オホーツクの雪景色に埋もれゆく「鴻之舞鉱山跡」(写真:著者撮影)

佐渡金山、串木野の金山と並ぶ北海道の大金山「鴻之舞(こうのまい)鉱山」。昭和15年には産出金量が日本一となり、オホーツクに昭和のゴールドラッシュを巻き起こした。閉山とともに人々は去り、平成の大合併により町の名前も消えてしまった「鴻之舞」で、栄華の面影を探す。(JBpress編集部)

(道民の人、紀行写真家・ライター)

※本稿は『日本遠国紀行: 消えゆくものを探す旅』(道民の人著、笠間書院)より一部抜粋・再編集したものです。

最盛期の1/6以下の人口になった鉱山街、北の黄金郷「鴻之舞鉱山跡」へ

 2019年の春から夏の間、私は地元北海道の今を改めて目に入れておきたいと断続的に計20日前後の期間にわたって各地の産業跡地や限界集落、廃墟化施設などを訪ね、また可能な限り当事者の話を聞き取り歩く旅を行った。

 その中でも後半の10日間は道央から道東、道北を大きく一周する長旅となり、多くの土地と人に出会い、そして知見を得られる旅となった。

 その5日目に訪ねたのがオホーツク海側の内陸部に位置する遠軽(えんがる)町は旧丸瀬布(まるせっぷ)町であった。先の滝上町とは隣同士の自治体である。

 網走や北見、紋別からちょうど中間の内陸部に位置する旧丸瀬布町は、昭和40年頃まで豊かな森林と鉱山資源に支えられ、林業と鉱業を中心ににぎわった自治体であった。

 旭川と大雪山系を越え、遠軽駅を経由して網走まで至る石北本線が今でも停車する駅があり、かつては森林鉄道や近隣の鉱山専用のレールも敷かれていた。

 ここから木材や鉱石を積み出す列車で、駅周辺は日夜活況を呈しており、国道も併走している。これはオホーツク海側と旭川・札幌を結ぶ重要なルートとなっている。

 昭和30年代には人口約8000人を数え、オホーツク海側内陸部の街としてはかなりの規模を誇っていた。

 しかしその後は急速に人口を減らし、昭和55年には約3500人、平成の大合併で隣接する白滝村・遠軽町と合併する頃には約2000人にまで落ち込んだ。

 これもまた、丸瀬布町内および近隣の山中に存在した産業の斜陽化が原因である。

 この町の中央を流れる湧別川沿いを走ると遠軽町中心部へ至るが、いったん逸れて、道道305号を山中へ4kmほど走る。

 やがて「金八トンネル」という不思議な名前のトンネルが現れ、その尾根を抜けると紋別市の領域に入る。ここからは下り勾配の狭い沢伝いの道が約10km区間にわたって続く。