野党共通の公約を抽出し、その実現に特別の位置づけを

 総選挙後の国会にどう臨むか、共産党の田村智子委員長が述べています。

www.jcp.or.jp

 総選挙での国民の審判によって生み出された「少数与党国会」となります。これまでの「自民党1強」のもとでは、国会審議を軽視し、数の力で法案を押し通す政治が横行しましたが、同じやり方は通用しません。新しい国会では、行政府に対するチェック機能を発揮し、徹底した審議を通じて、国民の意見や要求を反映した政治を進めるという、国会の本来の役割を果たせるのかどうかが問われます。この点で、すべての政党の真価が試されることになります。

と田村委員長が述べているのは、まったく正しいと思います。

 これをもっと短くして、その要点を述べるなら、「要求実現へ政治が動くチャンス」だとそのポイントをまとめることができるでしょう。

 総選挙後に、国民民主党の動き方というのは、彼らなりにこのポイントをつかんで、存在感を示している、ということになります。

www.jiji.com

 石破政権の「熟議」アピールも、メディアが

少数与党という窮地を逆手にとって、新しい政治への転換を図りたい――。そんな石破首相の意気込みはうかがえた。(朝日社説、11月30日付)

というように、石破政権なりの適応だというわけです。

 つまり、各党はすでにそういう対応を始めているのです。

 では共産党はどうでしょうか。それが田村さんのあいさつなわけですが…。

 私は一言で言えば、「野党が共通している公約・政策要求を抽出して、その実現には特別の位置付けを与えるべきだ」という戦略が欠けているように思います。(「野党が共通している公約・政策要求」は、場合によっては例えば維新は反対しているが公明党は賛成しているので多数になる、というものでもいいと思います。)

 「野党が共通している公約・政策要求」というのは、少数与党国会では特別の意味があります。なぜなら、与党が反対しても、議員立法で野党が法案を出したら、国会の委員長も野党が一定握っているわけですから、通っていく可能性があるからです。

 もちろん、それはそんなに多いわけではありません。

  • 企業・団体献金の禁止
  • 選択的夫婦別姓
  • 教育費無償化、負担軽減への改善

などが挙げられるでしょうか。(間違っているかもしれませんのでご指摘いただければ幸いです)

 しかし、「実際に政治が動いて実現する」というのは、ものすごいことです。単に国会で自分の党の主張を述べていればいい、というレベルとはわけがちがいます。

 こうした政策については特別の位置付けを与えて、何が何でも実現する、という動きを共産党として先導すべきだと思います。

 しかし、残念ながら、田村さんのあいさつには、こうした政策への特別の位置付けがありません。企業団体献金の禁止と政党助成金の廃止をどうして並列に並べてしまうのでしょうか。あるいは、選択的夫婦別姓と軍拡問題をどうして一緒に論じてしまうのでしょうか。

 A「企業団体献金の禁止」とB「政党助成金の廃止」。

 A「選択的夫婦別姓」とB「軍拡問題」。

 AとBはまっっっったく意味合いが違います。Aは野党共通のものとして実現できる可能性が非常に高いもの、Bはそうでないものです。同列にしては絶対にいけません。

 各党の公約を丁寧に洗って、共通しているものを抽出すべきなのです。

 その際、ややあいまいなもの、例えば教育費の無償化などは、共産党として意義付けをして、問題を提起するのはアリだと思います。その点で、大学の学費値上げをやめさせようという提起を共産党がしたのは非常にいい提起でした。

www.jcp.or.jp

 新しい政治プロセスへの対応というなら、こうしたイニシアチブこそ、共産党には求められています。そのために、各党とも惜しみなく協力を呼びかけるべきです。

 

 その点で、この田村「あいさつ」をめぐり、維新、国民民主(そしてれいわ)への態度に関して、共産党を除名された松竹伸幸さんが批判、というか注文をつけていることについては注目しました。

www.youtube.com

 松竹さんの批判は、国民要求がどう実現させ、政治プロセスを前に進めるにはどうしたらいいかを国民が注視している中で、依然として「悪政4党連合」と罵ったときと同じ水準の対応をしている、これでは新しい政治プロセスでの国民の期待に応えられないというものです。

 これは一定の道理があります。

 野党連合政権を組む際に、維新や国民民主は共同の相手にはなり得ないという規定をする上で、こうした「悪政4党連合」という評価をしたものですが、同じ姿勢で総選挙後の国会で国民に向けて発信すべきなのでしょうか。

 実際松竹さんが紹介しているように、維新や国民民主、そしてれいわも同じ野党のテーブルについて協力する動きが始まっています。(もちろん、つかない場合もありますが。)

 維新や国民民主、れいわと手を組んで与党に迫っていくという姿勢がないと、そうは言っても「多数派」にはなれないわけで、逆に言えばそこと手を組んで初めて全く違った状況で与党に迫ることができます。なんなら、野党だけで事を進めることさえできるのです。

 なんとか国民民主のアラを探してやろうという姿勢が目立つ報道や政治対応では、国民から見透かされてしまいます。要求実現を掲げる中で、それに背く動きをした際には、それに即して丁寧に批判をすればいいわけで、その点での姿勢の転換が共産党や共産党員には求められていると言えます。