インゴ・メッツマッハー著
小山田豊訳
春秋社刊
ISBN978-4-393-93547-7
先日ご紹介したメシアンの
「アッシジの聖フランチェスコ」のDVDで小気味よい指揮ぶりを披露していたメッツマッハーが、
2005年にこんな本を書いていました(
やってまったー)。つい最近出た、その日本語訳です。
キャリアの出発点が「アンサンブル・モデルン」のピアニストだったということで、指揮者としての彼の名前は、それこそ「現代音楽」のスペシャリストとして、一部の人にはよく知られています。そんな彼が、自分の体験を通して、「現代音楽」について語ったものが、この本です。しかし、それは決して教条的な解説書ではなく、彼が本当に好きな音楽についていとも楽しげに「こんなのがあるから、聴いてごらん」と言っているような親しみやすさが、いたるところからにじみ出してくるものでした。
それは、彼自身の体験によって裏打ちされているものばかりですので、圧倒的な説得力をもって迫ってきます。例えば、シュトックハウゼンの「コンタクテ」を練習する課程で、彼の音楽に魅了されるようになっていく様子をつぶさに語るあたりの真に迫った描写には、惹きつけられずにはいられません。そのコーナーでの、シュトックハウゼン本人との関わりについても、興味の尽きないエピソードが次々に現れてきますしね。
今年の秋に来日して、新日本フィルとともに演奏するハルトマンについても、それぞれの交響曲の魅力が、熱く語られています。おそらく、この本と、このコンサートによって、彼の作品の愛好家も少しは増えるのではないでしょうかね。実際、メッツマッハーの真に共感に満ちた語り口は、無条件でその曲を実際に聴いてみたくなるものばかりでした。これほど平易な言葉で「現代音楽」の魅力を伝えた本を、他に知りません。
ただ、この翻訳には、そんな魅力を半減させるような欠陥が潜んでいました。まずそのタイトルです。原題は「
Keine Angst vor neuen Tönen / Eine Reise in die Welt der Musik」というもの、メインタイトルが「恐れるな」などという命令形なのは、まあ趣味の問題として片づけられますが、サブタイトルは本来は「音楽の世界への旅」なのですから、「現代音楽、複数の肖像」というのは訳者による全くの捏造ということにはなりませんか?確かに、何十年か前の「ゲンダイオンガク」のシーンでは、こんな頭でっかちの意味不明な言葉が飛び交っていたのかもしれません。それは、ひたすら独りよがりへの道を突き進んだ「作曲家」と、そして、それをありがたがって拝聴することが一つの特権だと勘違いしていた「聴衆」を、いみじくも象徴するような言葉なのではないでしょうか。メッツマッハーは「私と一緒に『音楽の世界への旅』へ行きましょう」と言っているというのに。
そんな訳者の勘違いをさらに端的に示しているのは、最後に掲載されている本文には由来しない著者のプロフィールです。かつてハンブルク時代に彼の指揮で開催されていた年末のコンサートのタイトルは、英語で
「Who is Afraid of 20th Century Music?」というものだったのですが、これはもちろんディズニーのアニメ「三匹の子ぶた」の主題歌「
Who's Afraid of the Big Bad Wolf?」をもじった、いかにもメッツマッハーらしいウィットに富んだタイトルだったはずです。ですから、日本語で表すときにも、この歌の邦訳として定着している「狼なんか怖くない」にちなんだ「
20世紀音楽なんか怖くない」あたりが、素直にそのコンサートの趣旨を伝えるものとしてふさわしいのでは、とは、誰しも思うことでしょう。ところが、ここで訳者が用いた邦訳は、「
20世紀音楽を恐れるのは誰だ?」という、まさに「直訳」、メッツマッハーがタイトルに込めた思いからは、はるかに遠くにあるものだったのです。
こんなに面白い本が、こんな扱いによってごく一部の鼻持ちならないマニアの目にしかとまらなかったとしたら、これほど残念なことはありません。
Book Artwork © Shunjusha