ご訪問いただいた皆さんへ(募金先など)

 私は2024年8月に日本共産党を不当に除籍・解雇され、同年11月に私は共産党などに裁判を起こしました。

 支援したいという方はぜひ募金をお願いします(セブン銀行 ハイビスカス支店 普通 2198241 カミヤ タカユキ)。裁判の資料はこちら。

 この件について、簡単な経過を知りたい方はこちら。(この記事は、ブログのトップに一定期間置いておきます。)

共産党職員は労働者であると公式に認めた

 1月20日は私の共産党不当解雇裁判の第1回期日でした。たくさんの傍聴に来ていただいてありがとうございます。また、そのあとの報告集会にもたくさんの方が来ていただきました。資料が足りずご不便をおかけしました。カンパや支援をその場でもいただきました。心からお礼を申し上げます。(時間がなくて十分にお話しできない方も大勢いらっしゃいました。申し訳ありません)

 私の意見陳述などは追ってお知らせいたします。

 

 このことにも関わりますが、産経の昨日の報道は歴史的なものだったと思います。

www.sankei.com

 まず共産党中央が

党機関専従者も労働法制を順守することは必要と考えている

と正式に回答しています。これは党職員(専従者)が労働者であることを認めたものだと言えます。

 「党専従は労働者ではない」という歴代の見解(謬論)が否定された瞬間です。共産党は1970年代の宮地健一さんの裁判で公式にこの謬論を主張し最近もこの主張で現場を指導してきました。党運営の根本に関わることであり、こんな簡単なコメントでなく大会や中総で反省を表明すべきではないでしょうか。

 

 そして、

福岡中央労働基準監督署は党福岡県委に対し、就業規則が提出されていないとして、昨年10月21日までに届け出るよう求めていた。

党側は就業規則を提出したものの、さらに有給休暇取得の条件が法令基準を満たしていないなどとして再提出を求められた。

安衛法では、平成31年4月から労働者の健康管理措置を適切に行うため、雇用者に客観的な記録による労働時間の把握を求めている。だが、党福岡県委は専従職員の労働時間について法令が求める形では記録しておらず、この点についても福岡中央労基署から党側に是正指導が入った。

という点も重大です。

 

福岡県委員会は私を解雇する資格はない

 私の解雇についても、こんなずさんな認識と体制のまま強行したわけで、その不当性が満天下に明らかになった大事件です。

 

 日本共産党は第4回中央委員会総会で

暮らしに安心とゆとりを――そのために、働き方、税制、社会保障、教育費負担、農業など暮らしにかかわる政治の全体の改革を求めてたたかう。…

賃上げとともに、労働時間短縮の切実な要求にこたえるたたかいを発展させよう。それはジェンダー平等の日本をつくるうえでも重要である。労働運動の原点に立ち、残業規制の強化とともに、「1日7時間、週35時間労働」をめざす世論と運動を起こそう。

と決議しましたが、この決議に照らして「労働法制を順守することは必要」であるべき福岡県委員会のこうした現状は、正反対のものだと言えるのではないですか。

 福岡県委員会は私を解雇する資格はありません。
 福岡県をはじめ、党幹部は裁判で争うことをやめ、反省して私を党に戻すべきではありませんか。

 

福岡県の若い活動家の皆さんに心から敬意を表します

 そしてここまで事態を動かしてきたのは、福岡県で私への人権侵害に声をあげて追放された若い人たち、砂川絢音さんや羽田野美優さん、そして油鳥さんたちの勇気ある行動です。

 

 心から敬意を表します。

 

私の解雇はなぜ不当だと言えるのか

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)

 

 私は党職員でしたが、共産党幹部から不当に解雇されました。それを撤回させる裁判をしています。

 

共産党にとって解雇とはどんな問題か

 日本共産党にとって「解雇」とはどういう問題でしょうか。

 日本共産党の綱領には次のように記されています。

大企業・財界の横暴な支配のもと、国民の生活と権利にかかわる多くの分野で、ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していないことは、日本社会の重大な弱点となっている。労働者は、過労死さえもたらす長時間・過密労働や著しく差別的な不安定雇用に苦しみ、多くの企業で「サービス残業」という違法の搾取方式までが常態化している。雇用保障でも、ヨーロッパのような解雇規制の立法も存在しない。

 日本の独占資本主義がどのように日本の労働者を苦しめているか。

 「ルールなき資本主義」の典型の一つが、解雇規制の立法が存在しないこと、つまり簡単にクビを切れる世の中になっているということなのです。

 その上で、当面する民主主義革命で、日本をどう改革するかについて、経済分野の最初に次のように書いています。

1 「ルールなき資本主義」の現状を打破し、労働者の長時間労働や一方的解雇の規制を含め、ヨーロッパの主要資本主義諸国や国際条約などの到達点も踏まえつつ、国民の生活と権利を守る「ルールある経済社会」をつくる。

 現在の日本では、一方的に解雇をするという「ルールなき資本主義」がまかり通っており、その規制を目指していることがわかると思います。

 長時間労働の是正とあわせて、解雇をルールによって規制することは、綱領において経済分野で一番重要な課題の一つとして例示されているのがわかるでしょう。

 だからこそ、共産党議員はもとより、共産党員の弁護士たちも、使用者側ではなく、労働者の立場に立って、一方的な解雇は許さない、労働者の権利を守るために奮闘してきたのです。

日本において解雇はどう規制されているか

たとえば、1982年のILO158条約は、解雇に正当事由を求める規制を定めており、ドイツのように、「解雇には正当な理由を要する」との解雇制限法を制定する国も見られる。これに対して日本では、解雇の自由を一般的・包括的に制限する立法は存在せず、(土田道夫『労働契約法』有斐閣、p.572、2008年)

と言われており、綱領で「ヨーロッパのような解雇規制の立法も存在しない」と記されているのはまさにこういう現状です。

 と言っても、解雇を規制するルールがないわけではありません。

 判例を積み重ねてできた解雇権濫用法理、つまり解雇は自由*1だけど濫用してはいけないというルールができて、それが法律の条文として労働基準法(2003年)、次に労働契約法(2007年)の中に結実したのです。

 労働契約法に

第16条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。

とあるのがそれです。

 ただ、この条文自体はもちろん大事ですが、条文を生み出した判例の積み重ね、つまり労働者が裁判などでたたかってきて生み出してきたルールの力——解雇権濫用法理こそが、一方的な解雇を押しとどめる現実の規範力を発揮してきたのです。

 

一般的に見て、解雇の合理性ないし解雇権濫用に関する裁判例の態度はかなり厳格であり、解雇を容易に認めない。(土田前掲書p.579)

 土田道夫・同志社大教授の解説では、高知放送事件を取り上げています。寝過ごしてニュース放送に2週間で2度も穴を開けたアナウンサーが解雇されたのですが、最高裁で解雇権濫用と判断されたケースです。

解雇権濫用法理は、解雇を正当化する十分な理由を備えない解雇を権利濫用として無効とする理論であり、権利行使に対する例外的規制という権利濫用法理の本来の性格を脱して、解雇権の内在的制約をもたらす法理に発展した。(同前)

 「解雇は自由というのが原則だけどルールで例外をもうける」という規制のあり方から、実質的に「正当な理由がない解雇はダメだよ」という感じに近づいているというわけです。

 「解雇は自由というのが原則」なら、解雇される労働者側が「解雇権を濫用している」ということを説明しないといけないはずですが、逆に、多くの裁判では、解雇した使用者側が「濫用じゃない」という説明をする責任を負わされていることからも、「解雇は自由というのが原則」というあり方がもはや実質的には大きく変わっていることがわかります。

こうして、解雇権濫用法理は日本の労働法のいわば心臓部に位置し、企業行動や雇用システムに大きな影響を及ぼしてきた。(同前)

 「え、じゃあ、安心じゃん」と思うかもしれませんが、「解雇規制法」みたいなちゃんとした法律(制定法)がないとやはり使用者や労働者の意識にのぼり、日常的に守られるルールになりにくいのです。

 そのために労働の現場では、無法な首切りがけっこう横行しています。

eulabourlaw.cocolog-nifty.com

 土田教授は、

解雇権濫用法理は判例法にとどまり、制定法主義をとる日本では、社会への浸透力が弱く、実効性が高くないため、その立法化が課題とされてきた。(同前)

として、その結果生まれたのが労働契約法第16条の条文だったとしています。

こうして、判例法としての解雇権濫用法理は、実定法としての解雇権濫用期生として労働契約法の中枢に確立されることになった。この新たな法制度においては、労契法16条は、解雇権の労働契約上の限界を画する基本的法規範に位置することになる。(土田前掲書p.580)

 しかし、それでも現場では、先ほど述べたような無法なクビ切りが横行するわけです。それは「社会への浸透力が弱く、実効性が高くないため」ですが、そのためにも、「解雇規制法」みたいなちゃんとした法律(制定法)を作って、解雇規制の内容(要件)を定めたガイドラインのようなものが具体化されて、使用者や労働者の意識にのぼらせ、日常的に守られるルールにする必要があります。

 まさに共産党綱領が求めている「解雇規制法」ですね。

 

解雇の「合理的な理由」とは

 さて、先ほどの労働契約法の

第16条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。

の「合理的な理由」とはどういうものでしょうか。

 土田教授は、「就業規則の解雇事由該当性の判断」だとします。つまり就業規則などに「こういう場合は解雇しますよ」と定めておいて、それに触れた場合に、初めて解雇する権利が使える。これが合理的な理由だというわけです。

 土田教授によれば「次の七つに大別できる」とされています。

  1. 労働者の傷病や健康状態に基づく労働能力の喪失
  2. 職務能力・成績・適格性の欠如
  3. 欠勤、遅刻・早退、勤務態度不良の職務懈怠
  4. 経歴詐称
  5. 業務命令違反、不正行為等の非違行為・服務規律違反
  6. 経営上の必要性に基づく理由(整理解雇)
  7. ユニオン・ショップ協定に基づく労働組合の解雇要求

です。

解雇が「社会通念上相当である」とは

 では、もう一つの「社会通念上相当である」とはどういうことでしょうか。

 就業規則にあるような理由に該当すれば直ちに解雇できるかというとそうではないのです。先に挙げた高知放送事件の判決では、7点があがりました。

  1. 本人の悪意・故意ではない
  2. 本人が謝罪している
  3. 一緒に宿直した記者も寝過ごし、その人は譴責処分で終わっている
  4. 本人に事故歴がなく勤務成績も悪くない
  5. 会社ではこれまで放送事故による解雇がない
  6. 放送の空白時間が長くない
  7. 会社が放送事故への対応策を講じていなかった

です。この7点がいつもそうだというわけではありません。ある弁護士事務所のサイトの解説では

 社会通念上の相当性とは、労働者が行った行為や状況に照らして、相当な処分であるか(バランスを欠いていないか)ということです。

 軽微な就業規則違反を理由に解雇したり、必要な注意処分や指導教育といった段階を踏まずにいきなり解雇処分としたような場合は、相当性を欠くと判断されることになります。

と書かれています。

 土田教授はこれらをまとめて、

  1. 労働者の行為態様・意図
  2. 使用者に与えた損害
  3. 本人の情状
  4. 他の労働者の処分・過去例との均衡
  5. 使用者側の対応

の5点にまとめています(土田前掲書p.583)。高知放送事件の7つの要素がだいたい含まれていることがわかると思います。

私の場合はどうか(合理的な理由)

 さて、こうした解雇規制ルールに照らして、私の場合はどうでしょうか。

 これは訴状に詳しく書いてありますが(14・15ページ)、私なりに考えて書いてみます。

 まず、「合理的理由」——就業規則にどう書いてあるのか、ということです。

 そもそも、共産党福岡県委員会は「常時10人以上の従業員を使用」の事業所であり、労基署に届け出ないといけないのですが(労基法89条)、私が解雇された後の24年9月に調べた時には、就業規則を届け出ていませんでした。つまり正式な就業規則がなく、解雇についての規定がないとも考えられる状態であり、それだけですでに「合理的な理由がない」と言えるのかもしれません。

 しかし、代わりに「勤務員規程」というのがあるので、仮にそれが就業規則だとしてみましょう。

 その場合、その第7章(12条)・第8章(13条)には「解任及び退職」「罷免」の規定があります。 *2

 

第7章 解任及び退職 

 第12条 次の各号に該当する場合は解任及び退職とする。 

(1)県委員会の幹部政策により、勤務員の任務を解かれた場合。 

(2)休職期間が満了した場合。 

(3) 満65才に達した場合定年退職とする。但し、県委員会が留任の必要を認めた場合  は例外とする。 

(4) 死亡した場合。 

 

第8章 罷免

第13条 次の各号に該当する場合は、罷免する。 

(1)党の規律に違反して処分をうけ、県委員会の勤務員として、ふさわしくないと認め  られた場合。 

(2)反社会的、反階級的行為を行い、県委員会の勤務員として、ふさわしくないと、認  められた場合。 

(3) 県委員会勤務員としてふさわしくない、 言動がしばしばあり、それについて批判  され指導されても、なお、あらためない場合。

  (4)その他、前記各号に準ずる不都合な行為があり、県委員会勤務員としてふさわしく  ないと認められた場合。  

 

 おっ、これじゃねえの!? と思うかもしれません。

 しかし、私の解雇通知にはこの第7章(12条)・第8章(13条)に基づくものであることは一言も書かれていません。

 代わりに解雇通知には勤務員規程の第1条・第2条に基づくものだということが書いてあります。

 では第1条・第2条とは何か。

第1条

日本共産党福岡県委員会勤務員は、日本共産党綱領・規約および、党の諸決定(党大会・中央・県)に従い、福岡県党の先頭にたって活動する。

そのため、各自は、学習と修養に励むとともに、いかなる困難にもひるまず民主集中 制の組織原則を堅持し、自覚的、積極的に各自の任務を遂行する。

第2条

本規定は、 日本共産党綱領・規約および党の諸決定(党大会・中央・県)にもとづき、 日本共産党福岡県委員会勤務員に適用され、その活動における必要最小限の事項を規定したものであり、委員会はその機能の遂行のため、必要に応じて県委員会勤務員の活動上の、諸措置を適宜決定する。  

 みなさん、これをみて驚かれるかもしれませんね。

 だって、どこにも解雇のことなんか書いてないからです。

 では共産党幹部は1条・2条から私の解雇の理由をどうひねり出したのでしょうか。

 それは、想像するしかありませんが、“1条・2条を読めば、これは勤務員は党員であるということが前提になっていることは明らかだ。だから、党員でなくなれば自ずと勤務員ではなくなる”というエクストリーム主張だと思われます。

 いや、全然違ったら申し訳ないのですが。

 だから訴状でも次のように批判しています。

また、解雇通知書…では、「日本共産党福岡県委員会勤務員規程第1条、第2条」と記載されているが、同規定…は、被告県委員会の「勤務員」としての活動や任務の遂行について抽象的な定めを置いているものにすぎず、これらの規定が何故「第4条に定める党員の資格を明白に失った党員」(規約11条)と関係があるのかすら不明であり、少なくとも被告らはこのことについての具体的な説明を一切していない。つまり、仮に、勤務員規程(第1条、第2条)が原告との関係で被告県委員会の就業規則としての性質を有するとしても、そもそも勤務員規程第1条及び第2条には、被告県委員会に雇用される者が被告共産党の党員ではなくなった場合には当然に解雇するという旨の規定は存在しないものというべきであるから…、このような点でも、解雇事由はない。

 続いてこう批判しています。

 なお、原告は、普段の勤務員としての勤務状況について、能力不足やミスがあったなどとして上司等から具体的に注意を受けたことはなく、具体的な業務上の支障を発生させたこともないから、他の規定との関係でも解雇事由はない。

 また、勤務員規程第8章では「規律違反」「ふさわしくない、言動」「不都合な行為」による罷免を定めているが、被告県委員会は原告にこのような規定を適用することはなかった。
 ゆえに、勤務員規程との関係でも、本件解雇につき、客観的にみて合理的な理由があるとはいえない。

 つまり、党幹部側が示した私の解雇の「合理的な理由」、つまり就業規則(勤務員規程)のここに該当して解雇できる、ということは現時点では「言えない」、というわけです。

私の場合はどうか(社会通念上の相当性)

 じゃあ、次に、仮に勤務員規程の第8章(13条)を使って、規約違反やふさわしくない言動があったから解雇するんだとしましょう。

 それに照らした場合でも、私は解雇できるのでしょうか。

 すなわち仮に「合理的な理由」があった=就業規則にあたる勤務員規程に該当したとして、「社会通念上相当」だと言えるのかどうかという問題です。

 土田教授は、

  1. 労働者の行為態様・意図
  2. 使用者に与えた損害
  3. 本人の情状
  4. 他の労働者の処分・過去例との均衡
  5. 使用者側の対応

をあげていましたね。

 「労働者の行為態様・意図」という点では、規約を破るつもりでやったのではなく、規約の範囲内であるという意図でブログを書いて公表したのです。だからこそ、正式に規約違反だと認定されたことはなく、勤務員規程の第8章(13条)を適用できなかったのではないでしょうか。

 また、「本人の情状」という点では、自己批判(=反省)はしていませんが、それは規約に自己の意見を保留する権利が認められているので、謝罪しないことは規約に照らして問題があるとは言えません。

 そして、仮に規約違反であることが正式認定されたら、ブログを削除することは繰り返し表明していたし、正式認定される前でも、自己批判を求めず規約違反だと決めつけず、純粋に「ブログを削除せよ」という決定だけなら従いますよと表明していました。むしろ規約に背いて自己批判の強要にこだわったのは党幹部の方でした。規約に背くことはできないので、私は逆に苦悩させられたのです。

 次に「他の労働者の処分・過去例との均衡」ですが、例えば共産党の埼玉県議(当時)は「政党助成金をもらうべきではないか」という党の見解と異なる自分の意見を「公表」*3し、ブログで内部の討論を公開しています。しかし、この元県議は規約違反に問われたり処分されていません。

ameblo.jp

 また、党の都議も、綱領とは異なる意見を述べ、内部の討論を公開していますが、規約違反にも問われず、処分もされていません。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 私は23年3月のブログ記事で、党と異なる見解を述べたことはありませんし、内部の討論を公開したこともありませんが、これらの県議・都議が規約違反に問われていないのに、私が規約違反に問われる道理はありません。

 最後に「使用者側の対応」ですが、土田教授は解雇は「雇用継続を期待できない事情がある場合に限定すべき」(土田前掲書p.581)として、これを「最後の手段の原則」(同前)と呼んでいます。具体的には、「軽微な就業規則違反を理由に解雇したり、必要な注意処分や指導教育といった段階を踏まずにいきなり解雇処分としたような場合は、相当性を欠くと判断されることになります」ということが言えると思いますが、まあ私の場合、そんな段階的なものは一切ありませんでした。まさに「突然除籍・いきなり解雇」だったわけですね。

 

 訴状では「社会通念上の相当性もない」ことを他にも色々書いています。

(1)調査審議への協力、党への貢献
…原告は、被告県委員会による過酷な予備調査、調査審議、権利制限等…を受け、適応障害によって2度の休職に追い込まれた…ものの、それでもなお、長期にわたる調査に誠実に対応してきた。
 また、原告は、勤務員として職務を遂行し、被告県委員会や被告共産党の党勢拡大の活動に尽力し、被告らの諸活動に貢献してきたものである。

 これは「本人の情状」に当たるものですね。

(2)規律違反の不認定
 被告県委員会が1年3か月も調査審議しても、被告県委員会は原告に対して規約48条以下の規定に基づく規律違反行為を認定することができなかった。

 このことからは、原告が党の規律に違反したことはなく、また、仮に規律違反していたとしても公式に認定できなかったほどに違反の程度が軽微であるものというべきである…。

(3)規約の遵守
 原告は、被告県委員会からの綱領・規約・大会決定を守る意思はあるかなどという質問に対し、「あります」と回答しており…、党のルール等遵守して行動する旨を述べており、規約第4条で定める「規約を認める」という「党員の資格」を満たしている。

 この二つは「労働者の行為態様・意図」に当たるものでしょう。

(4)勤務員としての勤務につき具体的な支障を生じさせていない
 原告は、…普段の勤務員としての勤務状況について、能力不足やミスがあったなどとして上司等から具体的に注意を受けたことはなく、具体的な業務上の支障を発生させたこともない。
 原告は勤務員として円滑な業務遂行をしてきたものである。

 これは「使用者に与えた損害」や「本人の情状」に当たるものですね。

(5)合理的な解雇手続が履践されていない
 以上の各事項に加えて、本件解雇に係る手続もまた不合理なものといえる。
 本件解雇については、本件除籍(規約11条)が先行し、本件除籍が本件解雇の理由とされているが…、原告は、前述したとおり、「規律違反の処分(規約48条以下)の調査審議を受け、規約48条に基づく党員の権利制限を受けていた。そのため、原告としては、規律違反の処分の調査手続に繰り返し応じてきたのである。
 にもかかわらず、原告は、突如として一方的に、警告、権利停止、罷免、除名といった「規律違反の処分」(規約48条)とは性質の異なる「除籍」の措置(「規律違反の処分」ではないもの)をとること宣告され、その上で、極めて不意打ち的に「協議」(規約11条)という簡易な手続しかない措置の対象とされた。しかも、原告は、規約11条の「第4条に定める党員の資格を明白に失った党員」という要件についての意見を述べる機会もないままに除籍されたのである。「規律違反の処分」(規約48条)であれば、「十分意見表明の機会をあたえる」(規約55条)など「事実にもとづいて慎重におこなわなければならない」ところ(規約49条)、被告らは、このような慎重な手続を要しない「除籍」処分によって、実質的に除名処分を行っているに等しいのである。

 このように、原告は、急遽、除名等の規律違反の処分から除籍という全く別の性質の措置をとると一方的に宣告され、かつ、この除籍を受ける前に党組織と「協議」をすることすらできなかった。すなわち、被告県委員会ないし被告共産党は、規約11条では「除籍にあたっては、本人と協議する。」と明記されているにもかかわらず、原告との間で除籍を決定する日までに「協議」の手続を行うことすらなく、「第4条に定める党員の資格を明白に失った党員」(規約11条)の要件に該当すると一方的に認定し、本件解雇の前提とされる本件除籍を強行した。被告らは、この日すなわち除籍措置の決定よりも後の時点における短時分のやりとりをもって「協議」(規約11条)を行ったと主張しているようであるが、原告に対する事後の協議は規約11条に違反するものというべきである。規約11条は、「除籍にあたっては、本人と協議する」とし、その前提として除籍についての「慎重」な調査、審査を要求しているのであるから、これらの文理ないし趣旨からすれば、協議が可能な場合には、事前の「協議」をする運用が必要となるものと解すべきである。本件では、原告は特に協議を拒絶しておらず協議が可能な場合であるから、被告らが事前の協議手続を経ることなく原告を「除籍」したことには手続上の瑕疵があるものというほかない…。このように、本件解雇に係る手続も不合理あるいは不相当なものというほかない

 これは「使用者側の対応」に当たるでしょう。

 

 このように、私の解雇は「合理的理由」も「社会通念上の相当性」もどちらもないものであり、不当な解雇そのものだということができます。

 

最高裁判決はまさに私の除籍・解雇が司法で扱えるものだと言っている

 一体党幹部はなんと反論してくるでしょうか。

 具体的な答弁書が来ていないのでわかりませんが、松竹伸幸さんの裁判や、私への解雇通知から予想すると、

  1. “どういう理由かはわからないが、神谷は除籍されて党員でなくなってしまった。党員でない以上は勤務員規程の第1条・第2条に基づいて勤務員をやめてもらう”
  2. “除籍が不当かどうかは、共産党の結社の自由に関わることなので裁判所は口を出さないでください”

というものだと考えられます。

 1.の「勤務員規程の第1条・第2条」を使って解雇の「合理的理由」にすることはすでに上記(および訴状)で批判されています。

 ここでの問題は2.です。この「理屈」は、結社の自由をタテにして内部問題に口を出すなというのは共産党袴田事件の最高裁判決がもとになっています。

政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/340/062340_hanrei.pdf

 しかし、この判決では、

政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばない

としており、私の除籍*4は、解雇という生活・人権問題=「一般市民法秩序と直接の関係を有」する問題に関わっていますから、当然裁判所が扱える問題です。

 そして、

右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であつても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、…適正な手続に則つてされたか否かによつて決すべき

とされており、まさに袴田判決を根拠にすれば、私への除籍が適正だったかどうかが司法の場で争われることになります。

 単純な話で言いますと、例えば、「神谷は日本国籍を失ったので、除籍する。だから解雇します」と言われたとしましょう。その時私が「いえいえ、私、日本国籍、失ってませんよ。国籍、ありますけど…?」と反論し、解雇は無効だと主張したらどうなるでしょうか。

 その時も「除籍するかどうかは党内問題だから司法は口を出すな。解雇は勝手にできる」ということになるでしょうか。

 なりませんよね。

 私の訴状ではまさにその最高裁判決を使って、次のように批判しています。

 本件は党員の除籍との関係で労働者の解雇が問題になる事案であるところ、政党の組織といえども職員として人を雇う以上、労働基準法や労働契約法に従うべきことは当然であり、これは民間企業の場合と同じであるから、民間企業の場合と同様に、司法審査が通常通り及ぶことになる。
 なお、本件では、原告が被告共産党側からの除籍を理由に被告県委員会から解雇されており、かかる解雇は、①客観的に合理的な理由を欠き、②社会通念上相当であると認められない場合には、権利の濫用として無効となる(労働契約法16条)ところ、原告の除籍が無効である場合には、①客観的合理性要件を欠くことになるから、本件は、「政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる」(最三小判昭和63年12月20日判時1307号113頁(共産党袴田事件判決))事案などではなく、「一般市民としての権利利益を侵害する場合」(同判決)に当たる事案でもある。
 なお、除名等の処分ではなく除籍という措置であるとしても、除名と同様に党員資格を剝奪する措置であり、かつ、党員資格の有無が党職員としての地位を直接左右するものとされるのであるから、司法審査が及ぶものというべきである。

 まあ、ここは、具体的に党幹部側がなんといってくるかによりますね。

 

 私が労働者の一人であることは、党幹部自身が認めました。

 日本が「ルールなき資本主義」の最も象徴的な問題として、共産党綱領でその是正がトップに掲げられている解雇を、他でもない、労働者である私に対して、きわめて無法な形でやったのが党幹部なのです。

 一方的な不当解雇を、共産党幹部自体がやってしまっている、というのが、シャレにならないところです。共産党幹部は綱領を学び直すべきでしょう。

 そして、労働者のたたかいでつくられてきたルール——解雇権濫用法理は裁判になればかなり強い力を発揮してきたものであり、土田教授が述べているように、

一般的に見て、解雇の合理性ないし解雇権濫用に関する裁判例の態度はかなり厳格であり、解雇を容易に認めない。(土田前掲書p.579)

のです。

 そのような労働者が血の滲むような努力で作り出してきたルールに、まさに共産党幹部自身が破壊の刃を向けようとしているのではありませんか?

 

*1:民法627条1項「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる」。つまり「解約自由」が原則であって、「解雇には正当な理由を要する」という欧州とは原理が根本的に異なる。

*2:これはそもそも土田教授のいう7点にあまり沿っていない気がします。つまり「合理的理由」とは必ずしも言えず、法理に反しているので、そもそも就業規則の解雇規定として無効の可能性があります。まあ、それは今はおいておきましょう。

*3:もちろんこれは党の見解と異なる自分の意見の公表ではなく、最終的には受け取るべきではないという結論に落ち着いており、私の時と同様に、党の見解と異なる意見をただすためのレトリック・論述にすぎません。

*4:除籍は「処分」ではないが「組織内の自律的運営」の一つであり、「除名その他の処分」に該当する。

共産党側から答弁書が来た

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)

 

 被告(共産党・共産党県委員会)の代理人(弁護士)から答弁書が本日付でファックスで届きました。

 除名・解雇の撤回や損害賠償などの私の請求に対していずれも却下・棄却を求めています。

 簡単な結論しか書いていないので、理由など詳しいことはこれから出されるんでしょう。詳しいものが届き次第、またおしらせします。

 共産党側の弁護士は、小林亮淳さん(弁護士法人西むさし法律事務所)、前田憲徳さん(北九州第一法律事務所)、長澤彰さん(杉並総合法律事務所)の3人です。

 前田弁護士だけ面識があります。



 そしてファックスにはこう書いてありました。

なお被告代理人は、指定の第一回弁論期日には他の予定があり、出頭が出来ないので、答弁書は擬制陳述する。

とのことです。

 つまり、裁判の最初の日(1月20日の第一回口頭弁論)には、被告側の弁護士は来ない(出廷しない)ということです。*1

 裁判官と私たち原告側だけになります。 

 裁判の期日は、被告と原告がそろわないといけないのですが、初回に限り欠席が許されます(民事訴訟法第158条)。*2

 裁判の素人にはよくわからないのですが、「弁護士が3人とも都合が合わない」ってことがあるんですかね? まあ、今はそれをどう見るかは述べませんが。

 

 もちろん被告側がどういう対応をしようが、私は堂々と意見陳述を法廷で行うつもりでいます。弁護士の方もです。

 なので、ぜひ多くの皆さん、傍聴にお越しください。

 

*1:もちろん被告本人(志位和夫氏や党県委員長)も来ないのでしょう。

*2:第2回以降の期日に欠席すると、原則として、書面を提出していても、裁判で陳述したものとはみなされません。そのため、原告の主張を認めたものとして、敗訴するおそれもあります。

https://www.houterasu.or.jp/site/faq/saiban-saiban-002.html 

2025年にやりたい3つのこと

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」

 

昨年を振り返って

 昨年8月に、私は日本共産党から不当に除籍・解雇され、そのプロセスで深刻なハラスメントを受けて精神疾患となり、現在も通院・投薬を続けています。昨年11月に除籍・解雇を撤回し、ハラスメントなどを償わせることを求める裁判を起こしました。

 募金、支援集会参加、スタンディング、SNSでの激励、メールや手紙での慰労、党支部会議への招待など、びっくりするくらい多くの方が支援の呼びかけに応えてくれました。報道や取材もたくさんしていただきました。

 本当にありがとうございます。

年末年始の私

 私の健康を気遣ってくれている方も大勢いますのでお知らせしておきますが、私を病気に追い込んだ人たちにはなるべく会わないように注意しながら、できるだけ心穏やかに過ごせるように、注意して年末年始を過ごしました。

 正月に郷里に帰って、小・中学校時代の友人、高校時代の友人にもたくさん激励されました。

 地元の奇祭「てんてこ祭」をその友人の一人と見物。県指定の無形民俗文化財なのです。大村知事も来ており、初めて本人を間近で拝見しました。

www.youtube.com

 総じて、とても心穏やかな年末年始でした。

 

今年やりたい3つのこと

 一つ目は、裁判(地裁)は1年から1年半くらいで判決が出るんじゃないかという見通しもあります。ということは今年中にも出る可能性があります。もしそうであれば、何としてもそこでは今年は勝利判決を勝ち取る年にしたいと思っています。

 まずは、1月20日午前10時から東京地裁で第1回口頭弁論がありますので、ぜひ多くの方に傍聴をお願いします。その日の午後2時から「DAYS赤坂見附」にて報告集会を開きますので、こちらも関心のある方は、ぜひお越しください(終了後懇親会も予定)。

 

 二つ目ですが、共産党の議員さんはもとより、いろんな党派の議員のみなさんたちと力をあわせて、国政や地方政治をよくすることができればと思っています。そのために、リアルで共同の動きを広げていきたいと思います。

 その一つは、福岡県における教育費の負担軽減です。

 できれば2月くらいまでに、福岡県の県立高校の教育費の負担軽減に向けて、少しでもアクションを起こしたいと思っています。実は昨年5月に情報開示をしていて、その結果をだいたいまとめているんですが、除籍・解雇そして裁判が重なってしまい動きがとれませんでした。3月には県知事選が始まってしまうし、年度が変わってしまうので、それまでには何か形にしたいと思っています。

 もちろん、それ以外の形でもいろんなテーマなどで共産党の議員さん、他の議員さんと力を合わせていければいいなと思います。このブログもそれに役立つようなものを発信したいと思っています。*1

 三つ目ですが、共産党という古民家をリフォームする仕事に励みたいと思います。

 裁判はその大きな一つですが、それ以外にも、さまざまなアクションや提言をしていきます。

 特に私が関心を持っているのは、組織のあり方です。

 高度成長期につくられてそれに適合して急成長したこれまでの組織のあり方は、大きな力を発揮してきましたが、今となっては現実に適合していないものがかなり出てきています。

 もちろん共産党自身も努力しているのですが、党幹部が組織を私物化して、異論を排除してしまうという深刻な病理を抱えているので、戦略的な議論が自由にできない状況に陥っています。

 赤旗はこのままでいいのか、というか政党としてのマネタイズはこのままでいいのか、地区や県のあり方はこのままでいいのか——そういう根源に迫る検討を、いろんな人の知恵も借りて議論していければいいなと思います。

 

 本年もどうぞよろしくお願いします。

*1:少数与党になって国民の要求が実現する状況が生まれていますが、それを生かすには、国民自身の社会運動そのものを発展させることが不可欠でしょう。だから、私が共産党議員を含むいろんな党派の議員さんと運動の上で共同することは、少数与党のもとでの「新しい政治プロセス」が始まったことを生かそうという共産党の主張にも合致していると思いますし、共産党が第29回党大会決議で要求実現と党勢拡大を車の両輪にする活動とそれを具体化する「政策と計画」を持つことを呼びかけている方針にも合致するはずです。

来年は福岡市や各地で、被爆者の国家補償を求める意見書を

 日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞した…ということは今さら言うまでもないでしょう。

 代表委員である田中熙巳さんのスピーチ全文を読みました。

www3.nhk.or.jp

 その中で特に心に残ったのは、国家補償が実現していないというくだりでした。

さらにもうひとつ、厚生大臣が原爆症と認定した疾病にかかった場合のみ、その医療費を支給するというものでありました。1968年になり、「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」というのを制定させました。これは、数種類の手当てを給付するということで経済的な援助を行いました。しかしそれは社会保障制度でありまして、国家補償はかたくなに拒まれたのであります。

1994年12月、この2つの法律を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されました。しかし、何十万人という死者に対する補償はまったくなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております。もう一度繰り返します、原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたいというふうに思います。

 今年はNHKの朝の連続テレビ小説「虎に翼」で原爆裁判が取り上げられたこともあって、その判決、訴状、答弁書、準備書面、鑑定書などをずっと読んでいます。

 被爆者の苦闘がまず原爆被害者への国家補償を求める流れとして始まったということはもっと学ばれていいと思いました。

 率直に言ってぼく自身、核兵器廃絶や禁止条約の締結・オブザーバー参加などは運動の前面に立ててきましたが、被爆者への国家補償を求めることは、運動の後景になりつつあったのではないかと反省しました。

 例えば、原水爆禁止世界大会の国際会議の宣言でも、2016年には被爆者への国家補償は課題として掲げられていました。

http://nenkinsha-u.org/04-youkyuundou/pdf/gensuikin_taikai_kokusai_sengen160804.pdf

 

 しかし、今年の2024年の国際宣言にはない、もしくは「枯葉剤など戦争被害者への補償・支援と被害の根絶」という非常に一般化された形での記述になってしまっています。

https://antiatom.org/antiatom55/wp-content/uploads/2024/08/240804_theDeclaration_of_the_InternationalMeeting.pdf

 

 「しんぶん赤旗」日曜版の2024年12月29日・2025年1月5日合併号には、日本共産党の田村智子委員長と、田中煕巳さんの対談が載っていて、田中さんはスピーチで日本政府は償いを一切していないという部分を強調しているんですが、田村さんがそれを政治の側としてどう受け止めるかがあまり反応されていません。

 公平を期すために言っておけば共産党は選挙の基本政策には載せていませんが、分野別政策では国家補償について提起しています。

 ただ、自分が参加していた共産党の福岡市議団や福岡県委員会の活動を振り返ってみて、その観点はかなり弱かったと感じました。

www.jcp.or.jp

 国家補償にはどんな意味があるのでしょうか。それは「ふたたび被爆者をつくらないとの決意をこめ、原爆被害にたいする国家補償」(「原爆被害者の基本要求」)を行うということです。

 田中さんも、前述の対談で

スピーチ後、海外の記者から「どうして〔国家補償拒否を二度も〕強調したのか」と声をかけられました。戦争を起こした国が国民の被害に補償をしないことが許されていると、これからも戦争が簡単に繰り返されるとの思いが頭にあるからです。

と述べています。

 この観点から、新しい年は、埼玉県新座市議会のように、地方議会で被爆者に対する国家補償を要求する意見書の採択などに取り組むべきだと思います。少なくとも福岡市議会では。

jcp-niiza.net

田村閉会あいさつを読んで

 国会が閉会し、共産党国会議員団の閉会総会が行われ、田村智子委員長があいさつしました。

www.jcp.or.jp

 結論から言えば、あいさつの中身が、従来型あいさつ——共産党のいうところの「新しい政治プロセス」に対応していないあいさつになってしまっています。

 

要求運動での前進や変化をまず評価しようか

 私は国会前の田村委員長のあいさつに対して

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 これをもっと短くして、その要点を述べるなら、「要求実現へ政治が動くチャンス」だとそのポイントをまとめることができるでしょう。

 私は一言で言えば、「野党が共通している公約・政策要求を抽出して、その実現には特別の位置付けを与えるべきだ」という戦略が欠けているように思います。

と注文をつけました。この点からみて、政策活動費廃止法案が野党共同で提出され、実際に成立したことをまず、高く評価すべきではないでしょうか*1。それ以外でもスフィア基準での避難所運営方針の改善は大きな前進だと言えます。

 その上で、

  • 学校給食無償化法案の共同提出
  • 企業・団体献金禁止での前向きな論戦と動き
  • 選択的夫婦別姓での石破首相の変化
  • 「103万円の壁」など生計費非課税めぐる前進や変化

などは実際に世論・論戦の前進、機運の醸成という点でダイナミックな変化があった・起こりつつあることを党員にとらえてもらう必要があります(企業・団体献金問題では一定の記述が田村あいさつにはありますが)。

 これ以外にも、学費値上げ反対のための共同を訴え、それはとてもよかったと私は思うのですが、野党や与党への働きかけや取り組みがどうだったかを振り返るべきでした。

熊本県小国町(杖立温泉)

「抜本改革提案をした」が前面なのはいただけない

 ところが、閉会に当たっての田村あいさつでは、こうした要求実現を軸にした情勢の躍動をとらえるダイナミズムが失われ、「共産党は根本的な改革を提案した」という方向だけが前面に出てしまっています。

www.jcp.or.jp

 「それこそが他党にない特質だ!」と言いたいのかもしれませんが、要求実現の取り組みを他の野党や国民世論とともにまみれてやってみて初めて、自民党政治のフレームとしての「障害物」性が国民の中に体験的に見えてくるのであって、根本的な方向だけ国会質問で示していれば前に進むというものでもありません。*2要求実現を軸にして、情勢が躍動的に変化し動いていることを、党員にもどう実感してもらうかに、報告の工夫が必要だと思います。

 何はともあれ、まずは新しい国会の構成になって国民の要求実現がどこまで進んだか、その角度から国会の取り組みを評価・計測すべきではないでしょうか。

 

 これは、総選挙後に開かれた共産党の今の全国方針——全国都道府県委員長会議とも大きな方向性としては合致しています。この会議で田村委員長自身が、今後の党活動の基本姿勢を「二重の構え」として次のようにまとめているからです。

 「新しい政治プロセス」を国民とともに前に動かすために、わが党の基本姿勢として「二重の構え」を貫くことをよびかけます。

 一つは、直面する熱い問題で国民とともに要求運動にとりくみ、その実現へ全力をつくすことです。

 「二重の構え」のいま一つは、自民党政治に代わる新しい政治とは何かを、国民の模索と探求にこたえ、綱領を手に国民と語り合う宣伝・対話運動にとりくむことです。

 

国民民主や維新批判のやり方が性急過ぎる

 要求実現に真剣に取り組んで、初めて障害物としての自民党政治の問題が見えてくる——という方針に比してみると、田村あいさつでの国民民主・維新批判というのはいかにも性急です。*3

一方、国民民主党は、いわゆる「103万円の壁」を引き上げるなどの自公との合意をもって、また維新の会は、「教育費無償化の協議会設置」という合意を理由に、「二つの大問題」を不問に付して補正予算に賛成し、自公政権の延命に手を貸しました。(田村委員長の前掲あいさつより)

 私は、除籍後も一般の共産党員らに呼ばれて話す機会がありますが、そこでもよく「国民民主批判をしてほしい」と頼まれたりします。

 しかし、確かに自民党・公明党は過半数を割り込んだけども、一般市民の多くはまだそこから抜け出そうというほどに明確に決めているわけではありません。「自民・公明政権は完全に見限ったが、代わりの野党がいない」というほどでもありません。「自民・公明は裏金問題のような形でおごり高ぶっているのは問題で、野党や市民の意見もちゃんと汲んで政権を運営してほしい」というくらいがリアルなところではないでしょうか。

 だからこそ、“要求を提示して交渉し与党にも協力する”という国民民主党の今のやり方が若い人を中心にウケているわけで、「自民・公明政権などもう大多数は支持していないのに、そんな腐った政権の延命に手を貸した!」という批判では市民感覚とのズレが生じてしまうことになります。*4

www.youtube.com

 

次の国会へ向けて

 次の国会へ向けて、共産党がすべきことは、一つは企業・団体献金の禁止、もう一つは、学校給食無償化や学費値上げストップをはじめとする教育無償化——この二つを、共産党支部をあげた要求運動として重点的に取り組むべきではないかと思います。

 共産党の本来の強みは、国会やメディアでどういう動きがあろうとも、草の根で運動しているのは自分たちだということを市民の目の前で署名運動なり集会なりを開いて示せる——という「足腰」の存在でした。

 新年早々に開かれる4中総ではこの方向を打ち出すべきでしょう。(ただ、すでにその足腰も、高齢化や相次ぐ除名・除籍・離党・未結集で相当なフレイル状態になっているのかもしれません…。)

*1:田村あいさつの中には出てきますが、非常に扱いが小さいものです。

*2:もちろんそういう論戦をするなという意味ではありません。その種の論戦は必要ですが、「あいさつ」や報告で今国会の特徴的なこととして長々と弁ずるほどのものではないのです。

*3:批判するなという意味ではありません。

*4:前掲の田村あいさつでは、企業・団体献金の禁止という個別問題のくだりでも国民民主党批判が出てくるのですが「事実上ブレーキをかけたのは国民民主党」とだけ言い捨てていて、経過を追っていない人は何のことかわかりません。