を殺した黒人を許したエイミー・ビールの家族

エイミー・ビールは南アフリカで実施されていたアパルトヘイトの反対運動をしていたが、白人への反感を抱く黒人によって殺害された。しかし彼女の両親は娘の死に悲しみに暮れたものの、娘を奪った政治的状況を理解すると、犯人を許し、南アフリカの若者の支援を目的とする慈善団体「エイミー・ビール基金」を設立した。
21. 家族全員を殺した犯人を許したイマキュリー・イリバジザ

1994年のルワンダ虐殺で、イマキュリー・イリバジザは家族全員を失った。小さなバスルームに隠れて命拾いした彼女は、なんと家族を殺した人たちを許すことにした。怒りや憎しみは自分自身を駄目にしてしまうと感じたからだそうだ。後になって、ベストセラーとなった「生かされて」を執筆し、虐殺で孤児となった子供たちを支援するレフト・トゥ・テル慈善基金を設立する。
20. 兄を惨殺した犯人を許したアンソニー・コロン

愛する人を失うことは大きな打撃となる。しかもそれがむごたらしい殺されかたであればなおさらだ。アンソニー・コロンはこれを身をもって知ることになる。1992年6月13日、彼の兄が3人の男に銃で射殺された。当時の彼は、「全ての人間、全ての物が憎い」とCNNのインタビューで語ったほど、怒りと憎しみに捕われていた。数年後、結婚し、信仰を見出すと、犯人たちを許した。しかも、そのうちの1人とは親友にすらなったのだ。
19. 命を奪われそうになった犯人を許したローマ教皇ヨハネ・パウロII世

1981年、当時のローマ教皇は彼の命を狙った男によって4発の銃弾を浴び、緊急手術室へ運ばれるほどの重傷を負った。しかし身体が回復すると、刑務所の犯人の下を訪れ手を差し伸べ、彼は兄弟であり、既に許されていると伝えた。
18. 暴行した犯人と友だちになったマッジ・ロッダ

ある日曜日、教会のオルガン奏者マッジ・ロッダが、地元のデニーズでいつも通り朝食を済ませ、トイレに行くと、突然殴られ暴行された。なんとか生き延びた彼女のその後の行為は奇跡だ。犯人を許すだけでなく、友人になったのだ。定期的に刑務所にいる彼を訪れ、手紙を出し、プレゼントすら与えた。「私は根に持つ質です。人が忘れたことでも絶対に憶えています…だからこれは奇跡なんです。」
17. 兄弟を殺された犯人を許したルネ・ネーピア

酔っぱらって車に乗り込んだエリック・スモールリッジはすっかり気が大きくなっていた。飲酒運転で事故を起こし、その晩、車に同乗していたミーガン・ネーピアとリサ・ディクソンの2人の命を奪ってしまう。しかしミーガン・ネーピアの兄弟であるルネ・ネーピアはこの悲劇を乗り越え、エリックを許した。ルネはミーガン・ネーピア基金を設立し、エリックとともに学校を訪問しながら飲酒運転撲滅の啓蒙活動を行っている。
16. 米軍兵士を許したベトナム人、キム・フック

ベトナム戦争中の米軍の爆撃でキム・フックは家族を奪われたのみならず、自身も17回にも及ぶ大手術を受けるはめになった。だが20年後、ワシントンで催された復員軍人の日の式典で、作戦を指揮したパイロットに出会った彼女は、彼に近寄って許します、と告げた。
15. 父親を殺したテロリストを許したジョー・ベリー

ジョー・ベリーの父親はイギリスの国会議員だったが、1994年にIRAの爆弾テロによって殺害された。しかし父親の死後、怒りに任せて犯人を非難しても自身のためにならないと感じたジョーは、実行犯パトリック・マギーとの面会を求めた。
真剣な3時間の面会の末、2人は今後も会うことにし、やがては友情が芽生えることになる。ジョーは自分がパトリックと同じ境遇を生きたのなら、やはり彼と同じことをしただろう、と悟ったのだ。そしてパトリックもまた自身のテロ行為によって多くの罪のない犠牲者を生み出していたことに気がついた。2人とも心の底から変わった。
14. 息子を殺した犯人の家族を見て、その犯人を許したウィンフレッド・ポテンザ

彼女の長男とその婚約者は、1989年酔っぱらい運転の車によって命を落とした。彼女は打ちひしがれ、息子の死を嘆き悲しんだ。ソノマ郡裁判所ではこの事故を殺人事件であると必死に訴えたが、公判が終わり、加害者の青年とその家族の姿を見て考えをあらためた。彼を許し、やがては懸命に弁護するようにまでなったのだ。結局この青年は仮釈放されることになった。
13. 両親を殺した犯人を許したスー・ノートン

1990年1月、スー・ノートンのもとにオクラホマの実家で両親が殺害された、という電話がかかってきた。彼女は裁判中、酷く混乱して、何をどう受け止めればいいのかよく判らず、平安が訪れるよう祈ったという。しかし彼女は犯人を許さなくては、という強い衝動に駆られ、何があろうとも他人を愛するよう祖母から教わった、と彼に告げた。やがて犯人のロバートと彼女の間には友情が芽生え、ロバートはキリスト教に帰依することになった。
12. 我が子を殺したチャールズ・C・ロバーツを許したアーミッシュの親たち

2006年10月2日、チャールズ・C・ロバーツは生まれたばかりの娘がわずか9ヶ月で亡くなると、逆上しアーミッシュの校舎に15人の女学生を人質に立てこもった。そして5人の少女へ発砲すると、自分自身も撃ち抜いて自殺した。こうした悲劇にも関わらず、犠牲となった少女の家族も含むアーミッシュのコミュニティは、彼の葬式に参列し、残された未亡人を慰めるとともに金銭的な援助を行った。
11. 夫を銃殺したリビア人を許した妻

ロニー・スミスは、リビアのベンガジで朝のジョギング中に銃で撃たれ死亡した。化学の教師であった彼は、妻アニーと息子を連れて引っ越してきたばかりだった。彼の死後、アニーはリビア人と襲撃者へ向けて手紙を書き、その思いを伝えた。「あなたたちが何者であるのか判っています。私はあなたたちを愛し、とっくに許しています」と。
10. 自分を半身不随にした女性を許したネッティ・ギブソン

2011年8月10日、職場へ運転中だったネッティ・ギブソンの人生は泥酔した女性が運転する車によって大きく変わる。この事故で右腕の骨折と右かかとの粉砕骨折のほか、脾臓、盲腸、腸の3分の2を摘出されることになった。しかもこの運転手はごくわずかな額の保険にしか入っておらず、医療費にもこと欠く有様だった。それから数ヶ月、ネッティは酷くふさぎ込んだが、2012年8月の裁判で加害者の弁護士に向かって「どうか彼女に、もう私は許していますと伝えてください。」と告げた。
9. 自分を虐待していた母親を許したパスカル・カバナー

パスカルは母親に虐待されて育った。こうした虐待は彼女が成長し、自立してからも続いた。2010年、73歳になった母親が心臓発作で倒れると、一命を取り留めたものの重い障害が残ってしまう。「最初は面倒なことばかり押し付けて、と怒りが湧いてきました」とパスカルは語っている。しかし数ヶ月もすると怒りは許しへと変わった。「生まれて初めて母を責めるのをやめました。そうしたら、心が安らいだんです。」
8. 実の娘と孫を殺した義理の息子を許したロン・トックネル

「この悲劇に悪人はいません。いるのは被害者だけです」と語るのは悲嘆に暮れるロン・トックネルだ。彼は義理の息子セリの手によって、娘と3人の可愛い孫を失ってしまった。セリは一見子供への愛に溢れる完璧な父親に見えた。彼が3人の娘と妻の命を無惨にも奪ったと聞いて誰もが驚いた。しかしロンは悲しみで苦悩しながらも、セリを許すことにした。「あなたは殺人者としての彼しか知らないでしょうが、私は彼が娘と恋に落ち、愛情をもって孫を育てていた人間だったことを知っています。」と語った。
7. シリアルキラーを許したロバート・ルール

グリーンリバーの殺人鬼との異名があるゲイリー・リッジウェイは、2003年に38人の女性を殺害したと告白している。犠牲者の家族たちは皆、悲しみと、彼に対する怒りを口にしたが、ロバート・ルールは違った。彼はリッジウェイにこう告げたのだ。「リッジウェイさん、ここにあなたを憎む人たちがいますが、私は違います。きっと信じられないでしょう。でもそうせよと神が言っているのです。許しなさいと。あなたを許しましょう。」
6. 夫をひき殺した犯人を許したパトリシア・マチン

2011年、パトリシア・マチンの夫はブライアン・ウィリアムソンの運転する車にひかれて亡くなった。夫の死にもかかわらず、パトリシアが加害者に対する怒りを覚えることはなかった。彼女によれば、これは事故であり、彼に非はないのだという。パトリシアは加害者に手紙で許すことを伝え、彼を励ました。
5. 息子を殺害したオシェア・イスラエルを許した母親のメアリー・ジョンソン

メアリー・ジョンソンにとって1993年2月は忘れられない日だろう。彼女の20歳になる息子が16歳のオシェア・イスラエルとの口論の末、射殺されてしまったのだ。「息子は死んでしまった。殺した少年とその母親が憎くて仕方がありませんでした。」こう語るメアリーを責めることなど誰もできないはずだ。
しかし、オシェアが17年の懲役に服する間、彼女は自らの良心の狭間で大きく揺れた。そして彼を許すことができるのかどうか確かめるため、オシェアとの面会を願うようになる。彼を許したメアリーは今、オシェアとともに許すことの大切さを様々な場所で伝えている。
4. 発砲した少年を許した警官のスティーブン・マクドナルド

セントラルパークのパトロール中、新米警官のスティーブン・マクドナルドとその上司は自転車泥棒と思わしき3人の少年に職務質問をした。そのうちの1人、シャボドという少年が銃を取り出しスティーブンに向けて3回発砲した。この事故により全身に麻痺が残り、人工呼吸器まで手放せなくなった彼だが、恨みを抱くのではなく犯人を許そうと決意をした。
彼は獄中のシャボドへ手紙を書き、2人は許しと暴力反対のメッセージを世に伝えようと誓い合うようになった。しかし不運なことに、シャボドは釈放されてからわずか3日後、バイク事故でこの世を去っている。
3. 自分に脳障害を負わせた少年を許したマリソン・サルモン・ヘッジズ

ビルの4階からショッピングカートを落とすという2人の少年の悪質ないたずらによって、マリソン・サルモン・ヘッジズは脳に重い障害を負う。この事故により彼女は昏睡状態に陥り、左目の視力も失うことになった。大けがを負った彼女だが、少年たちにわだかまりを抱いていない。あるインタビューで彼女はこう語っている。「2人とも元気だといいけど。私、彼らのことを本当に気の毒に思うんです。」
2. 3発の銃弾を受けても犯人を許したピアース・オファリル

ピアース・オファリルは2013年7月20に12人が殺害されたコロラド銃撃事件の被害者の1人だ。ピアースと他の53人はこの悲劇を生き延びることができたが、彼はその事件で3発の銃弾を受けた。だが彼は、あるインタビューで犯人に対する気持ちを訊かれると、もう心の底から許していると述べた。ピアースが犯人に感じていたのは憎しみではなく、悲しみだったのだ。
1.ホロコーストから大勢の命を救ったコーリー・テン・ブーム

彼女は人類史上最高に勇敢で、傑出した女性の1人だろう。コーリー・テン・ブームは自らの命をかけて、ホロコーストから大勢の命を救ったのだ。しかし密告によって、コーリーと家族は逮捕され、父親と姉が亡くなっている。
コーリー自身は事務手続きのミスによって運良く収容所から釈放された。その後のある日、彼女が教会で神の許しを説いていると、そこにいた男性が前に進み出て、かつて犯した罪の許しをコーリーに請うた。彼はかつて彼女が収容されていたラーフェンスブリュック収容所の元衛兵だった。祈りの後、コーリーは許しの力を悟ったという。
ここに取り上げられている例はどれも稀なケースであり、だからこそ驚くべき行為として伝えられているものだ。それだけ「許す」という行為が、いかに難しく、勇気が必要なのかがわかるかと思う。ただ、許すことができるということは、自分の人生を自分の手でつかみ取ることができたということだ。
このような生き方を選択できるほどの器量がまったくない私だが、そういった人々も存在するという事実は少しの勇気を与えてくれたような気がする。
宗教の違いもありそうな気が。
想像しても自分には真似できないと思う。
でもずっと加害者を憎む人生もしんどいだろうな。。
殺された本人が許してなんぼやろ
私は自衛のための暴力を、暴力とは呼ばない。知性と呼ぶってマルコムXが言ってたね
戦争はしゃあない。兵士になりたくてなった奴は少ないだろうし。
でも個人の愚行で家族殺されて、ヘラヘラ生きるなんてまっぴらだね
日本はあんまりこういうことは美談としてなりたたなそう。
そもそも許しの場面って日本バージョンじゃイメージわかない。土下座とかか
許せないという憎しみを経験したことあるけど、囚われてる間は辛いから許せたらいいのにとは本当に思った。許せた方が幸せなのは確か。だけど確かに強制されたら本当に辛いと思う。
同じく宗教色が強いけどガンジーは自分を撃った人を即座に許したって聞いた
自分には無理だわー
俺も許すなんて無理だね、まぁ報復する力もないなら諦めるしかないのかもな。※6じゃないがガンジーの許しは罰する力を行使出来る力を持った者だからこそ意味があるって考え方らしいし
俺は家族が殺されたら絶対に許さない 許してたまるか
許せることが多いほど心穏やかに幸せな人生おくれるってのはある。
※8
犯人の対応如何にもよるかなとも思う
どっちにしろ人を許すのには心にゆとりが無いと無理
宗教アレルギーな自分からすると、神が許せって言うから許して、神が殺せって言えば殺しちゃうんだろうなって思ってしまう
我ながらひねくれてるとは思うけど
※9
許しうるか否かというのは生きている人間の間で交わされるものであって
亡くなった人間の主張という存在しないものを理由にするのは詭弁だと思う
許した人達、みんないい顔してるなぁ
※10
マルコムXとキング牧師を比較すると面白い
マルコムXはKKKに父親を惨殺された上に自殺と処理され、
スラムで悲惨に暮らして刑務所で勉強して政治家になった
非暴力を訴えたキング牧師は大学院まで出てる富裕層
実は当時上流階級の黒人の扱いはプアホワイトよりは上
同じ白人であっても貧乏人は差別されていた
つまりキング牧師は本当の差別の痛みを味わってない
痛みや苦労を知らないボンボンだからこそ言えた理想論だと思う
許す権利もあれば、一生許さない権利もあるよね
どちらも権利であって、義務ではない
誰かが強制してはいけない
※11
まさに許すということがキリスト教の美徳ってことなのかなあ…?
悪人は成敗される、仇討ちは奨励されるのが日本という社会であったからして
日本ではやっぱピンとこないんじゃないかね…
※11
広島や長崎の人たちで原爆投下した本人や支持した人を断罪しようとしない人はいっぱいいるんだよ
核兵器には反対してるけどね
偉大なことだと思う
単に日本人の多くは個人に報復しても自分達は幸せにならないと知ってるんだけど
色々書いてあるけど、許された側は許される前に謝罪したり更正してるの?
謝罪してきた相手を許すのと 開き直った人間を許すのでは
まったく違うと思うけど。
まさにキリスト教の教えだよね。その辺の宗教観はわからない人も多いかもしれないが、憎んでも恨んでも、失われたものは戻ってこない。ならばその後の人生をどう生きるか?恨みに囚われたままではそれこそ自分の人生を台無しにする。
イスラム的には「目には目を、歯には歯を。」それはそれでよさそうに思うけど恨みのルーチンは一生続くことになるね。復讐が人生の目的になるのって幸せなのかな?
よくわかんねえな
許す必要ある?
時代背景や過失云々はしょうがないとしても自分の意思で悪意を持って暴力を働いた人と。
ましてや友達とかなれないしなる必要も感じられない。
これってある種のストックホルム症候群なんじゃないの?(ローマ法王を除く)
自分なら許せないなぁ・・家族がやられたら復讐するな・・・
人の人生を壊しておいてのうのうと生きているとかありえないし
1000年経っても許さない
個人的には
もし家族や大切な友人が殺されたらその犯人を許す事はでき無い
宗教、歴史、神話
その違いなのだろうか?
以前TVで自分を撃った強盗犯に面会して話し合って、最後は握手した被害者を見たけど
無意識にその後手をズボンで拭ってたんだよね
どんなに「許す」と思っても心の奥底は無理だと思う…
私は絶対に許さない。
暴虐を許せるという人は、人として何らかの欠陥を有していると言わざるおえない。
犯罪者を許さないのは狭量だってか??
死刑存続は非人道的だってか???
※23
以前、アメリカに長く住んでいるという日本人女性のブログにあった話。
彼女の職場の同僚と宗教についての話になったとき、
どの宗教の人間も口をそろえて、
「物事の善悪や道徳・非道徳を決めるのは神。
宗教がない(=正しいことを教える存在がいない)日本人は
どうやって物事の善悪を判断したり道徳心を養ったりするのか。
それでどうして社会がなりたつのか。理解できない!」
と驚いていたらしい。
安易に許すと犯人はまた同じことを繰り返しそう
正常な判断力や知性が育ってない可能性が高いんだから
代償行動っていうか真逆のことをして心のバランスを取るやつだよね。
遺族の負の感情は被害者が元通りにならない限り癒えることはないし、それは現実的にありえない。そのままでは心のバランスが崩れたまま。どうするか。
あえて真逆の行動をすることで自分の心に嘘をつく。
だからこういう行為が一番痛々しい。
願わくば「彼ら彼女らは許した。キミはなぜ許せない?」と同調圧力のダシに使われないよう。
そんなのはこの人達の本意でもないだろうし
性格的な理由かもしれないが、
自分は許す方が楽になった…というか救われた
だから許す許さないでどちらが楽とかは決めないでほしい
それに許さないのも十分辛いと思う
ルワンダ虐殺については21の人とは逆に赦しを拒み、後に信仰そのものも捨ててしまったレヴェリアン・ルラングァさんという人がいるんだけど、その人の著書(「ルワンダ大虐殺 ~世界で一番悲しい光景を見た青年の手記~」)も読んでみることをおススメする。
あと「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」という写真集も。
どちらも読了するにはすごい気力が必要ですけどね…。
実は辛過ぎて後者は最後まで読めなかったです。
ヨハネパウロ3世を射ったのが誰だか知らんけど、イスラム教の狂信者でも許したんかね
半分の人は自分のため、後りの半分は行為の背景や境遇を理解できるからかな。
いずれにせよ精神力や知性のない人には出来ないことだ。
※30
「目には目を、歯には歯を。」は、やられたら同じ事をやり返せ。ただし、それ以上はやるな。
が本当の意味らしいね。
中東の奴らは譲り合い精神0で、自分の意見を100%通そうとするから、
いつまで経ってもあんな状態なんだろう。
キリスト教には「許し」があり、
日本には「水に流す」があるんだが、何でもかんでも全て流すのは難しいよな。
許すのは大変な努力が要ることだろうな。でも悲劇が起こった背景をもっと知らないと、他人には理解できないと思う。ただの美談で終わるのか、それとも教訓になりえるのか。
それが重要だ。ただ独りよがりな理由だけで大切な人を奪われたとしたら、此処で出で来た人たちも本心から犯人たちを許すことが出来ただろうか。
新宿西口バス放火事件で瀕死の重症火傷を負った杉原美津子さんは被告から届いた謝罪の手紙をきっかけに被告と文通をするようになり、裁判では寛大な判決を望みますと述べた。あいにく丸山被告は拘置所内で自殺してしまったけど。
最近では2010年3月の宮崎家族三人殺害事件で遺族の一人が奥本被告への一審二審の死刑判決の見直しを求める上申書を最高裁に提出している。
※32
本人が許したいと思ったら許せばいい。許したくないと思ったら許す必要なんてない。
それでいいんだと思うよ。決して誰かに強制されることじゃない。
他人ですら加害者には、被害者と同じ目に合わせたいと思うのにすごいね。
カルト宗教や漬け込むやからにお気を付けください。
すごいとは思うが共感はできない。つかわけわからんわ
日本人だって、アメリカ人許してるじゃん。
自分は絶対許せないなー
改めて色々な考えの人がいるんだと思った
でも自分の回りで家族を殺した犯人を許す、なんて言う人がいたら説得するかもしれない
こういう難しい事は動物さん達を参考にしたいのだけれど。
知能の高い哺乳類が肉親を殺されたとして、犯人を、その種を憎み続けるのかな?
藤田信雄は町の森の木を一本焼いただけだろw
町を大破したとか大げさやなw
多分許すに至る過程をじっくり聞いたら理解出来ると思う
でも簡潔な数行の説明を読んだだけだと、どうしても痛々しい印象を受けてしまう
「殺されました。でも彼らを許しました」の二つの文章の間に、死ぬような苦しみが詰まってるんだろうから
現実逃避ばっかしている私から言うと憎む方が難しい
あった事をすべて受け入れんといけんのやろ?
すぐ忘れたいなかった事にしたいって意味で許すよ
あまりしてはいけない事ってわかっているけどこっちが辛いしめんどいし相手なんか知らん
少し前までは、私も憎むことで生きていられた。
でも、どんなに憎んだり、恨んでも、以前のような生活や自分の体が帰ってくるわけじゃないって、最近気がつき始めた。17年かかったよ。
加害者と自分はもう全く無関係なんだ、もう苦しまなくていいいんだって、過去の自分をも許せた気がした。
自分にとっては毒親を許すこと自体、自分の中の怒りや悲しみ、憎しみを真っ直ぐ見つめて、感じ尽くして、それからやっとたどり着いたものだと思う。
表面的なものじゃなくて、その過程を経て許すことに意味があるんじゃないか。
自分が何かされて許すってんならわからんでもない。
でも家族殺されてまでその犯人許すって、精神的におかしい状態だろ。
ましてやその犯人と友人になるとか頭ぶっとんでる
そんなのは人それぞれの権利、主張。
許すことが正しいとか答えなんか絶対にない。
俺なんか仇討ちに賛同する。
許すか、復讐を果たすか。
どっちにしても重要なのはそのことに決着をつけることだ。
やっちまったことや、やっちゃったことはどうしても消えないけど何らかの形で
終わらせることはとても大切だと思う
次は復讐に成功したリストで。
※47
根底にあるのは執着・共感だと思う
復讐は、自分と同じ思いを相手にさせたい、理解させたいという執着
他人に自分の意見を強いるのも 共感して欲しいという執着
諦念とか、仏教染みた話だね
戦争や事故なら仕方ないかなと思えるかもしれないけど
飲酒運転やイタズラみたいな身勝手な犯罪は多分許せないだろうなー
戦争や政治犯はまた意味合いが違うと思うんだけど…いろいろと違和感を覚える記事だわ
一番最初のは意味不明だな・・・日本人パイロットの写真をトップに持ってくる意味ある?
戦時の事を持ち出すなら、なぜ日本人を取り上げないんだろうね
民間人を火炎放射器や焼夷弾、原子爆弾で大量虐殺されたけど、
復讐より復興を選んだわけだからね
欧米ってこの手の話題では絶対それらに触れないよね
アメリカを赦している日本。
許してるというか、壊れてしまっているんだと思う。
あまりにも負荷が大きすぎて、正気を失っている。
出ている例が、あまりにも問題としている事例とかけ離れている例が大杉。
該当すると受け取る事例もあるが、むしろ極端なイレギュラーであり、逆に異常と受け取るヨイ。
「復讐」なんかをして、失った姉が戻るわけではないと知ったフウな事を言う者もいるだろう。許すことが大切なんだという者もいる。
だが、自分の肉親をドブに捨てられて、その事を無理矢理忘れて生活するなんて人生は、あたしはまっぴらごめんだし…あたしはその覚悟をして来た!!
「復讐」とは、自分の運命への決着をつけるためにあるッ!
死なれたら実質責任もクソもなくなるから、
うわべは許したつもりでその後生かして苦しませる。死刑になんて絶対させない。
生きるほどつらい事はないからね。
何故そう考えるに至ったのか知りたい
真珠湾攻撃をした日本を許しているアメリカ
むしろ許す方が楽だろ。
あきらめるということに等しいからな。
精神的な何かが違うんだろ
>>60
同族をほいほい殺すのは人間くらいだと思うよ。
現代社会じゃ許す以外まともな選択肢ないからな。
復讐で嫌がらせなんかしても意味ないし、仇討ちも出来ないしな。
相手を理解して許せることは素敵だが、許せない人を責めることは出来ない。
戦後のどさくさに紛れて日本を裏切って侵略したロシアを許してる日本人。
許す以前にロシアに何をされたのか知らない大人も多い。
許すの意味がわからないけど?
犯人刑務所に入らなかったってことかな
もしそうなら同じ犯行を繰り返したら許した側も共犯だな
許すことで救われる面もあります。憎むことは不毛です。
ここで出てる人々はただ許したんじゃなくて、徳を持って恨みに報いた人々だと思う
ま、許せないほどの恨みや憎しみは、疲れるのは確かだよね
許す気は無いけどその感情に疲れたから、、親兄弟の事はもう忘れることにした
宗教的な側面も過程に少なからず影響してるとは思うが何をもってゆるした事になるのかわからないな
自分にはゆるすことは難しそうです
藤田ww
むしろ命令で木を倒しただけで400年物の家宝献上の上渡米謝罪とか
これはむしろ日本国が藤田に謝れよ!w
戦争で家族を亡くしたのか、第三者の悪意で失ったかによって大きく変わるだろうなー
前者なら相手を恨むだろうけど、それ以上に戦争を恨むと思う
後者だったら絶対許さない。残酷だ不毛だと言われても見つけ出して復讐する
復讐したからといって家族は帰ってこないけど、自分の家族を殺した相手がのうのうと生きてるよりマシだわ
自分を虐待した母親を許すって
絶対「違う」と思う。
許すことが自分の精神衛生にとって最も良いことだとは思います。ですが、これは個人の精神衛生というコンテキストからに限定した方が良いと思います。
日本を取り巻く世界情勢から、日本人はお人好しだから許すことを美徳して喧伝しておき、世論操作をするという意図であれば、問題になってしまうかもしれません。
国家間におけるコンテキストにおいて許す場合は、条約に基づいた厳密な線引きをしなければ、かえって次の紛争の種を作るばかりです。憎しみの再生産の道具に使われかねませんから・・・。
心配性でこんなコメントを書いてますが、面倒な世の中ですね。
そもそも許さないといっても、じゃあどうするの?って話
殺し返すわけにいかないんだから
犯人は法の裁きにまかせて自分は自分の生活していくしかないでしょ
それを他人が「許した」とするのもなんか変な話だな
相手を理解しようと勤める事は
常に必要だと思っていますが
自分自身、なかなか思うようにはいきません。
でも、相手を理解しようとする気持ちが全く無くなってしまったら
とても寂しい人生なような気がします。
まぁ何にしても赦しは自ずから生まれるから価値があるんだよね
すごいなぁ。
キリストは遠い人すぎて現実味がないけど、
こういう身近というか普通の人たちが許すっていうのは感心する。
不発弾の五味事件が載ってると思ったのに。
人が許しても神が許さない。これホント。
自分にも絶対に許せない人間が6人ほどいた。確かに一時期の間、彼らはやりたい放題でイイ目を見ていたけれど、その後、恐ろしいほどに、必ず不幸に見舞われ、沈んで行った。
倒産、失脚、大病、子宝に恵まれない、家族や配偶者が自殺・事故死、等々。自分自身は何ら関わっていないけれど、他人に害をなす人は、巡り巡って不幸を招き寄せている事に気づけていないと思う。ちょっとした他人の悪口も同様。人を悪く言っていると、必ずそれが自分に返ってくる。気をつけて。天罰(因果応報)は本当にあります。
許しは相手の為じゃない。自分の正気を保つ為。恨みの感情を教育で植え付けてる国は発展する所か自爆ブーメランの憂き目に合う。許し=自分の為に、明るい方へ顔を向ける。戦後日本人が選択したこと。
肉親を殺した犯人を許すことが正しいのか間違っているのかは解らないが
犯人を許すかどうか決めることが出来るのは家族だけだ
魂のステージがひとつ高いんだぁよ…
※80
この記事は許す経緯についての描写があまりにも不足している
これじゃ記憶喪失者の事例でしかないだろ
許すという行為は憎しみが全て消えるのか?
許した後も絶対時々犯人に殺意抱いたりしたろ
※81さまざま事例を知ると、許してはいないと思う。
「恨んでいない」だけ。
色々あって人間不信&人間嫌いな自分にとって、全く理解できない心理である
殺される立場になったらいい。
「お前は今から無意味に殺されるけど相手を許せるか?」
って。
自分が被害者になった事件の加害者を許すかどうかは自己満足の問題だからいいけど
大量殺人鬼を許したからなんやねんっていう話だよな
許したから逮捕しなくてもいい、釈放してもいいって言うならわかる
でもすでに逮捕されてるのに安全圏から言うのはお前それ許す言いたいだけちゃうんかと
許すのも許さないのも突き詰めれば自分のためだろう。
感情に流されないってのは大したものだけど、なんかちょっと気味が悪い感じもする。
※85
それそれ。シベリア抑留された人に話を聞いたが、相当酷い事されたそうだよ。
しかし、なぜか日本では一切話題にならない。おかしい。
負のスパイラルから脱け出す究極の真理か
本当に許したの?
許せるわけないよな
恨むってのは感情に基づいている、許すってのは理性に基づいている
これは人間にとっての問題だ、重大な
被害者の方たちは葛藤した上でその過ちとその人物に対しての答えをだしたんだろう
器量に限りがない怒りを支配できる道徳的超人だ
許すことは無意味だが恨んだり復讐を望むことは無意味どころか有害であることが多い
たまたま偶然が重なって恨みや復讐がよい結果に繋がることも稀にはあるし
許すことが常に正しいとかプラスになるわけでも勿論ないだろうが
多くの場合は怨恨や復讐は誰にとっても損失が多く利益が少ない結果になりやすい
盲目的に宗教などを信じることに近いかもしれない
犯人が許しを乞いにきてるのって、最初の日本人と最後の衛兵だけじゃん
許されてまともに改心しましたって例も犯人とその後親友になった人ぐらいだし
まあ本人が許しましたっていって心の整理が付けばそれでいいのかな、なんか釈然としない感じが残るけど
やっぱりこれも他の米で散々言われてる宗教の違いなのかね
罪を許す(罰を赦すとは言っていない)
自分の家族に関する事なら許せない。
だって許す許さないは死んだ人間が決める事であって生きている人間の都合は関係ない。
でも死んだ人間は何も語らない。
だから生きている人間が許す必要はまるでない。
でも、俺が死んだら残された家族には引きずって欲しくない。
それが許しを与えるという形なら好きにして欲しい。
当事者にならないとその心理は分からないだろうな。
当事者でもないのに1000年恨むとかいうのも異常だが。
難しい問題だね。
憎しみの人生も辛い。
ものすごい衝撃を受けると、脳は心と体を守るために麻薬のようなホルモンを分泌するときいた
全員とは言わないまでも何人かはその影響じゃないのか
これは「許す」んじゃなくて、「憎むことをやめる」んじゃないかなぁ。
憎んでいない=許した ではないと思う。
「愛せなければ通り過ぎよ」だから通り過ぎて、今は寧ろ無関心。
関心がないから心も煩わされず、平和。
それは私自身の為であって、さすがに関心をもってお友達とか、自分の身内を殺した裁判で救う気持ちにはにはなれないなぁ。
許しても良い
許さなくても良い
時間が総てを解決するさ
嫌なことも気の持ちようとは言うけど限度ってもんがあるわ
許した人にケチつけるようなことしなくてもいいじゃん
許す方だって自分のためにやってるんだよ
自分が許せないからって他の人も許せないに違いないって自分の感覚と違う人が存在することすら否定するの?
なんで犯罪者の気持ちを慮らないといけないの?
って思う俺は許せない派
どうぞ軽蔑なさってくださいな
許すまでは分からないでもない。
許すことで自分も解放されるのだろうから。
ただ犯人と親友になるとか友達になるとかはどうにも理解しがたい。
家族を殺されたのに許せるというのは、人でなしにも思えてくる。
嗚呼死人に口無し
いかなる状況においても自分は人を殺さないといえるか、という質問に対して悩むことのできる想像力のある人だけが、許すことができる人ではないだろうか。理性で理解しようと思っても自分は感情が拒んでしまいそうだけど。。
※104
自分が許せない人間が不幸になって全てOKって、それ、天罰じゃなくて単なる呪いだよ。んで、人を呪えわば穴二つっていってね。
まあ、実際のとこ、復讐するのも、許すのも、呪うのも、祝福するのも、どれが良いかではなくて、どれなら自分が納得できるか、って話しなわけで。
良く許せるな。
近くに住んでるとか、職場が同じとかだとしたら許すどころか、俺なら精神に異常きたすぐらい葛藤するわ。
同じルワンダ虐殺の体験者でもイマキュリーさんのように犯人を許す人もいれば
ルラングァさんのように神への信仰も捨てて嘆きと憎しみに生きる人もいる。
どちらが正しいのか?なんてわからんものだね。
後者も人間としては正しい生き方のように思えるよ
大前提として、反省してない犯人は許すべきではないと思う
残虐な殺人犯した人が反省してるというなら、
自分は反省したから利己的理由で人を殺しても生きて幸せになっていいっておもってるんだね、それは反省してないっていうんだよっていいたくなるなー
人を恨んだり憎んだり出来ない人は少数ながら存在します。無理しているのではなく彼に
とって「許す」はごく自然な事なのです。
※110
それ考えるとゲバラってすげえよな
※110※156※160※161※162※163※164※169※171※172※174※176※177※204※206※236※238※243※247※248※249※254※255※257※264※266※268※276※278※288※290※296
重く、重く、同意。
許すのも結局自分としてそっちのほうが「楽」だから選んだのではないのか・・・
犯人と一緒に当時の事件の事で互いに笑って流せるぐらいじゃないと許したって言わないよね
誰かが許さなければ憎しみの連鎖は終わらない
しかし、許しは強制するものや強制されるものではない
けどやっぱり、その連鎖のせいで無関係な誰かが泣くことになるっていうのは違う気がする
日本人でも弟を殺された人が犯人の死刑を望むも、面会を重ねるうちに死刑反対に転じたって話があった
さだまさしの「償い」も被害者遺族から聞いて作ったと言われる実話だし
相手がどうであれ、自分のために許すという選択をするのも有りだと思うよ
昔、女子高生が通り魔に殺された事件があったけど、その被害者の家族は娘がなぜ殺されたのか知りたくて、何度も犯人と面会して犯人を許して、釈放の時には身元保証人になったって聞いた
犯人が自立できるようにサポートしたいようなことをインタビューで言ってたけど、犯人を許した時の気持ちってどんな感じだったんだろうと思った
自分は人間がよく出来ていないんで、結構根に持つタイプである。恨みはなかなか洗い流せないからな・・・。
でも千発殴ったら許そうと思う。
ここまで「罪を憎んで人を憎まず」無し。
誰も許してなんかいないよ
そうでも言わなけりゃ自分がどうにかなってしまうから
許すという名目で自分を押さえこんでるだけ
読み進むにつれて一種の狂気すら感じた
否定や、マイナスな意味で言うつもりではないけれど、この人たちは罪人を許したのではなく、ただただ、現状の自分を受け入れることができた人たちなのだと思う。
人間、絶対に取り返せないことを理不尽にされたら、絶対に許すことなんてできないだろうと思う。
許すかどうかを決められるのは本当は被害者当人だけだと思うんだがなあ。
いくら親といっても所詮他人で、許す権利などないはず。
嫌なことを「忘れる」ために許すことはあるよね
許さなくてもいいケースもあると思う
「許す」ではなく「忘れる」って考えの人も多いと思うよ
許しますって宣言するのは、自分の中に救いを見出だしたいからだろうね
許すなり何なりで自分を変えないと、その後を生きてけなくなるんかな
間違ってはないけど、あまり美談とか正論みたいにされたくはないよね。
人生棒にふりそうな位めちゃくちゃ人を憎んだことあるけど、憎みたくて憎んでる訳がない。あんな辛く苦しくしんどいこと誰が進んで望むのか。
許すっていうのは、相手をでなく自分を解放してやることだと思った。
代償を払ってもらえば許すかもな
例えば飲酒運転で家族殺されたのだとしたら
飲酒運転の取り締まり活動と断酒までやってくれりゃ許すよ
※130
チンパンジーの部族戦争で共食いとかあるよ。
※130
イルカなんかも同族を殺すね。
知能の高いと言われる生き物ほど、共食いではなく群れ内のイジメや
ストレス発散で死に追いやる生き物が多いよ。
動物は無益な殺生はしない って勘違いしてるひと多いけど
シャチなんか食べないのに同種である鯨をいたぶるし、
イルカはアシカの子供をサッカーボールにして遊んだりしてる。
もし子供を殺されたら絶対に許さない。
許したら自分が楽になるだけでしょ。そんなものいらない。絶対に許さない。
許す必要はないよ。
加害者が本当に反省してなきゃ無意味
美談でもなんでもない
憎むにも体力が必要だし、憎むのに、バテてからの「許す」なのかもな。
許す。緩くする。似てる言葉だけど完全に許すから気持ちをゆるくのかもね。
完全に許すは難しいよ。
※134
呪う?深読みしすぎですね。四六時中他人を恨んでたらまともな日常生活送れませんよw 不思議と記憶が薄れて忘れかけた頃に、風の噂で相手の不幸を知る、って感じです。しかも、いつも絶妙なタイミングです。この辺が恐ろしいところ。なので、私は相手を呪うのなんてとんでもないと思っています。よって、ただ時が来る(天罰が下る)のを私は待っているのです。天知る、地知る、人が知る。悪事を行えば、いずれ必ずその報いを受けます。少なくともこれまでに例外はありませんでした。
死人に口無し、というのが引っ掛かる
日本の場合は許すというより、恨みにとらわれる心を捨てる禅の教えだな
※135
キング牧師の名言を読んでみたほうがいい
えげつない事言ってるで
マルコムXもキング牧師と握手してtくらいだし
こんな安安と許せるって
一種の病気なんじゃない?普段から人を信じすぎたりして周りから浮いてそう
自分が残された方だったらって考えたら明るく生きるなんて物凄く難しいと思うけど、逆に自分が殺された被害者の立場だったとして残された家族や友人、恋人が憎しみや悲しみ、犯人への殺意の感情だけでこれから何十年も生きていくことを応援するだろうかと考えた。
オレなら許せる。犯人を憎んでも死んだ人間が生き返る訳じゃないし、そんな憎しみの精神状態を一生持ち続けられない。楽に生きて行きたいしな。
俺には考えらんない、友人?いかれてる。
これで分かったろう・・・・
復讐はめちゃくちゃスッキリするが
憎しみしか産まないんだ!
町を大破は言い過ぎやろ
木一本倒したくらいで400年受け継ぐ刀差し出すとかw
しかも2回目の爆撃はアメリカ側気づかないレベル。
こっちは街焼き払われてんだぞ
他所の事件の囚人捕まえて、やれ刑が甘いだ極刑に処せだ騒いでるネット民とは随分違うな
でもどちらが高尚かと言えば間違い無くこの人達
加害者を許し助けたことによって、加害者は二度と同じ犯罪を犯さないだろう
第二第三の「自分」を出さないことによって被害者の心も救われる
それこそが最大の復讐なのかもしれないね
とはいえ、加害者が二度と罪を犯さない……って誓っても私は信じないんだけどね
大切な誰かが殺されたとして、その人が死んでしまったという悲しみと、殺されたという憎しみは一体のもののような気がする
許せる人はこの二つを切り離せる人たちなんだろう
憎しみをいだき続けることに疲れてしまうのだろう。復讐が許されない社会においての代替行為だと思うよ。
シグルイの世界みたいに仇討ちが法的に認められたら、
許した方の人は怒りを爆発させて犯人を八つ裂きにすると思う。
周囲の人は、「許したのに何故?」とあっけにとられるだろうね。
歴史的な出来事や事故ならわかる。
ましてや謝罪したなら…
それ以外、悪意を持って、あるいは楽しんで人殺しをした人間を許すことは私なら出来ない…他人ですら怒りが込み上げてくるのに、身内がやられたら、何処までも追いかけて、それ以上の事をしてやりたい。今正にその渦中
まだ私は幼いんだろうね。
加害者を恨むなとは口が裂けても言えないけど
自分や親しい人を傷つけた相手を許せる人間は絶対的に素晴らしい人だと思うわ
日本だとこの手の話をあまり聞かないのが悲しいな
ツケは払ってもらわないと不公平(アンフェア)だ。
藤田信雄の話は書き方がちょっと違うと思うんだけど。
今の書き方じゃ、藤田が自分自身の意思で日本刀を持って謝罪に行っただけと取られると思うな。
実際は、アメリカ本土を攻撃した英雄として戦後招待されたんだけど、藤田は戦犯として辱めを受けるなら日本刀で自決するつもりだったみたいだね。
宮崎家族三人殺害事件で一審二審死刑判決の奥本被告は大人しく口下手で口喧嘩すらした事が無く、ずっと我慢に我慢を重ねて生きて来た。それが義母からの「離婚しろ。慰謝料ふんだくってやるから」の言葉に切れてしまったらしい。
妻や子も殺したのは「殺人犯の妻」「殺人犯の子」と呼ばれるのを不憫に思っての事で憎しみからでは無いようだ。今は拘置所内で写経の日々を送っているとか。
遺族の一人は「三人を殺した人の命もやはり尊い命です」と死刑判決の見直しを求めている。
自分にはできない選択です。
今が幸せなんでしょうね。
これ全然当てにならないな…ひょっとしたら裏で結託してる計画殺人が
たまたまばれてないだけかもしれないし、何か理由があって死んで欲しかった人間が死んで
なんとも思ってないだけかもしれない。
私の場合、犯行の状況や背景を知って犯人が反省したことを私自身が確認できれば許すべきではとは思う。許さないことは自分自身にとっても周りにとってもマイナスでしかなく負のスパイラルに入ってしまうことはわかっているから・・・戦争やケンカが始まることと同じように・・・だけど本当にそういう状況になったとき、今思っているように行動できるか自信はない。いつも自問自答しています。
上記の人たちが何の葛藤も苦しみもなく「許す」を選択したと思った人がちらほらいるのが不思議
当事者にならなければ想像もつかない地獄の苦しみを乗り越えたうえでの選択ではなかったのか?
最近の自分テーマだったんだよなあ、許し。軽く思えるかもしれないが、他人の副流煙とかね。
人の健康を害する毒を、他人に吸わせる気分ってのはどういうものなんだ?と思ってるわけだが、それをもし「許せる」としたら、どういう心境になればいいのかな、ってな感じに。
最近子供も産まれたんで、余計に街中を平気で歩きタバコしてるアホを見る度に考えるんだよ。自分の子供に危険を与えてるこいつを、どうしたら許せるだろうかって。
そういえば、許されることがなかったら「アメイジング・グレイス」を聞くことはなかったかもしれない。
ただケースを羅列して「ところが、許したのだ」言われてもな…
赦すに至る葛藤こそが意味あるんじゃないの
ある過失があり、加害者と被害者(自分)として憎しみあった時に感じたこと。
客観的にみれば悪い方が謝り、それを受け入れ許すもんだと思うだろうけど現実ってそうもいかない。大きな罪悪感を前にすると人は対処しきれないと怖じ気づいて逃げたくなる。開き直り、自己正当化、論点ずらしや責任転嫁や揚げ足取り、事実の歪曲。そういった行為にまた傷付き、憎む。向こうももう戻れないどうせ許されることはないと思い自分の無反省で回避的な方向性を助長させていく。
反省してない奴は許す必要ないと思うって意見があるけど、許すっていうのはこの負のループを断ち切る手段のひとつだと思った。反省してるから許す、が通用しない時もある。弱い人間だったり、犯した罪が大きい人間ほど許されないと思って逃げてしまう。許されたから反省する、逃げずに向き合う。ここに上がってる例は、そういうことなんじゃないかな。
許すってされた事を忘れる事なのか?
憎しみを手放す事なのか?
共感して憐れむ事なのか?
どうしたら許してくれるんだ
美談みたいになってるけどなんか気持ち悪いな
なにしろ犯人がどう反省したかがまったくない
反省してないのに許すには言語道断だし
十分反省していると思われるのにまったく許さないのもどうかと思う
犯人次第なのにそこを無視して許した素晴らしいみたいなことやってるからおぞましいな
許すというか・・・
「精神を崩壊させないために」「生きる」ために「怒りを放棄」した
それが「許す」、と捉えられているだけでは?
本当に許すかどうかを決められるのは亡くなった被害者だけだと思う
ここにあるのは極端なケースだ。親友になるだとか、殆ど病的とさえ言えるケースもある。
そして「わたしなら許せない」というたくさんのコメントには、理不尽を許したくない、被害者に起きた不条理を共に悲しみ怒りたいという共感、優しさが感じ取れる。
しかし「許す」を選択した彼らを責めてはいけない。
怒りや恨みは生きるエネルギーにもなるが、彼らは明らかにそんなレベルを通り越して、一度は完全に空虚になったに違いないのだ。
復讐や怒りや死を選ぶほうがずっと楽で、しかも自然なことだったに違いない。
しかし彼らはそれをしなかった。もう一度人々の間で、人間の世界で生きるために。
もう一度生きるためにはどうしても許さなければならなかった。そうしなければ生きていけなかった。そんな彼らの決断に、どうして他人が口をはさめよう。
カラパイアで世界の様々な辺境、少数派、自分を貫く者たちの輝きを愛してきた皆なら、わかってくれるはずだ。
彼らの決断は、他人の視点とか、倫理とか、理屈や感情さえ超越して、ただ生きるために必要なものだったということが。
英語に疎いですが、本文上も「許す」の字が適当な文なんでしょうか?
上に出てこられる方々は、宗教的にキリスト教の方が多いようですが、
キリスト教だと「許す」じゃなく「赦す」と表現します。
この記事内容だと「赦す」の方が適当に感じます。
なんとかして、どうにかして、人をゆるす事が出来る人、
なんとかして、どうにかして、人をゆする事が出来る人、
どちらかを選ばなくちゃいけないなら・・・
前者のやうな人になりたひ。
凄く難しいことだと解っているけど。
犯人を憎むことに疲れた←わかる
犯人を愛している←わからない
愛しているとか許すといった言葉がものすごく軽く使われているように感じた
関係者であってに事件発生時点での気持ちすら同様ではないだろう
悲劇に対して価値観の一般化は完全に不可能で
許すことそのものを一様にすばらしい事として位置づけるのには違和感を感じてしまう
簡略なエピソードしかないのでなおさら
日本人の僕としては、赦す前に、本人にケジメをつけてもらいたいと思う。
俺は怒りや憎しみや悲しみの感情が長続きしない。
なにかあったときには怒って、憎んでも、一日たたずに飽きてしまう。
きっと目の前で家族を皆殺しにされても、十日もあれば怒るのにも、悲しむのにも飽きてしまうだろうなあ。
そして家族を殺した犯人に対しても、とくになにも感じなくなるだろうなあ。
山中でボヤ起こしただけで、町大破とかマジ片腹
自刃目的の刀が、その場の歓迎ぶりに押されて寄贈しちゃっただけで、許しを請うとか衛星軌道上ぶりの上から目線すぎる
犯人を許すのは、イかれてるだろうか?だが、惨めな状況に置かれ、精神的な極限状態でどう思うかは、呑気に記事を読んでいる我々には計り知れない。何の落ち度もない彼らが、許してやるというのなら、我々がそれは間違ってるという必要はないんじゃないか?
この前別れた元彼すら許せない私には無理な芸当だわ
本当に死ぬような思いの時、仏教感で物事を考えれば、とても救われて、許すことができるかもしれないけど。
でも、それでも許すっていうことがどれほどのことか計り知れない。大切な人殺された恨みとか憎しみと必死に戦ったんだと思うと胸が痛いな。自分だったら絶対に許せない。
一番最初の戦争のは違うだろって感じだな
戦争なんだから一個人が許す許さないも無いわ
にしても殺された被害者はそれで終わりなのに遺族が犯人を許すとか…
ここまで来ると逆に不自然で気持ちが悪いな
宗教ほど矛盾して身勝手なものは無い、要するにある事を主張すると必ず否定するものが生まれる、そう自ら敵をつくっているに過ぎない、自作自演ともいえる
で、戦争の事が出たが、>>真珠湾攻撃はアメリカが日本を罠に掛け攻撃する様にさせた、重要な空母や戦艦は沖に全部出港させてたし・・って工作員なの?もっと歴史勉強しろよ、それから日本はアメリカを赦すとかじゃ無い強制的にアメリカの行いを言わない様にし、アメリカの日本弱体化計画の中に言わせない様にする計画が有った、その一部がTV(マスメディア)新聞で国民誘導や娯楽のプロレス・パ千ンコ・芸能界などが有る
工作員か無知者か知らんがお前達は罪だよ罪、他の日本人に迷惑だから
赦したというより考えるのをやめた、諦めた、すべてを忘れ楽になりたかったように思えるのは邪推だろうか?
25番は前にテレビで全然被害がなかったっていってたような気がするけど。敗戦国の軍人が戦勝国の本土を攻めたのでお咎めがくると、当人はビクビクしてて、実際呼ばれたら歓迎で、それに応える形の贈答じゃなかったっけ?
同じ『許し』でも千差万別だよね。
ネットを見ていると、逆に憎み、恨み、相手に怒りをぶつける人が増えていると感じるわ
許したと見せかけてからの復讐でしょ。
シナリオは着々と進行中なんだよ。
捏造してまで許さない人(国)に比べれば、許す人たちは凄い。
しかし微妙なのが、自分がやった悪事を良いことだ、とするタイプ(米国の調査では、原爆は良かったと思う人のほうが多いから、そういう教育してんだろうな…みたいな話)。
反省のないタイプは許したら被害者がかわいそうだと感じてしまう。
関係ないが、「復讐したって被害者は浮かばれない」とか言うドラマあるけど、安易にそうこと言うドラマは大体駄作なんだよな…
とにかく、特殊な話だと思いたい。
許せたらあとは平穏なんだよね。それができたらいいのだが。
日本人のメンタルは江戸の仇を長崎で討つとかだからなあ
人間の善悪はあてにならないので
曖昧・中庸は大事
信仰の違いかな
仏教では、悪人には死後に何らかの制裁が与えられる
だから死後の制裁を望んで耐える的なものが日本人には染み込んでる
キリスト教は罪を許した者こそが神の元へ行けると説く
悪人は神の元へは行けないから、その時点で罪を受けた事になり
罪を許した善人は、その時点で救いを得るって考え
「怒りや憎しみは自分自身を駄目にしてしまう」
記事に書かれた通りだと思う。
だけど、それに気づくのには時間かかるし、一生気づかない人も居るかも。
「憎む」という行為は、社会か何かに裏切られ、
恨みや不満や怒りが原動力となり、罪を犯した犯罪者の心に近いと思うよ。
なので、心を緩やかに切り替え、
過去に対して執着しないようにすること、「許す」ことが必要になってくる。
加害者に対しても、自身に対しても。
許すってのは何も
「ハァイ!昔はなんやかんやあったけど、GODが言うからもうチャラだよ!イエーイ!!」
ということではないんだよね。
まあ現代の日本の宗教観(倫理観?)では難しいことかもしれない。
目には目を歯には歯をみたいな風潮が強いもんね。
自分なら許したフリをして犯人と面会し、サクッとやっちまいますが。
心の中で恨み、憎み続けたって事態は変わらないからな。
怒りというのはストレスとなりそれだけで健康を蝕む。
自分自身の為には心穏やかで居た方がいいんだろうが難しいな…。
「相手を許しなさい」ということは色んなところで言われているけれど、
それは自然に悟りを得られて初めてそうなる境地。
頭で許したつもりになっている、賢者になったつもり…単なるムードメイキングで、
「相手を許す」という本当の真理を悟っているとは言えない。
人が、単なる概念に従い、
頭で許そうとすると変に苦しむし、精神が狂う。
許す…ということはそれを悟れて、自然に起ること。
「許せる状態」とはまさに神秘体験。
その境地に至っていない人間が、その思想を人に突き付け説教をし、精神を狂わせて、
支配しようとする。。
「加害者を許す」=良い事という概念で押し付けることは、人を責め、苦しませ、精神を惑わせる。こういう偽善の概念は、よくある宗教のマインドコントロールの手法だよ!
このような不自然な思考は人間にとってとても良くない。
怨む心や許せない怒りを認めることのほうがずっと大事!
仕返しだって復讐だってするほうがずっと健康的。
許せるってことは失ったものがそれほど重要じゃなかったからじゃないかと思ってしまう
愛がない家族なら殺されたってそれほど痛手にはならない
そもそも頑張って許すこと自体、自然に反している行為で、
こういう宗教的な教えは人を支配するのが目的の嘘。偽善。
人に悪いことをされて怒ったり憎んだりするのは自然の法則だし、宇宙はそれを罰したりなんかしない。乱暴に壁にボールをぶつけたら、強くこちらに戻ってくるものだし、優しくぶつけたら優しく戻ってくるのは当たりまえ。
強く投げて優しく戻ってきなさいという教えは、偽善で、人を自虐させてマインドコントロール下に起き、支配するのが目的の、上層部の作り出した概念。
復讐は、人の知性の限界が作った法律では罰せられるかもしれないけれど、自然や宇宙は何も罰したりなんかしないよ。
聖人は本当は「人を許しなさい」とは言っていないんだよ。
悟りを開けたら自然に「人を許す」慈悲や慈愛の境遇が訪れると説明してるだけ。
人に悪いことをされて許せる慈悲や慈愛は、悟りを開けたものだけにしか解らない、
まさに神秘体験の境地。
人が頭で行ってできるようなものじゃない。
イジメのトラウマ持っている人が精神的に救われるためには、イジメっこを「許す」事が一番の方法だって聞いた事がある。
結局怒ってても状況は変わらないし、自分に何も益がないからね。
今回のケースの人たちも、他の加害者を許さなかった人たちより幸せな人生をおくってるんじゃねーかな。
戦争と犯罪を同列に扱うのはおかしいと思います。戦争が国家による犯罪行為なら、国の命令で戦った兵士は、みな犯罪者になってしまいます。個人的な殺人と、理不尽な大国の圧力に抵抗したレジスタンスを、いっしょにしないでください。
許すことが、そんなに偉いことだと思えないね。
許すのは無理だけれど無関心にならなれると思う。
二度と会わなくて済むなら、忘れる努力はできる。
悪いけど、頭おかしいんだと思うよ
そういう自分に酔ってるというかね、許すことで自分が忌まわしい記憶から
開放されたいとか、逃げだと思うよ
人の痛みが想像できないから殺された人の無念とかが分からないんだろ
胸くそ悪いと感じるのは私が汚れてるからか?
遺族が許したからなんなの?
本当に許しを乞わなくてはいけない相手は、亡くなった人だよね。
それができない以上、誰が許そうが一生罪を背負って生きていく義務がある。
許す、許さないは好きしてくれて構わんが
許すことは素晴らしい→みんなもこの素晴らしさを味わうべきだ→団体立ち上げ
こんな流れはいらんだろう
押しつけがましい人にしか見えん。
許す許さないの選択は心に留めておいて外部に持ち出さないで欲しいなぁ・・・
友達になるっていうのがわけわからん・・それって無茶しようとしてない?
よほど改心して社会貢献的な仕事もする別人になったらともかく、合わないほうがいいいだろう。戦争とか、大きな社会的背景があるものなら、共感は出来るってのもわかるけど、しょうもない犯人を丸ごと許すのってどうなんだ。彼は最低な過ちを犯しました、少しでも反省して更生してくれることを願っています。というならわかるよ・・。
日本軍機のオレゴン空襲て街を大破どころかちょこっと山火事起こしただけじゃないか
凡人の僕にはどんな理由があれども犯罪者を許す事などできない。
何故なら僕は賢人ではないから。
凄いとは思うけど偉いとは思わないな
面と向かって話したら解り合えたとか怒りと憎しみは自分を駄目にする
とかはまだ解るような
宗教は想像できないな、やっぱり普通の日本人の感覚ではピンとこない
それと記事もそれ程詳しく書かれてる訳ではないのでちょっと疑問が多い
しかしコメント殺伐としているな
流石に許すことが素晴らしいとだけ吹聴したり思い込んだりなんかしないけど
こういう人たちが世の中にいっぱいいるんだなって思うと怖い
苦しいからこそ許せた人もいるでしょうね。憎悪、恨みからの解放は許す、忘れるしかないような気がします。
もう一つはそこまで犠牲者に対して愛情など気持ちが無かった、お金が入ってきたから許せたというのもあるかもしれないですね。
宗教でマイナスからプラスへ逆にプラスからマイナスへと心理を揺さぶられることもあるでしょうね。
基金設立は文化なのか
「怒りや憎しみは自分自身を駄目にしてしまう」
本当にそうだと思う
許さないと、自分が一番苦しい。一番忘れたい、憎んでいる人間の事で、自分の人生が支配される事になる。四六時中、一番関わりたくない人間の事を考えるようになる。
強い怒りは、その人自身の身を滅ぼす。本当に病気になる。
許す事は自分に取って最善の選択肢でもある。自分の中の怒りを認め、それを手放す事だ。
でも、それが分かっていてもなかなか出来ない。その方法を私も知りたい。
不幸にされたからやり返す、で止まってしまう人間は破滅に至る
不幸にされたても、また幸せになろうと頑張る人間は、時間が許す限りいずれは幸福を勝ち取り、その時の不幸以上の幸福を得る
そして過去の不幸などちっぽけに思えてくる、そして許せる
しかし、それは本人が不幸から脱しようとする気力と、周囲のバックアップが不可欠
初めから不幸から脱する気のない悲観主義はそこで終わり
犯罪までいかなくとも、日常の諍いくらいは許せる様になりたいね
絶対に許さない。絶対にだ。(`;ω;´)
許せたらきっとラクになれるのだろうが自分には無理かもしれない
せいぜいあまり思い出さないくらいが関の山だ
自分を30年近く牢獄に閉じ込め、財産を奪った白人達を「許す」と言った、ネルソンマンデラが入ってないぞ。どういうことだ?
オレなら絶対赦さない。法が赦しても探し出して報復する。
エルメェス兄貴の台詞でも貼っとけばいいんじゃないかな?
※みたけど「俺は許さないから許す奴らは頭おかしいかおかしくなってる」みたいな意見は違うでしょう
許すも許さないも本人の権利と意思。他人が勝手な正義感で口を挟むことじゃない
俺なら許せない、なら分かるけどそこから相手の人格批判しちゃいけない
どちらかの意見が絶対的に正しいなんてことないんだしさー
エルメェスはエルメェス個人の考えでしかないわけだし
靖国の精神だな
(民間人無差別虐殺した敵国兵士でも等しく祭ってる)
昭和天皇は国家と自分の恩人を殺したテロリストまで
平等に祭る靖国に対しての不満を良くもらしてたが
相容れない価値観を共に重んじつのが本来の日本
戦争に利用していた方に問題があったのだから
その復権という面で言えば「敗戦」ではない
内戦で負け「信教の自由を奪われていた」
靖国から言えば「反撃」であり「勝利」
なお欧州のノリだと元々身内同士で戦ってるのもあり
墓地は他国の兵士=自国民を殺した相手も区別しない
これは貴族=ベルセルクの神である主神ヴォータンが
ワルキュリエに命じてヴァルハラに招いてやることが
「毎日の全力の殺し合い」であるという点が大きいな
現世や来世ヴァルハラの戦争は全て、未来に発生する
世界そのものの危機に備えた実戦形式の訓練って訳だ
貴族の義務=ベルセルクの義務は最初に殺し殺される
(ノーブレス~)ことで、便衣兵が発覚即処刑なのも
ベルセルク(熊皮)=軍服に伴う義務に反するからだ
「互いの攻撃目標は、同じ軍人でなければならない」
敵味方や国家を越え、貴族=軍人は人生観を共有する
もし魂が存在したとして
自分をゴミのように殺した犯人を親が許したなら
絶望で魂まで引き裂かれそうな気がする…
許す許さないは個人の自由
ただ俺は愛する人を平気で殺した人間を笑って抱きしめてやれるほど寛容ではない
重大犯罪者はすべからく後悔して死ぬか、苦しんで死ねばいいとすら思っている
許しちゃいけないものもあると思う
許すことも大変な気力と言うか、決断力は必要なんだろうな
でも恨み続けるのも、それはそれで大変そうだ
俺みたいな凡人は、多分どっちつかずになって
最後は、許しではなく諦念から忘れて行くんだろう
許す事。これは人が人として最も尊い行為である事には違いない。それは自身の感情を押し殺してまで許すのではなく、まさに赦すという事なのである。この不確かで不安定な宇宙にあり、それこそのみが崇高な精神と言えるのでないか。最も、その境地に至るまでの道はとても厳しく、誰にでも理解し得るものではない。
私達は過去に生きていない
未来に生きているんだよ
良い事なんだろうとは思うが、どうなんだろうな。俺には気持ち悪いとしか思えん
俺が嫁や家族を殺されたら、とても同じように許す事など出来ない
この記事を読んで許した人々の事をのかとしか思えない俺は、醜い人間なんだろうな
相手の状況や、確信犯・事故などの背景を理解し、納得して許すことは理解できる。
ただ友達になるってのがわかんないや。絶対無理!
私だったら、何時間でも問いつめる。全ての回答に裏とりをして、ダメ出しもして
しつこくしつこく尋問して、すべての矛盾点も明らかにさせる。
それでも納得しないけど!
日本だと松本サリン冤罪のK氏と元オウム幹部F氏だな。刑期終了後、F氏がK氏の自宅に泊まるくらいの交友になったらしい。
ゆるすもなにも、方向性の違いと言うか、感受性の違いと言うか
家族が勝手に許すのと、本人が許すのは別の話だし
不幸な事故で加害者に為ってしまったケースと、故意に遣るのは別問題だし
本人がドMで暴行されて喜んだり、被害者に為る事で喜びを感じる精神病者なのは、もっと別次元だと思う
加害者の境遇に同情したり、加害者の態度でもういいや、って、為ってしまう事も有るし
会ってみたら自分と同レベルの屑で意気投合な底辺コンビって言うのも有りそう
あと、政治的な態度と言うか、許すと言う態度で自分の株を挙げようなんて言う打算だってある筈。
この記事自体の作者は絶対キリスト教やな、偏ってる
自分が家族を殺されたとしたら…と考えたら…
家族を失ったことで金銭的とかetcで失うものがあったらそれにたいしては権利があるかもしれないけれど
私自身には、憎むという暴力を振るう権利も、許すことでそこから救われる権利もない…と思う
そのなかで、加害者から許しを乞われた時にできることは、被害者の気持ちを汲んで代弁するように努めることだろうなと。
許しに善悪はないけど暴力には強い抵抗がある。
実際は憎くてしょうがないだろうけどね
これって、許す「べき」とか許さない「べき」や、
許す「必要」があるとかないとか、っていう話じゃないよね。
憎み続ける「権利」のあるなしでもないと思う。
大切な人を惨殺されたら、私なら決して許さないだろうって思う。
けど、これってそれを体験していない自分が言ってることであって、
実際にそれを体験してしまった場合、もしかしたら、
許さないでいることは、今の私が想像する以上にものすごくきっついことなのかも。
だとすると許すほうが楽ってことになるから、そのための試行錯誤をするかも。
でも、もし相手が反省してなくて良心を痛めてもいなかったら許す気持ちにはなれないな。
これは他人に起きたことであっても。むしろ恨みが募るかも。
一方で、相手が、「許す理由」というか「許す気持ちになれるような何か」を提示してくれること前提なら、許せるのかもしれない。
ただ、
犯人を許した人のことを理解できないからという理由で欠陥人間呼ばわりするのもいやだ。
犯人を許さない人のことを狭量とも思わない。
経験してないうちに断定的に語るのはちょっと違うかもな。
人間は自由意志で活動していると本気で考えてwいるのか?
許せない人間は、自我の運が社会的にただ良かっただけと選択しろ。
許す行為がとても勇気のいることなのはもちろんだか、終戦後わざわざ家宝をもって謝罪しに行った藤田氏の勇気にも感動した。
許す許さないが、正しいとか間違っているもないけど、
許せないのは、社会的概念に過ぎない。
心の平安は許すことで訪れる。
全体が起こす出来事に
いつまでも自我が介入しても、
いつまでもストーリー(苦悩)と一体化して、
自由を縛られてしまう。
それぞれが個別に(自我)が生きているという、
この幻想に気ずいた時には、
全ての現象を許せるはず。
これをことさら美談のように語ることや、精神の問題について無理解にすごい!素晴らしい!と賞賛して、憎悪を消さず次の犠牲者が出ないように活動している人間たちを貶めるようなやり口は間違っている。
それだけは、間違いなく間違っている。
許すことは素晴らしいこと。なぜなら許すのは難しく、憎むのは楽だからだ?
極めて能天気な発言だ。犯罪被害者に、楽な道などない。
加害者によって穏やかだったはずの道を悪路に変えられてしまったのだから。
犯罪者の側に同調して理解を示すことで心の安定を得ること、犯罪者を憎み次の犠牲者を減らすために情熱を注ぐこと。これは犯罪者によって病まされた精神のバランスの取り方の違いに過ぎない。
また、戦時の極限とただ快楽や金のための犯行を混同して語るのも間違っていることも付け加えておく。
ここまでのコメントを許す
許したい人はどんなひどい目にあっても犯人を許せばいい
だけど私は許すなんて選択肢は選べないし、許す選択を強要してくるならそいつらも叩き潰す
理由はどうあれ、理不尽に命を奪われた人の無念はどこにいけばいい?
難しいな
犯人が罪の重さを感じて悔いていても自分にできるかは難しい
※245
一生を犯人に対する憎しみに費やせってのは酷な話だと思うんだけどな・・・。
あなた相当ひどいこと言ってるよ。遺族に対して。
あなたが遺族の立場になったら、許そうが許さまいが好きにしたらいいよ。
けど、この人たちだってきっと苦難の道を経て許すという結論にたどり着いたんだろうから、逃げと決めつけて他人のあなたが非難するのはどうかと思うよ。
復讐は正解かもしれないけど常に最善の選択ではないかもしれないってことかな??
まぁ人間は全能でないからこそ犯すにせよ裁くにせよ絶対というものは無いのかもしれんね
強い人だなあ…
こういう精神の人が憎しみの連鎖を断ち切るんだろうなあ。
自分なら許せない。
赦すことは崇高なもので、みんなが目指すべきだと押し付けられるのが気持ち悪い。
受け入れられない。
赦すことは勇気がいると書いてあるが、自分には全く意味がわからない。
己の苦しさを和らげるための赦しなら少しは理解できるかな。
※248
団体立ち上げは基金とか飲酒運転撲滅運動とかで、許すことのすばらしさを説く団体じゃないんじゃね?w ほかにも押し付けがましいとか言ってる人いるけどwさすがのそこまで馬鹿というか押し付けがましくはないんじゃないか
それを言うならこういうことが美徳になってるキリスト教に言うべきだね
許せた方が心が楽なことは確か
だがそのなんと難しいことか…
復讐したいけど実際出来ないから許すしかないんだろうよ
こいつらだってもし復讐に限って殺人、傷害OKだったらやったと思うけどな
許した寛大な自分に酔いしれて生きた方が楽かもね
他の「良いこと」は、心情が理解できて可能なら自分も真似たい・そうなりたいって思えるけど、家族を殺されて許すっていうのは本当に意味がわからない。「仕方ないと諦め」て大事な人を失ったことを受け入れる、までは年月をかければできるかもしれないけど、加害者の境遇を思いやって更生や幸せを祈るなんて本当無理。絶対無理。この「許した」と言える人たちの感情が不思議というか全く想像つかない。自分は魂が未熟なんだろな。
コメント欄が正に許すことの難しさを証明してる気がする
基本的には人を許せる人間でありたいし、皆が心の中にそういう願いを持って欲しいと思うけどな
宗教的で気持ち悪いと言う人もいるけど、皆が互いを許せるなら、それこそ悲惨ないじめや事件が起こるのを防ぐ足掛かりにもなると思う
とても難しいことなのは、分かっているけれど
御巣鷹山の飛行機事故の本を読んだのを思い出した。
本人確認が体の部品からしかできないとき、日本人の遺族の多くは失われた他の部分も探したがる。あの世に行ったとき、足がなければ歩けないし手がなければ食べられなくて可哀想と。
でも、外国人の遺族は死亡が確認されたら遺体は他の身元が判別できない遺体と一緒に火葬してかまわない、持ち帰る必要はないと。
死は神の元へ行くことで不幸ではないのね。
日本人は死後も魂となって存在してると感じるけど、キリスト教の外国人の死は浄化なのかな。
殆どの人が許せてないと思う
本当に「許した」人は相手の事を気にしないから
本にしたり、それを語ったりするのは褒められたいとか
別の要因があってそうしているだけ
「私は○○を許しました」これは嘘です
ローマ法王は許して当たり前じゃん
許さなかったらキリスト教全否定になっちまう
読み進めていくうちに冤罪を疑うようになった
汚れているのだろうか・・・
犯罪者を許したというより、自分を絡め取るありとあらゆる苦痛から解き放たれるための方便のような……
米欄見てビックリした
許した人間を馬鹿だとかヘラヘラしてるとか中傷する必要あんのか?
自分は許せないだろうと思うならそれで留めたら良いじゃないか
許した側に何かしら問題あるかのように言うなよ
あと日本人がトップなの気に入らない人もズレてるよね
日本人が多いサイトで日本人の関わる話をトップにして何が悪いんだよ
なるほど
みんなのコメント見たけど、意見が分かれてるのがわかるよ
まぁ、意見の違いがあって当たり前かな
長文、失礼するよ
わたしの意見になるけど、わたしはね加害者を殺したいと思った事が何度もあったよ
数ヶ月前まではね
その事を高校の先生に言ったんだ
そうしたらね先生からは「憎しみが憎しみを生む」「相手を殺したらあなた(わたしに対して)に復讐されるとも限らないよ」とね
それ以来、わたしは考え直しているんだ
わたしは落ち着いてる方なんだけどまだ未だに殺意はあるかな
続き↓
そんな暴れる心に対して忠告しているんだ
殺意に至るまでの経緯を否定しない上でこう忠告してるよ↓
「自分が復讐される事にもなるが?自分の知り合いに復讐されてもってか?」
「殺す勇気はあるのか?」
心の返事はこう答えたよ
矛盾しているけど
殺意がないと言ったら嘘
でも殺すのは怖くないと言ったら嘘
やっぱりムカつくものはムカつくよ
でも加害者とは言えど、殺す事に関して罪悪感がないと言ったら嘘かな
それにさっきも言ったけど復讐し返されるのも怖いんだよな
続き↓
難しいね
でも、溢れんばかりの感情をそのままにするのではなく自分で頭と心で会話するとするよ
これからどうするか
どうなるんだろうね
わたしはただ自分自身の過去と今そして意見を言いに来ただけ
わたしは決して賛否両論を邪魔しに来たんじゃないんだ
許すか許さないかは最終的には己の心だからさ
長文になったね
ここまで読んでくれてありがとう
コレは美談とは言いたく無い!
殺された家族への愛情が薄いとしか感じられなかった。
被害者本人が許すのは、まだ理解できる。
私は許せないことなどないが、所謂普通の人々と比べると精神や思想に多くの欠落があるように感じている。私の場合、心の何処かに無関心という前提がある。
楽に生きれるが、物足りないので許せない人が羨ましいと感じることが多々ある。
許しを与えられるのは手に掛かった当人だけだと思う
それは最後の審判の時に聞くしかないだろうし、それはそれとして人界での裁きは受けねばならない
開き直ってる動物虐待者、性犯罪者、児童虐待者、DV加害者はどうしても許せない
その人にはその人なりの経緯があると頭ではわかっていても・・・難しい
他者の苦しみに無関心を貫けば自分だけは心穏やかに生きていける
でも、本当にそれでいいのかな
他者への不正に対する憤りがなかったら、この世がよくなることはないのでは
許すってのは罪を憎んで人を憎まずってことと
自分が前に進む為に必要ってこと
許す派はほんと馬鹿だな。まず自分が殺されたとして許すかどうか考えろよ
自分に非が無い場合、それでも加害者許せるとしたら本物だよ。本物の馬鹿ね
個人的には仇討ちは絶対認めてはいけないと思う。
法があるから人は安心して生きていられる。
ぶつかっただけで逆恨みされて殺されても、それが正当だと判断される
世の中にはしてはいけない。
この人たちは赦すことを選んだ。もし自分が同じ目にあったら、たぶん赦すと思う。
憎み続けることで自分が罪悪感に苦しむだろうと思うから。
一生憎むという人も多いが、その人たちは果たして同じ目に遭った時に
その心を持ち続けられるだろうか?個人的には同じくらい辛い選択だと思うよ。
8. 実の娘と孫を殺した義理の息子を許したロン・トックネル
娘は殺されてませんよ
恐らく、滅多に無い様な事だから
話になるんでしょうね。
みんなそれぞれの理由がある
他人を許そうとする人を俺は責めたり笑ったりはしない
だが俺の髪について笑ったやつを俺は許す気はない
許すことなど決して