福井盛太
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福井盛太 | |
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生年月日 | 1885年7月14日 |
出生地 | 大日本帝国、群馬県邑楽郡館林町 |
没年月日 | 1965年12月27日(80歳没) |
死没地 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学法科大学 |
所属政党 |
(自由党→) 自由民主党 |
称号 | 従三位勲二等 |
在任期間 | 1946年6月19日 - 1950年7月13日 |
選挙区 | 旧群馬2区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1952年10月1日 - 1953年3月14日 1955年2月27日 - 1960年10月24日 |
福井 盛太(ふくい もりた、1885年(明治18年)7月14日 - 1965年(昭和40年)12月27日)は、日本の弁護士、検察官、国会議員。検事総長、日本弁護士連合会会長・衆議院議員(3期)・共立薬科大学理事長等を歴任。また、日本野球機構初代コミッショナーを務めた。栄典は従三位勲二等旭日重光章、館林市名誉市民[1]。
経歴
[編集]- 群馬県邑楽郡館林町(現在の館林市)出身。
- 1905年 群馬県立太田中学校卒業。旧制第二高等学校を経て、
- 1913年 東京帝国大学法科大学ドイツ法学科を卒業し、弁護士開業。のち第一東京弁護士会会長に就任。
- 1946年 検事総長に就任。昭和電工事件等の疑獄事件に関わった。
- 1951年 日本野球機構初代コミッショナーに就任。長谷川良平の広島カープ退団問題などに裁定を下した。
- 1952年 第25回衆議院議員総選挙に自由党公認で群馬県第2区から立候補し当選。以後当選3回。憲法調査会長・裁判官訴追委員長を務めた。