2025年にやりたい3つのこと

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」

 

昨年を振り返って

 昨年8月に、私は日本共産党から不当に除籍・解雇され、そのプロセスで深刻なハラスメントを受けて精神疾患となり、現在も通院・投薬を続けています。昨年11月に除籍・解雇を撤回し、ハラスメントなどを償わせることを求める裁判を起こしました。

 募金、支援集会参加、スタンディング、SNSでの激励、メールや手紙での慰労、党支部会議への招待など、びっくりするくらい多くの方が支援の呼びかけに応えてくれました。報道や取材もたくさんしていただきました。

 本当にありがとうございます。

年末年始の私

 私の健康を気遣ってくれている方も大勢いますのでお知らせしておきますが、私を病気に追い込んだ人たちにはなるべく会わないように注意しながら、できるだけ心穏やかに過ごせるように、注意して年末年始を過ごしました。

 正月に郷里に帰って、小・中学校時代の友人、高校時代の友人にもたくさん激励されました。

 地元の奇祭「てんてこ祭」をその友人の一人と見物。県指定の無形民俗文化財なのです。大村知事も来ており、初めて本人を間近で拝見しました。

www.youtube.com

 総じて、とても心穏やかな年末年始でした。

 

今年やりたい3つのこと

 一つ目は、裁判(地裁)は1年から1年半くらいで判決が出るんじゃないかという見通しもあります。ということは今年中にも出る可能性があります。もしそうであれば、何としてもそこでは今年は勝利判決を勝ち取る年にしたいと思っています。

 まずは、1月20日午前10時から東京地裁で第1回口頭弁論がありますので、ぜひ多くの方に傍聴をお願いします。その日の午後2時から「DAYS赤坂見附」にて報告集会を開きますので、こちらも関心のある方は、ぜひお越しください(終了後懇親会も予定)。

 

 二つ目ですが、共産党の議員さんはもとより、いろんな党派の議員のみなさんたちと力をあわせて、国政や地方政治をよくすることができればと思っています。そのために、リアルで共同の動きを広げていきたいと思います。

 その一つは、福岡県における教育費の負担軽減です。

 できれば2月くらいまでに、福岡県の県立高校の教育費の負担軽減に向けて、少しでもアクションを起こしたいと思っています。実は昨年5月に情報開示をしていて、その結果をだいたいまとめているんですが、除籍・解雇そして裁判が重なってしまい動きがとれませんでした。3月には県知事選が始まってしまうし、年度が変わってしまうので、それまでには何か形にしたいと思っています。

 もちろん、それ以外の形でもいろんなテーマなどで共産党の議員さん、他の議員さんと力を合わせていければいいなと思います。このブログもそれに役立つようなものを発信したいと思っています。*1

 三つ目ですが、共産党という古民家をリフォームする仕事に励みたいと思います。

 裁判はその大きな一つですが、それ以外にも、さまざまなアクションや提言をしていきます。

 特に私が関心を持っているのは、組織のあり方です。

 高度成長期につくられてそれに適合して急成長したこれまでの組織のあり方は、大きな力を発揮してきましたが、今となっては現実に適合していないものがかなり出てきています。

 もちろん共産党自身も努力しているのですが、党幹部が組織を私物化して、異論を排除してしまうという深刻な病理を抱えているので、戦略的な議論が自由にできない状況に陥っています。

 赤旗はこのままでいいのか、というか政党としてのマネタイズはこのままでいいのか、地区や県のあり方はこのままでいいのか——そういう根源に迫る検討を、いろんな人の知恵も借りて議論していければいいなと思います。

 

 本年もどうぞよろしくお願いします。

*1:少数与党になって国民の要求が実現する状況が生まれていますが、それを生かすには、国民自身の社会運動そのものを発展させることが不可欠でしょう。だから、私が共産党議員を含むいろんな党派の議員さんと運動の上で共同することは、少数与党のもとでの「新しい政治プロセス」が始まったことを生かそうという共産党の主張にも合致していると思いますし、共産党が第29回党大会決議で要求実現と党勢拡大を車の両輪にする活動とそれを具体化する「政策と計画」を持つことを呼びかけている方針にも合致するはずです。

ご訪問いただいた皆さんへ(募金先など)

 私は2024年8月に日本共産党を不当に除籍・解雇され、11月に私は共産党などに裁判を起こしました。支援したいという方はぜひ募金をお願いします(セブン銀行 ハイビスカス支店 普通 2198241 カミヤ タカユキ)。この件について、簡単な経過を知りたい方はこちら。裁判の資料はこちら。(この記事は、ブログのトップに一定期間置いておきます。)

来年は福岡市や各地で、被爆者の国家補償を求める意見書を

 日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞した…ということは今さら言うまでもないでしょう。

 代表委員である田中熙巳さんのスピーチ全文を読みました。

www3.nhk.or.jp

 その中で特に心に残ったのは、国家補償が実現していないというくだりでした。

さらにもうひとつ、厚生大臣が原爆症と認定した疾病にかかった場合のみ、その医療費を支給するというものでありました。1968年になり、「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」というのを制定させました。これは、数種類の手当てを給付するということで経済的な援助を行いました。しかしそれは社会保障制度でありまして、国家補償はかたくなに拒まれたのであります。

1994年12月、この2つの法律を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されました。しかし、何十万人という死者に対する補償はまったくなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております。もう一度繰り返します、原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたいというふうに思います。

 今年はNHKの朝の連続テレビ小説「虎に翼」で原爆裁判が取り上げられたこともあって、その判決、訴状、答弁書、準備書面、鑑定書などをずっと読んでいます。

 被爆者の苦闘がまず原爆被害者への国家補償を求める流れとして始まったということはもっと学ばれていいと思いました。

 率直に言ってぼく自身、核兵器廃絶や禁止条約の締結・オブザーバー参加などは運動の前面に立ててきましたが、被爆者への国家補償を求めることは、運動の後景になりつつあったのではないかと反省しました。

 例えば、原水爆禁止世界大会の国際会議の宣言でも、2016年には被爆者への国家補償は課題として掲げられていました。

http://nenkinsha-u.org/04-youkyuundou/pdf/gensuikin_taikai_kokusai_sengen160804.pdf

 

 しかし、今年の2024年の国際宣言にはない、もしくは「枯葉剤など戦争被害者への補償・支援と被害の根絶」という非常に一般化された形での記述になってしまっています。

https://antiatom.org/antiatom55/wp-content/uploads/2024/08/240804_theDeclaration_of_the_InternationalMeeting.pdf

 

 「しんぶん赤旗」日曜版の2024年12月29日・2025年1月5日合併号には、日本共産党の田村智子委員長と、田中煕巳さんの対談が載っていて、田中さんはスピーチで日本政府は償いを一切していないという部分を強調しているんですが、田村さんがそれを政治の側としてどう受け止めるかがあまり反応されていません。

 公平を期すために言っておけば共産党は選挙の基本政策には載せていませんが、分野別政策では国家補償について提起しています。

 ただ、自分が参加していた共産党の福岡市議団や福岡県委員会の活動を振り返ってみて、その観点はかなり弱かったと感じました。

www.jcp.or.jp

 国家補償にはどんな意味があるのでしょうか。それは「ふたたび被爆者をつくらないとの決意をこめ、原爆被害にたいする国家補償」(「原爆被害者の基本要求」)を行うということです。

 田中さんも、前述の対談で

スピーチ後、海外の記者から「どうして〔国家補償拒否を二度も〕強調したのか」と声をかけられました。戦争を起こした国が国民の被害に補償をしないことが許されていると、これからも戦争が簡単に繰り返されるとの思いが頭にあるからです。

と述べています。

 この観点から、新しい年は、埼玉県新座市議会のように、地方議会で被爆者に対する国家補償を要求する意見書の採択などに取り組むべきだと思います。少なくとも福岡市議会では。

jcp-niiza.net

田村閉会あいさつを読んで

 国会が閉会し、共産党国会議員団の閉会総会が行われ、田村智子委員長があいさつしました。

www.jcp.or.jp

 結論から言えば、あいさつの中身が、従来型あいさつ——共産党のいうところの「新しい政治プロセス」に対応していないあいさつになってしまっています。

 

要求運動での前進や変化をまず評価しようか

 私は国会前の田村委員長のあいさつに対して

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 これをもっと短くして、その要点を述べるなら、「要求実現へ政治が動くチャンス」だとそのポイントをまとめることができるでしょう。

 私は一言で言えば、「野党が共通している公約・政策要求を抽出して、その実現には特別の位置付けを与えるべきだ」という戦略が欠けているように思います。

と注文をつけました。この点からみて、政策活動費廃止法案が野党共同で提出され、実際に成立したことをまず、高く評価すべきではないでしょうか*1。それ以外でもスフィア基準での避難所運営方針の改善は大きな前進だと言えます。

 その上で、

  • 学校給食無償化法案の共同提出
  • 企業・団体献金禁止での前向きな論戦と動き
  • 選択的夫婦別姓での石破首相の変化
  • 「103万円の壁」など生計費非課税めぐる前進や変化

などは実際に世論・論戦の前進、機運の醸成という点でダイナミックな変化があった・起こりつつあることを党員にとらえてもらう必要があります(企業・団体献金問題では一定の記述が田村あいさつにはありますが)。

 これ以外にも、学費値上げ反対のための共同を訴え、それはとてもよかったと私は思うのですが、野党や与党への働きかけや取り組みがどうだったかを振り返るべきでした。

熊本県小国町(杖立温泉)

「抜本改革提案をした」が前面なのはいただけない

 ところが、閉会に当たっての田村あいさつでは、こうした要求実現を軸にした情勢の躍動をとらえるダイナミズムが失われ、「共産党は根本的な改革を提案した」という方向だけが前面に出てしまっています。

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 「それこそが他党にない特質だ!」と言いたいのかもしれませんが、要求実現の取り組みを他の野党や国民世論とともにまみれてやってみて初めて、自民党政治のフレームとしての「障害物」性が国民の中に体験的に見えてくるのであって、根本的な方向だけ国会質問で示していれば前に進むというものでもありません。*2要求実現を軸にして、情勢が躍動的に変化し動いていることを、党員にもどう実感してもらうかに、報告の工夫が必要だと思います。

 何はともあれ、まずは新しい国会の構成になって国民の要求実現がどこまで進んだか、その角度から国会の取り組みを評価・計測すべきではないでしょうか。

 

 これは、総選挙後に開かれた共産党の今の全国方針——全国都道府県委員長会議とも大きな方向性としては合致しています。この会議で田村委員長自身が、今後の党活動の基本姿勢を「二重の構え」として次のようにまとめているからです。

 「新しい政治プロセス」を国民とともに前に動かすために、わが党の基本姿勢として「二重の構え」を貫くことをよびかけます。

 一つは、直面する熱い問題で国民とともに要求運動にとりくみ、その実現へ全力をつくすことです。

 「二重の構え」のいま一つは、自民党政治に代わる新しい政治とは何かを、国民の模索と探求にこたえ、綱領を手に国民と語り合う宣伝・対話運動にとりくむことです。

 

国民民主や維新批判のやり方が性急過ぎる

 要求実現に真剣に取り組んで、初めて障害物としての自民党政治の問題が見えてくる——という方針に比してみると、田村あいさつでの国民民主・維新批判というのはいかにも性急です。*3

一方、国民民主党は、いわゆる「103万円の壁」を引き上げるなどの自公との合意をもって、また維新の会は、「教育費無償化の協議会設置」という合意を理由に、「二つの大問題」を不問に付して補正予算に賛成し、自公政権の延命に手を貸しました。(田村委員長の前掲あいさつより)

 私は、除籍後も一般の共産党員らに呼ばれて話す機会がありますが、そこでもよく「国民民主批判をしてほしい」と頼まれたりします。

 しかし、確かに自民党・公明党は過半数を割り込んだけども、一般市民の多くはまだそこから抜け出そうというほどに明確に決めているわけではありません。「自民・公明政権は完全に見限ったが、代わりの野党がいない」というほどでもありません。「自民・公明は裏金問題のような形でおごり高ぶっているのは問題で、野党や市民の意見もちゃんと汲んで政権を運営してほしい」というくらいがリアルなところではないでしょうか。

 だからこそ、“要求を提示して交渉し与党にも協力する”という国民民主党の今のやり方が若い人を中心にウケているわけで、「自民・公明政権などもう大多数は支持していないのに、そんな腐った政権の延命に手を貸した!」という批判では市民感覚とのズレが生じてしまうことになります。*4

www.youtube.com

 

次の国会へ向けて

 次の国会へ向けて、共産党がすべきことは、一つは企業・団体献金の禁止、もう一つは、学校給食無償化や学費値上げストップをはじめとする教育無償化——この二つを、共産党支部をあげた要求運動として重点的に取り組むべきではないかと思います。

 共産党の本来の強みは、国会やメディアでどういう動きがあろうとも、草の根で運動しているのは自分たちだということを市民の目の前で署名運動なり集会なりを開いて示せる——という「足腰」の存在でした。

 新年早々に開かれる4中総ではこの方向を打ち出すべきでしょう。(ただ、すでにその足腰も、高齢化や相次ぐ除名・除籍・離党・未結集で相当なフレイル状態になっているのかもしれません…。)

*1:田村あいさつの中には出てきますが、非常に扱いが小さいものです。

*2:もちろんそういう論戦をするなという意味ではありません。その種の論戦は必要ですが、「あいさつ」や報告で今国会の特徴的なこととして長々と弁ずるほどのものではないのです。

*3:批判するなという意味ではありません。

*4:前掲の田村あいさつでは、企業・団体献金の禁止という個別問題のくだりでも国民民主党批判が出てくるのですが「事実上ブレーキをかけたのは国民民主党」とだけ言い捨てていて、経過を追っていない人は何のことかわかりません。

毎日新聞は党幹部に2つの証拠を突きつけてほしい

 24年12月20日付の「しんぶん赤旗」に、毎日新聞の「『赤旗』は絶好調なのに-- 共産党、伸びない理由 異論許さぬ閉鎖性」という報道についてのコメント記事が載りました。

www.jcp.or.jp

 

初めて私の除籍を赤旗が報道

 この中で「除籍された元職員…を登場させて」と明らかに私が登場します(これがおそらく除籍にかかわって初めて「しんぶん赤旗」で報じられたものになります)。

 その上で

掲載記事には重大な事実誤認がある

として

除名の理由は異論を述べたことではなく、自らも承認していた党の綱領や規約に背いて党外から攻撃をしたことにあると述べました。

と書いています。

 ここには「除名の理由」、つまり松竹伸幸さんの話だけで、「除籍の理由」、つまり私の話ではないように見えます。しかし、実際に毎日新聞を訪れた党の植木俊雄広報部長がどこまで述べたかその全容はわかりませんので、記事の前後から判断して、私についてもそのように述べたのではないかと推察します。

 

 少なくとも私の問題については「異論を述べた」ことを理由としている動かぬ証拠がありますので、毎日新聞社は以下の二つの事実を共産党幹部に突きつけてほしいと思います。

福岡市西区の「やよいの風公園」





証拠1:党福岡県委員長の査問における発言

 県委員長(党中央幹部会委員でもある)は、23年の4月と5月に行われた私への予備的な調査(査問)に際して、次のように発言しています。

「あなた(神谷は)重大な間違いをしているんだからここは反省すべきだと。自分(神谷)は松竹擁護について間違っていたと、反省して自己批判しなさいと。そうすれば救われる。党に残れる。処分も受けるかもしれないけど、松竹氏みたいに除名とかああいうふうにはなりませんよ」

 松竹を擁護したことを自己批判せよ、そうしないと党には残れない、処分も受ける、とはっきり述べているのがわかると思います。

 明らかに異論を述べたことを理由に、規約で禁止されている自己批判(=反省の表明)を迫り、できなければ追放をすることを脅しています。「規約違反」とされたブログという形式での公表の話は一言もなく、まっすぐに主張の中身を問題にしているのです。(詳しくはこちら)

 これらは私の一方的なメモではなく、客観的な記録があります。必要なら毎日新聞にお示しすることもできます。

 

証拠2:党福岡県委員長の23年秋の県内での会合の発言

 やはり県委員長ですが、23年秋の県内の党員に対する会合で次のように発言しています。

彼(神谷)が(規約違反容疑の)調査を受けている第二の理由は、松竹氏を擁護している(から)。松竹氏の主張というのは綱領と規約に対する異論を述べている。(神谷は)これを擁護している。規約4条では党の綱領と規約を認める人は党員になれるとある。党の綱領と規約に異論を述べる人、党中央の解釈と違う解釈を述べる人は党員であり続けることはできない。根底に関わる問題で松竹氏は問われた。それを擁護したらどうなるか。主張の中身として。主張のやり方じゃなくて。神谷さんの党員としての立場が問われることになるわけだよ。神谷問題というのは、ブログを出して勝手に発表したということに止まらない。綱領と規約をめぐる問題で松竹氏は否定している。それを(神谷は)擁護している。

 公式の声明(オモテ)では私がブログを書いたことが問題なのだと述べているわけですが、党内(ウラ)では他の党員に向けて、実は異論を述べたことが処分の対象となる本当の理由なのだという趣旨を述べているのが分かると思います。(詳細はこちら)

 やはり私の一方的なメモではなく、客観的な記録があります。こちらについても毎日新聞がご希望なら提示できます。

 

証拠・根拠に基づいてオモテの理由のウソを暴く批判精神こそジャーナリズムの本質

 他にもありますが、これだけお示しするだけでも十分でしょう。

 この二つの証拠から言えることは、オモテでは確かに私の追放(除籍)について、

あなたの県委員会総会での発言内容は、批判の対象とはなりますが、私たちはそれを規律違反としているのではありません

と記述していますが、実際には異論を述べたために排除するのだということを示しています。

 「裏金のことなんか知りませんでした」とオモテで言っていることのウソを、証拠を示して暴くように、報道機関が、政党の主張を鵜呑みにして、批判的に検討しないなら、それはジャーナリズムではありません。政党の第二広報部です。

 毎日新聞社は堂々と党幹部に反論すべきであり、ジャーナリズム精神の根本が問われることになるでしょう。

 この機会に、証拠を示して、党幹部が何と言い訳するのか、ぜひ報道してほしいと思います。



その他の問題も突きつけてほしい

 ところで、赤旗記事によれば、毎日新聞が私に

「異論を許さぬ閉鎖性」にあると語らせ、これが党の後退の理由であるかのように記述したことを批判。

とありますが、これは選挙直後からの私の主張です。毎日新聞がなにか私を操作したわけではありません。壇上での発言を組織のエラい人が裏で振り付けさせたりするようなやり方と同じにしないでください。

 また、

党大会議案に対する党員からの意見・異論については冊子にして毎回の党大会時に作成し公開している事実を指摘しました。

ともありますが、実際には1200字で1回きりです。また、大会など横断的な会議では発言時間は8分程度に限られ、異論が伝播しないような抑制的な仕組みを作っています。(詳細はこちら)*1

 

 「開かれた討論」をしているように見せながら実際には厳しく抑制する仕組みについても毎日新聞は党側に事実を突きつけ、コメントを引き出してほしいと思います。何しろこれまでは私の除籍のあまりにひどい経過を記者会見の場で突きつけられても、田村委員長は「神谷氏の問題はコメントしません」を繰り返していたのですが、今度は私について赤旗で言及した上で、同社まで乗り込んで「改めて党への取材を」とまで「要請」しているんですから!

*1:大会討論冊子への投稿については党中央から電話がかかってきて掲載を拒否されたという証言が、『日本共産党の改革を求めて 増補版』(あけび書房)p.111-112に載っています。この本の抜粋は私が裁判に証拠として提出しました。

なぜ栃木県の共産党幹部はかぴぱら堂さんの問いに答えないのか

(この記事は私の不当な除籍・解雇事件の問題の一部についてです。全体像を簡単に知りたい方は24年8月20日付の記事を先にお読みください。)

 

 もし私が「Aさんの今年に出した論文は、私が去年発表した論文の盗作だ」と告発したときに、Aさんから「いえ、私は同じ文章を30年前に本の中で公表しています」と反論があったら、私はどうすべきでしょうか。

 当然私は30年前よりもっともっともっと前に自分が発表したことを証明しないといけません。何しろAさんから具体的な反論が返ってきているのですから。

 

 しかし、いま福岡県の共産党幹部がやっていることは、

「Aさんの今年に出した論文は、私が去年発表した論文の盗作だ」

「Aさんの今年に出した論文は、私が去年発表した論文の盗作だ」

「Aさんの今年に出した論文は、私が去年発表した論文の盗作だ」

とくり返しているだけなのです。

 “どうせAさんの反論など自分の身近な人には読まれまい”と思っているのでしょうか。ひょっとして“「去年発表した論文」という具体的な根拠まであげているんだぜ”と威張っているかもしれません。

 しかしいくら「根拠っぽいフンイキ」をかもしだしてみても、Aさんからもっと具体的な反論が出されている以上、これは通用しません。ただの壊れた機械と同じです。

 

 ところが、同じことを栃木の党幹部がやり始めてしまいました。

鬼怒楯岩大吊橋(栃木)



具体的な反論になぜ答えないのか

 私への不当な除籍・解雇事件をめぐり、かぴぱら堂さんに対して栃木県・地区の共産党幹部がかぴぱら堂さんへ除籍を警告する文書を送りつけています。

 

 ここで私の除籍について、栃木の党幹部は福岡県などの党幹部の言ったことをそのままくり返して、私の除籍の「理由を明確にしています」と述べています。

 本当に「理由を明確にして」いるでしょうか?

 かぴぱら堂さんも8月16日付のご自身の文書で具体的に反論していますし、私もこの福岡県などの党幹部の除籍理由は成り立たないことを、根拠をあげて反論しています。

 簡単に言えば、

  • 党幹部“神谷は党の決定に反する意見を、勝手に発表した!”→私はブログで決定に従う旨を明記している。
  • 党幹部“神谷は県委員会総会の議論を勝手に公表した!”→私は決定を知らせただけで、誰のどんな討論かについては全く記述していない。具体的にどこがその該当部分か説明せよ。

というものです(詳しくはこちらで)。

 ご覧の通り、党幹部が私につけた言いがかりは、「ありもしない規約違反」を作り上げたというべきものです。

 党幹部はこのことについて全く反論ができず、沈黙しています。かぴぱら堂さんや私の問いに何も答えていない。最初に言った「規約違反」をくり返しているだけなのです。

 そして、事もあろうに、栃木の党幹部たちもこのくり返しのご唱和に乗っかりました。

 「理由を明確にしています」などということはちっともありません。

 

 お尋ねしたいのですが、私やかぴぱら堂さんからの具体的な反論になぜ栃木の党幹部は何も答えないのでしょうか。

 しかもかぴぱら堂さんが8月に追及した他の点——例えば私の今年5月のブログが共産党への敵対・攻撃を綴ったものであるというのはなんの根拠もない思い込み・言いがかりだという点については完全に沈黙しています。この点はもうかぴぱら堂さん(および私)の反論への完全降伏ということでしょうか。

 

これでは「党の指導」とは言えない

 「指導とは道理と納得である」と昔の共産党の指導者である宮本顕治は言いました*1。党員であるかぴぱら堂さんに指導するとは、壊れた機械のように同じことをくり返して最後に「追放するぞ!」と脅すことではありません。私やかぴぱら堂さんの言い分が成り立たないことを、懇切丁寧に説明すればそれでいいではありませんか。あなた方に道理があるなら、「なるほどそうかもしれない」と思い直すはずです。

 ひょっとして説明できないのではありませんか。

 あまりにも自分たちが道理のないことを言っていると、心の中で恥じているのではないのですか。

 そんなことはないでしょうか。

 そうであればいいんですが、それならまずはちゃんと説明してください。

 

またしても「カジュアル除名」にするのか

 そして、かぴぱら堂さんに対してもやはり処分ではなく除籍をしようとしています。

 重大な規約違反の疑いがあるというなら、堂々と彼の所属する支部なり地区なりで違反認定および処分について問えばいいではありませんか。*2

 それをせず安易な「除籍」にするのは、何度も言いますが、党の公式マニュアルにさえ反するものです。

重大な規律違反で、党と国民の利益を裏切り、党に打撃をあたえた党員に、「処分」をおこなわないで第十一条による党員資格喪失者として、除籍で処理するのは正しくありません。(浜野忠夫『国民に開かれた党へ——日本共産党新規約のはなし』p.73)

 なぜ違反認定・処分ではなく、幹部が一方的に決められる「除籍」なのか。それはかぴぱら堂さんに意見表明の機会を与え、支部総会や地区委員総会で決めさせたら自分たちの言い分が聞き入られない=「負ける」と思っているからではないのですか。よしんばその場はなんとかしのげたとしても、除名では党大会での再審査に持ち込まれてしまうから「面倒くさい」と思ったのではないですか。

 そうでないというなら、党規約と党の公式方針に沿った扱いをすべきです。

 そうしないなら、除籍の濫用、まさに「カジュアル除名」です。

 かぴぱら堂さんに対するそのような除籍の濫用は、やめるべきだと考えます。

 

大量追放

 それにしても、私の除籍・解雇に、いや、その前の松竹伸幸さんの除名に端を発したドミノだおしのような大量追放が起きています。松竹さんの時も、いろんな全国紙が社説を次々に出し、テレビでもネットでもかなり取り上げられましたが、それから1年以上経った今、またメディアにこういう記事が載ってしまうのは、むべなるかなと思います。

mainichi.jp

*1:「正しい指導とは、命令でなくして道理に立ち、実情にあったもので、すべての党員を納得させうるものでなくてはなりません。こうした納得をかちうることなしには全党が自覚的規律によって結ばれるという保障はでてきません」(第11回党大会報告)。

*2:もちろんロジック上こうなるということですから、私が積極的に「かぴぱら堂さんを処分しろ」と主張したいわけではありません。

「党の中枢に多数派による分派ができている」という規定が後景に退く理由

 下記の記事で日本共産党の「50年問題」*1について少々書きましたが、その際党史を改めて読み直して気づいたことを少し。

kamiyatakayuki.hatenadiary.jp

 日本共産党の最新(2023年)の正式党史である『日本共産党の百年』には、「50年問題」とは何か、という端的な規定がありません。

 p.98に

これが「五〇年問題」と呼ばれるものです。

とありますが、2ページにわたる叙述をまとめてこう書いているので、「どれが…?」と思ってしまいます。

 この傾向は、その前(2003年)の公式党史である『日本共産党の八十年』でも同じで、やはり端的な規定はありません。

 もっと前(1994年)の公式党史『日本共産党の七十年』には、ちゃんと冒頭に定義的な規定が登場します。

日本共産党の五〇年問題とは、第六回大会選出の中央委員会が、一九五〇年六月六日のマッカーサーの弾圧を機に、徳田球一、野坂参三を中心とした「政治局の多数」の分派活動によって、解体、分裂させられ、全党が分裂と混乱になげこまれた深刻な事態をいう。(『日本共産党の七十年』上、p.210)

 さらに『七十年』には

党中央における徳田・野坂分派の発生と党中央委員会の解体という事態の本質(同前)

という「本質」規定まで登場します。

 

志位氏の講演の中にはある

 しかし公式党史には全然ないわけですが、党の公式見解の中にまったくないかというと、志位和夫委員長(当時)の党創立100周年記念講演の中には次のようにあります。

100年の歴史を通じて、わが党の最大の危機は、戦後、1950年に、旧ソ連のスターリンと中国によって武装闘争をおしつける乱暴な干渉が行われ、党が分裂に陥るという事態が起こったことにありました。私たちはこれを「50年問題」と呼んでいます

 50年問題とは何か、ということは、党内外で「さっ」と答えられるために、定義めいた簡単・端的な規定を与えておくべきだと思います。そうでないと(党的に見て)不正確なことを言っちゃったりすることになりますからね。

 こういうことを気にするのは、人生の若い時期に『七十年』党史で議論してきた世代だからかもしれません。「国際派と所感派に党が分裂した事態」とか説明すると怒る人がいましたし、単純に「党が分裂した事態」と説明しても「党中央の中の徳田・野坂分派の形成という本質がそれでは見えない」とかいう批判をされることもありました。

 

50年問題の語り方の変化

 さて、今見た志位氏の規定と『七十年』の規定では、ずいぶん違いがあるのがわかると思います。

 志位氏の場合は、「旧ソ連のスターリンと中国によって武装闘争をおしつける乱暴な干渉が行われ」というところがメインで中央委員会の中でできた分派の問題はこの本質規定からなくなっています。

 他方で、『七十年』では「政治局の多数」の分派活動に軸がおかれています*2。

 この変化は不破哲三『日本共産党史を語る 上』(2006年)の中でその事情が書かれています。

 それは旧ソ連の秘密文書の解析とともに認識が変化したことを示し、『七十年』でそれを反映させ、『八十年』では「叙述を〔『七十年』よりも〕より簡潔にしながらも、内容的には問題点をより整理し深めた」(p.233)としました。

現在の総括では、「五〇年問題」の全体が、スターリンの干渉主義によってひきおこされたものだという認識に前進したことです。最初のコミンフォルム論評そのものが、武力闘争路線を日本の運動に押しつける第一撃としてたくらまれたものであって、「内容はよかった」などとは絶対に評価できないものでした。(同前)



「中央委員会の多数派による私物化」という本質

 しかし、干渉の全体像がわかったという話と、50年問題全体を一言でどう規定するかは、また別の問題です。

 志位氏のようなまとめ方をしてしまうと、『七十年』まではあった「『政治局の多数』の分派活動」という側面が削ぎ落とされてしまう、もしくは後景に退いてしまうことになります。

 なんでもかんでもソ連と中国(というか、不破氏の解明ではスターリン)の押しつけが根源だという描き方になってしまうと、日本共産党としてそれにどう主体的に対応してどう組織的な誤りを犯したのかがわからなくなってしまいます。

 押しつけたのはスターリンであっても、それを主体的に判断したのは日本共産党員です。しかもソ連にいたわけではありませんから、直接に銃剣で脅されていたわけでもありません。

 これは戦前史でも同じで、いくら権力が送り込んだスパイが指導者になって「銀行強盗やるぞ」と言ったとしても、党員として「はいわかりました」と言って従ったのは間違いないことですから、そこに主体性の大きな問題があったことは否めません。

 どうしてそんなことに多くの党員が従ってしまったのか、というところをえぐらないと、ただの昔話になってしまいます。「自分ごと」にならないわけですね。

「党中央の多数派が分派をつくる」という今にもつながる話が削ぎ落とされている

 特に、「党中央の多数派が分派をつくって組織全体を私物化してしまう」というのは、今にもつながる重大な組織の病理です。

 そして不破さん自身が

全体としてのスターリンへの信頼は絶大で、こういう人物が間違うはずはない、と本気で思っていたものです。(不破前掲p.191)

スターリンにたいするものとはまた違った意味で、中国共産党や毛沢東への信頼も、抜群のものがありました。(同前p.192)

と語っているように、党員が心の中に「知的権威」として築いてしまった人たちからの指令に抗えないという問題、そこに全てを委ねてしまう心性は、今日でも考えなければならない深刻な問題ではないでしょうか。

 私は、自分が不当に排除される中で、まわりの党員・議員たちが、私をめぐる事情についてほとんど何も知らないのに(調査中なのですから知らされていないし、知らないのが当たり前なのです)、党幹部のいうことに「賛成」をして、私を吊るし上げたり、セカンド・ハラスメントを浴びせたりする隊列に加わっていた光景を忘れることはできません。

 また、私を“打擲”する現場にいなかった党員であっても、「どんなに理不尽であっても党幹部のやること・言うことをまず信じて従うべきだ」という心情を吐露されることが多かったですね。特に高齢の方ほど。だから「とにかく謝って折れたほうがいい」という「屈服のススメ」をしてくるわけです。

 そして、50年問題で打ち立てられたはずの「内部問題は党内で解決する」という原則が、現代ではまるでその教訓が完全に忘れ去られたかのように、全くあべこべに解釈されてしまう問題などが引き起こされてきました。

 

 党の中枢に多数派による分派ができているのではないか?

 この恐ろしい事態が現実に起こり、歴史の教訓として示したのが50年問題だったはずです。それは全党の力でその病巣を剔出する以外に解決しようがないのです。「いつかは幹部は間違いに気づいて立ち直る自動制御装置が作動する」ということが起こらなかったのが50年問題で、議席がゼロになり、国民の信頼が失墜し、党の大半が壊れてしまうところまで行ってしまったわけです。

 

 50年問題の端的な規定が党史からなくなり、あってもソ連・中国の干渉の記述が過大になって、党中央の多数派が分派をつくって党を壊した、という肝心な部分が(本質規定から)消えてしまっているのは、党幹部の中に、そこに触れたくないという気持ちがあるせいではないかとさえ思っています。

*1:表記が「50年問題」なのか「五〇年問題」なのか。共産党の文献では「五〇年問題」が多いのですが、それは昔は縦書きが多かったせいだろうなと思いました。つまり、書式によって変わるので、表記はどちらでも構わないということ。

*2:さらに言えばマッカーサーの弾圧の契機も含まれています。