芝田徹心
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しばた てっしん 芝田 徹心 | |
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生誕 |
1879年2月25日 三重県三重郡四郷村(現・四日市市) |
死没 | 1950年2月6日(70歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学文科大学 |
職業 | 教育者、官吏 |
芝田 徹心(しばた てっしん、1879年〈明治12年〉2月25日[1] - 1950年〈昭和25年〉2月6日[2])は、日本の文部官僚。女子学習院長。宮中顧問官。
経歴
[編集]三重県三重郡四郷村(現在の四日市市)出身[1]。1903年(明治36年)に東京帝国大学文科大学哲学科を卒業し、大学院で宗教哲学・倫理学を専攻した[3]。高輪中学校教諭、順天中学校教諭、高輪仏教大学教授、日蓮宗大学教授、曹洞宗大学教授、第八高等学校講師、同教授・教務課長、愛知医学専門学校講師を務めた[1][3]。さらに文部省督学官、第八高等学校校長、文部省図書局長を歴任[3]。1936年(昭和11年)、東京美術学校校長に就任し、1940年(昭和15年)に女子学習院長に転じた[3]。1945年(昭和20年)に退官して宮中顧問官となった[4]。心臓弁塞により死去。
著作
[編集]- 向上会 編「降誕会の意義」『釈尊』文明堂、1906年5月、99-105頁。 NCID BB07690586。全国書誌番号:40043945 NDLJP:816611。
- 『教科書を中心としたる小学校教育に就て』新更会刊行部、1932年2月。全国書誌番号:44053626 NDLJP:1457470。
家族
[編集]栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1930.
- ^ 20世紀日本人名事典 2004.
- ^ a b c d 日本官界名鑑 1942.
- ^ 『官報』第5407号、昭和20年1月26日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十七年版』日本官界情報社、1942年。
- 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。
関連文献
[編集]- 舘かおる 「芝田徹心」(下中邦彦編 『日本人名大事典 現代』 平凡社、1979年7月)
外部リンク
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その他の役職 | ||
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先代 校長事務取扱 鷹谷俊之 |
千代田女子専門学校長 1945年 - 1948年 |
次代 鷹谷俊之 |