野崎啓造
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野崎 啓造(のざき けいぞう、嘉永5年2月14日[注 1](1852年3月4日)- 明治43年(1910年)11月17日[1][2])は、日本の検事総長、貴族院勅選議員。
経歴
[編集]広島藩士の子として、広島城下に生まれた。広島藩学問所(現:修道中学校・高等学校)にて学ぶ[3]。1875年(明治8年)より司法省に出仕し、検事補を経て、1881年(明治14年)に検事に昇進した。1889年(明治22年)、ドイツ・フランスへ司法事務の視察に赴いた。帰国後、横浜地方裁判所検事正、東京地方裁判所検事正を歴任し、1893年(明治26年)、大審院検事となった。その後また地方に転出し、大阪地方裁判所検事正を経て、1894年(明治27年)に広島控訴院検事長、1898年(明治31年)に東京控訴院検事長に就任した。同年、検事総長に抜擢され、1904年(明治37年)まで務めた[4]。
その後、1905年(明治38年)12月13日に貴族院議員に勅選され[5]、死去するまで在職した[6]。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 初版』660頁では2月4日生。
出典
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 『立身致富信用公録 第十三編』国鏡社、1903年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職 | ||
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先代 野村維章 |
東京控訴院検事長 1898年 |
次代 波多野敬直 |
先代 奥山政敬 |
広島控訴院検事長 1894年 - 1898年 |
次代 一瀬勇三郎 |