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益田赤十字病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
益田赤十字病院
情報
英語名称 Masuda Red Cross Hospital
前身 石西購買利用組合共存病院益田分院
益田共存病院
美濃共存病院
標榜診療科 内科
小児科
呼吸器内科
消化器内科
血液内科
内分泌・代謝内科
脳神経内科
循環器科
外科
整形外科
脳神経外科
皮膚科
泌尿器科
産婦人科
耳鼻咽喉科
眼科
放射線科
麻酔科
歯科口腔外科
病理診断科
許可病床数 284床[1]
一般病床:276床
感染症病床:4床
結核病床:4床
職員数 568名(2019年4月1日現在)[2]
開設者 日本赤十字社島根県支部
管理者 益田赤十字病院 病院長
開設年月日 1971年3月26日[3]
所在地
698-8501
島根県益田市乙吉町イ103番地の1
位置 北緯34度41分02.4秒 東経131度50分28.9秒 / 北緯34.684000度 東経131.841361度 / 34.684000; 131.841361 (益田赤十字病院)座標: 北緯34度41分02.4秒 東経131度50分28.9秒 / 北緯34.684000度 東経131.841361度 / 34.684000; 131.841361 (益田赤十字病院)
PJ 医療機関
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益田赤十字病院(ますだせきじゅうじびょういん)は、島根県益田市に所在する病院日本赤十字社が運営する。

沿革

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特記ない場合、出典は[4]による。

  • 1919年大正8年)- 鹿足郡青原村産業組合長の大庭政世により、同村に日本初の農業組合による青原組合医院が開院[5]
  • 1931年昭和6年)- 青原組合医院を拡張する形[6]で、旧日原村石西購買利用組合共存病院が開院[5][7]
  • 1933年(昭和8年)- 石西購買利用組合共存病院の益田分院が開院[6]
  • 1936年(昭和11年)- 益田分院が益田共存病院となる。
  • 1940年(昭和15年)- 益田共存病院から美濃共存病院となる。
  • 1957年(昭和32年)- 美濃共存病院から日本赤十字社に移管され、益田赤十字病院が開院。益田市赤城町に新病院竣工。
  • 1971年(昭和46年)- 益田市乙吉町(現在地)へ新築移転。
  • 2015年平成27年)- 新病院竣工。

診療科

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20診療科[1]

  • 内科
  • 小児科
  • 呼吸器内科
  • 消化器内科
  • 血液内科
  • 内分泌・代謝内科
  • 脳神経内科
  • 循環器科
  • 外科
  • 整形外科
  • 脳神経外科
  • 皮膚科
  • 泌尿器科
  • 産婦人科
  • 耳鼻咽喉科
  • 眼科
  • 放射線科
  • 麻酔科
  • 歯科口腔外科
  • 病理診断科

機関指定など

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保険医療機関 救急告示病院
災害拠点病院 地域医療支援病院
地域医療拠点病院 労災保険法指定病院
結核指定医療機関 エイズ拠点病院
生活保護法指定医療機関 第二種感染症指定医療機関
地域がん診療連携推進病院 地域周産期母子医療センター
母体保護法指定医療機関 臨床研修指定病院
指定自立支援医療機関 指定小児慢性特定疾病医療機関
身体障害者福祉法指定医療機関 指定養育医療機関
被爆者一般疾病医療機関 肝炎治療指定医療機関
島根県DMAT指定病院

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 島根県 医師募集・医師求人 益田赤十字病院
  2. ^ 島根県看護職情報ネット
  3. ^ 島根県健康福祉部医療政策課 県内病院一覧
  4. ^ 概要・沿革”. 益田赤十字病院. 2024年4月7日閲覧。
  5. ^ a b 当院の取り組み”. 医療法人橘井堂 津和野共存病院. 2024年4月7日閲覧。
  6. ^ a b 三輪茂之「日本最初の産業組合医療の発祥地「島根県津和野町の地域医療の過去・現在・未来」石西厚生連破綻を乗り越えて」『日本農村医学会雑誌』第71巻第6号、日本農村医学会、2023年、462-464頁、doi:10.2185/jjrm.71.462 
  7. ^ 中村一成「近代日本の農山村における病院医療供給と地域社会-名望家から産業組合へ-」『歴史と経済』第59巻第2号、政治経済学・経済史学会、2017年、1-17頁、doi:10.20633/rekishitokeizai.59.2_1 

外部リンク

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