ブラックホール研究で大きな功績を残したホーキング博士(写真:ロイター/アフロ)
ダークマターの正体にマルチバース理論、インフレーションの発生要因。最先端の技術をもってしても、宇宙は解明されていない謎であふれている。むしろ、宇宙の95%は謎である。そう語るのは、理論物理学者の野村泰紀氏(カリフォルニア大学バークレー校教授)だ。
ブラックホールもまた、謎多き存在であり、研究者の興味を惹きつけてやまない。ブラックホールの何が謎なのか、その謎を解明すべく、どのような理論が組み立てられてきたのか。『95%の宇宙』(SBクリエイティブ)を上梓した野村氏に、話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
ブラックホールが「真っ黒な天体」である理由
──ブラックホールとは、どのような天体なのでしょうか。
野村泰紀氏(以下、野村):ブラックホールとは、物質が自らの重力で中心へとつぶれ続けている天体です。質量が一点に集中し、その引力の強さが極限に達しています。
たとえば、地球からロケットで脱出するには、ある一定の初速度が必要です。これを「脱出速度」と呼びます。ところが、ブラックホールでは、中心から物体が飛び出そうとすると、その脱出速度が光の速さを超えてしまうのです。
相対性理論によれば、光より速いものは存在しません。つまり、光ですらブラックホールの重力から逃げることができない。それが「真っ黒な天体」として観測される理由です。
ブラックホールの中心には、すべての質量が一点に集中しています。そこからどの方向に進もうとしても、ある境界を越えることができない。その境界を「事象の地平面」と呼びます。
この地平面は天体の実際の「表面」ではなく、あくまで人間が定義した面です。言い換えれば、「これより内側に入ると二度と戻れない」ライン。そこを越えたすべての情報は外部には届かず、私たちはブラックホールの内部を直接知ることができません。
──かつては「ブラックホールのエントロピーはゼロである」と思われていたそうですが、そもそもエントロピーとは何ですか。
野村:エントロピーは「どれほど物事が乱雑になっているか」を表す指標です。たとえば、引っ越したばかりの何もない部屋は整然としており、エントロピーが低い状態です。ところが、生活をしているとモノが増え、散らかっていく。つまり、エントロピーが上がっていくわけです。
同様に、コーヒーにミルクを注ぐと最初は分離していますが(低エントロピー)、やがて均一に混ざり合う(高エントロピー)。一度混ざると自然には元に戻らない。これは「エントロピーは増大する方向に進む」という熱力学第二法則に従う現象です。私たちが「時間が進んでいる」と感じるのも、実はこのエントロピーの増大によるものなのです。
──なぜブラックホールのエントロピーはゼロだと考えられたのでしょうか。
野村:地球のような天体は表面に山や海があり、そこに多様な情報が含まれています。したがってエントロピーが存在する。
一方でブラックホールは、外から見ると滑らかで情報のない「仮想的な表面(事象の地平面)」しか持ちません。つまり、乱雑さがまったく見えない。そうした理由から、かつては「エントロピーがゼロ」、あるいは「そもそもエントロピーという概念が存在しない」と考えられたのです。
──エントロピーがゼロだと、何か不都合があるのでしょうか。
