機械遺産
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機械遺産(きかいいさん、Mechanical Engineering Heritage)は、一般社団法人日本機械学会が機械技術の発展に貢献したとして認定した、日本国内の物件の総称である。
概要
[編集]2007年6月、日本機械学会の設立110周年を記念して設けられた制度である。国内の機械の中でも特に我々の生活に大きな影響を与えた機械・機器、関連システム、工場、設計仕様書、教科書などを、記念物として認定する。選定基準は社会発展に貢献した機械であることや、現存していて実際に動かせる状態であることである。認定後には、企業などが所有を継続できなくなった場合に国立科学博物館や地方公共団体への移管の仲介を行い、遺産の処分や散逸を防ぐとしている。
なお、日本機械学会では毎年数件ずつ選定して認定する予定である。
分類
[編集]機械遺産は
- Site(機械遺産のある歴史的な風景)
- Landmark(機械を含む象徴的な建造物・構造物)
- Collection(保存・収集された機械)
- Documents(記録に残る機械関連文書類)
の4つの区分に分けられている。
2007年度認定遺産一覧
[編集]- Collection
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- 3 足踏旋盤(愛知県)
- 4 陸用蒸気タービン(長崎県)
- 5 10A型ロータリーエンジン(広島県)
- 6 ホンダCVCCエンジン(栃木県)
- 7 民間航空機用FJR710ジェットエンジン(東京都)
- 8 ヤンマー小形横形水冷ディーゼルエンジンHB形(汎用小型ディーゼルエンジン)(滋賀県)
- 9 ゐのくち式渦巻きポンプ(愛知県)
- 10 高周波発電機(愛知県)
- 11 東海道新幹線0系電動客車(大阪府)
- 12 230形233号タンク式蒸気機関車(大阪府)
- 13 旅客機YS11(東京都)
- 14 カブ号F型(ホンダ自転車用補助エンジン)(栃木県)
- 15 麦わら帽子製造用環縫ミシン(愛知県)
- 16 無停止杼換式豊田自動織機(G型)第1号機(愛知県)
- 17 活版印刷機(東京都)
- 18 コマツブルドーザーG40(小松1型均土機)(静岡県)
- 19 オリンパスガストロカメラGT-I(東京都)
- 20 バックトン万能試験機(兵庫県)
- 21 万能製図機械MUTOH「ドラフターMH-I」(東京都)
- 22 万年自鳴鐘(東京都)
- 23 旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)(福岡県、佐賀県)
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小菅修船場跡の曳揚げ装置
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10A型ロータリーエンジン
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CVCCエンジン
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FJR710ジェットエンジン
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新幹線0系電車
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230形蒸気機関車
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YS11旅客機
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豊田自動織機(G型)第1号機
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万年自鳴鐘
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筑後川昇開橋
2008年度認定遺産一覧
[編集]- Collection
2009年度認定遺産一覧
[編集]- Landmark
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- 33 旧峯岸水車場(東京都)
- Collection
2010年度認定遺産一覧
[編集]- Landmark
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- 38 としまえん「カルーセルエルドラド」(現存する世界最古級のメリーゴーランド)(東京都)
- 39 旧金毘羅大芝居の廻り舞台と旋回機能(香川県)
- Collection
2011年度認定遺産一覧
[編集]- Collection
2012年度認定遺産一覧
[編集]2013年度認定遺産一覧
[編集]- Landmark
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- 56 機械式立体駐車装置 ロートパーク(東京都)
- Collection
2014年度認定遺産一覧
[編集]- Landmark
- Collection
- Documents
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- 69 国産機械製造の礎『国産機械図集』(東京都)
2015年度認定遺産一覧
[編集]- Collection
2016年度認定遺産一覧
[編集]- Landmark
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- 77 松川地熱発電所 (岩手県)
- Collection
2017年度認定遺産一覧
[編集]- Site
- Collection
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- 86 国産初の地下鉄車両「モハ1000形1001号」(東京都)
- 87 有人潜水調査船「しんかい2000」(神奈川県)
- 88 鋳造用砂型の造型機械「C-11型生型造型機」 - 米国製の機械を参考に1927年(昭和2年)砂型の造型製作機として旧 久保田製作所が独自開発、鋳物工場の機械化の始まり (愛知県)
- 89 組合せ計量機(ACW-M-1) - 中央演算装置を用い重量や大きさの異なる複数のピーマンを組み合わせ150±2gに収まる重さに仕分けする旧 石田衡器製作所が1972年(昭和47年)開発したピーマン充填用自動はかり、その後の農産物、冷凍食品、薬品、機械部品など一定量の袋詰め機の出発点となった (滋賀県)
- 90 全自動手袋編機(角型) - 1964年(昭和39年)島精機製作所が開発、世界で初めて編目を押し下げるシンカーニット方式を採用し1枚を2分15秒で編み上げた (和歌山県)
2018年度認定遺産一覧
[編集]- Collection
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- 91 日本工業大学の所蔵する歴史的工作機械群 - 明治中期から昭和50年代(1975年 - 1984年)に輸入から日本製として模造機製造から技術提携の段階の経緯を理解でき、当時の動力源である高価な1個のモーターで複数の異なる機械を駆動したシステムを再現するなど、工学史上の時代的変遷を俯瞰できる (埼玉県)
- 92 エアレス塗装機 – 米国で開発されたエアレス塗装の米国特許の実施権を得てエアレス塗装機の改良し国産化を開始、1959年(昭和34年)販売以来、車両、造船、構造物、建築、道路舗装など幅広い分野で使われる (愛知県)
- 93 ブラウン管ガラス製造装置 - 白黒・カラーテレビは当初ガラスブラウン管が使われ、米国から技術導入による画面部(フェース)と遠心鋳造成形した後部(ファンネル(漏斗形))を別々に成形した後、封着したが、ファンネルプレス機の登場でプレス成形方式へ転換し、品質と生産性を向上させ、薄型テレビ以前の24インチ以上の大型テレビのシェアは1980年(昭和55年)代末にはほぼ世界市場を独占した (滋賀県)
- 94 新聞博物館の活字鋳造機 – 熊本日日新聞・新聞博物館は新聞原稿の組版から印刷、発行までの工程とその技術的変遷を知ることができ、1934年(昭和9年)製の種々の特許技術が反映された「万年自働活字鋳造機」の商標名で発売された活字鋳造機は5号(10.5pt)の活字を90本/分で鋳造することができ、1982年(昭和57年)まで使用された (熊本県)
2019年度認定遺産一覧
[編集]- Landmark
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- 95 田瀬ダムの高圧放流設備 – 米国製4基の高水圧スライドゲートを米国と綿密な交信を経て、日本の技術も加え、当時世界最水深ダム下部に設置し、その後のダム放流管の技術面の基礎となった (岩手県)
- 96 新津油田金津鉱場(採油と製油技術の証) – 明治以前から原油採取が試みられたが、崩壊性地層のため事業化に至らず、その後、中野貫一の手掘採掘で当時産油量日本一となり、さらに上総掘りや機械掘りも普及し、1996年(平成8年)に閉業したが地域特性に基づく一連の遺構は2018年(平成30年)「新津油田金津鉱場跡」として国史跡指定を得て石油採掘の実物資料に接する事ができる (新潟県)
- 97 京都鉄道博物館の蒸気機関車と検修施設群 – 日本の鉄道開業から1948年(昭和23年)までの代表的蒸気機関車23両を整備等の記録簿とともに展示し、8両は動態保存し、扇形庫、転車台工具なども稼働できる (京都府)
- Collection
2020年度認定遺産一覧
[編集]- Collection & Documents
- Collection
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- 101 日本の一眼レフカメラを世界水準へと進展させたアサヒフレックスI・IIB、ミランダT、ズノー、ニコンF - 1950年代の日本製カメラのなかでも5機種の機械式一眼レフカメラは利便性と堅牢性を持ち「カメラといえばドイツ」との評価を変えた (東京都)
- 102 自由粉砕機 第1号機 (奈良式高速衝撃粉砕機) – 奈良自由造は1925年(大正14年)物性として弾性と耐熱性をもつカゼインの粉砕機の製作を現古河グループの古河理化試験所から依頼され、ドイツ製粉砕機を参考に物性に対応する改良を行い納入した。更に改良した「自由粉砕機 第1号機」の技術は1928年(昭和3年)年に実用新案として登録され、衝撃力とせん断力という粉砕メカニズムによって熱の発生を抑え、迅速かつ大量の粉体加工を実現し、鉱物、薬草、食料品、染料、飼料、薬品、鉱工業用品などの広範囲の材料の粉体加工にその後も使われている (東京都)
- 103 日本の溶射技術を工業化したアーク溶射ガン – 溶射は1909年(明治42年)、スイスのM.U.ショープ(独:M.U.Schoop)が発明した[2]。1919年(大正8年)に銀座天賞堂が特許の使用権を得て、宝飾品へのガス式溶射ガン技術導入をめざすも作動せず、1921年(大正10年)に特許「電気溶融法による噴射鍍金法」を取得した。技術の工業化は1935年(昭和10年)頃から始まり戦前戦中にも改良を重ね戦後に軽量化と操作性を計った。1955年(昭和30年)の現存最古1台と1963年(昭和38)年の改良を加えた溶射ガン2台が保存される。まず鉄道、水タンク、鉄骨構造物等の錆を防ぐ表面処理技術として広く用いられ、その後耐熱性、耐摩耗性、耐薬品性など幅広い産業分野で利用される溶射技術の原点を示す (滋賀県)
- 104 機械式無段変速機/リングコーンRC型 – 無段変速機は流体式・電気式・機械式の3種に大別される。1952年(昭和27年)にシンポ工業(現:ニデックドライブテクノロジー)の柏原学が発明した伝動リングの中にコーン形の2本の円錐を左右逆向きに配置したリングコーン(RC)型変速機は機械式無段変速機であり、潤滑油膜を介して非接触で動力を伝達するトラクションドライブ方式で摩耗を生じない[3]。部品点数が少なく簡単な構造であり比較的小型で所要の伝達動力が得られる。負荷の増減で伝動リングの回転方向への食い込み量が変化し、負荷に応じた有効な圧接力が自動的に摩擦伝動面に与えられ、すべりが起きず、回転変動率が2から3%程度と低い特長がある。リングコーンRC型はRX型無段変速機や車輪駆動用をはじめとしたトラクションドライブ減速機に継承されている (京都府)
2021年度認定遺産一覧
[編集]- Collection
- 106 平歯車研削盤 ASG-2形 – 機械要素の一つである歯車を部品として用いる機械に組み入れ、その歯車に起因する騒音や振動の発生を出来るだけ少なくする対策として、研削加工による歯車を製造する歯車研削盤は昭和の時代となっても日本には無かった。岡本工作機械製作所の前身・岡本専用工作機械製作所の創業者・岡本覚三郎は呉海軍工廠からの注文で歯車研削盤の設計に着手し、多くの試行錯誤を経て1930年(昭和5年)に国産初の平歯車研削盤「ASG-2形」を完成させた。1945年(昭和20年)までに13台製造され、その1台が日本工業大学工業技術博物館に保存される。歯車を交換することにより、歯数などが異なる歯車の加工に対応できる独創的な機構を有している。(埼玉県)
- 111 造幣局創業期の硬貨圧印機 ウールホルン硬貨圧印機とトネリエ硬貨圧印機 – 1871年(明治4年)創業の造幣局は地金の融解と鋳造、圧延、打抜き、蒸気機関駆動のプレスにより硬貨を製造する大規模な金属機械工場であった。ドイツ技術者ディートリッヒ・ウールホルン(英:Diedrich Uhlhorn)が1817年に発明し1871~1873年にドイツから10台が輸入されたもので毎分約40枚の圧印能力である[注釈 2]。一方の圧印機はフランスの技術者ニコラス・トネリエが開発した1857年のフランス製で、閉鎖されていた香港造幣局から購入した8台のうちの1台が保存され、性能は毎分50枚の硬貨を圧印できた。(大阪府)
- 113 静荷重杭圧入引抜機 サイレントパイラー KGK-100A – 高度経済成長期に「建設公害の元凶」といわれた杭打機の騒音、振動が深刻化していた1975年(昭和50年)に完成された圧入工法のサイレントパイラーは打撃工法代わるもとなった。技研製作所の創業者・北村精男(あきお)が考案したもの。油圧発生装置を本体に内蔵し、単体で使用できた。当時の建設機械で常用されていた油圧は最大14~17MPa(メガパスカル)であったが本機で100トンの杭圧入引抜力を得るためには油圧70MPaが必要とされ、油圧シリンダーに接続する油圧ホース、ピストン密封装置、配管継手などの部品開発が行われた。特徴は静粛性で、同じ作業を打撃式ハンマ工法で行った場合、発生する騒音が約100dBであったのに対し本機は55dBと大幅に低減することができた。(高知県)
2022年度認定遺産一覧
[編集]- Collection
- 115 木材プレカットシステム MPS-1 – 一般住宅のうち木造住宅の比率が57%、そのうち76%が軸組み工法を採用しており、従来から熟練した大工職人により軸材の配置と組み立て方法が設計され、建築現場で手加工が行われていた。木材加工機を製造していた宮川工機は現場での手加工する工程を出来るだけ省き、工場で事前に組手を加工し、それを現場に搬入するプレカット工法に置き換えることを企画し単一機能の機械を開発した。その過程で、接手や仕口の形状を機械での加工に適した円弧形状への転換がなされ実用新案を取得した。この手法と工法は大工職人に当初受け入れられなかったが、1978年(昭和53年)年頃の持ち家の流行による人手不足から普及が進んだ。それまでの単機能・手動加工機をCAD/CAMと連携化してプレカットシステム MPS-1として1985年(昭和60年)に製造された加工機械部分を成した。その後、軸組み工法の93%はプレカット工法となったが、そのきっかけとなった機械である。(愛知県)
- 116 手回しガラ紡機 – 明治政府の殖産興業政策による綿糸の生産性向上のため輸入した洋式紡績機が導入されたが高価であった。臥雲辰致はこれに代わる安価で単純な機構の手回し臥雲式紡織機( ガラ紡とも呼ばれた)を発明し、翌1877年(明治10年) 第1回内国勧業博覧会に出品し高い評価を得た。綿作りが盛んな地域の三河国(現代の愛知県東部)において紡織機を水車を動力として駆動し当地方は紡績業が急成長し、一大産地となり、さらに全国に国産紡織機として普及した。太い綿糸の需要に対応した生産に特化していたため、戦後の生活様式の変化や洋式紡績機の復興などにより,1960年(昭和35年)年頃をピークに急速に衰退をたどり,その後極めて僅かに使用されている。認定機は1880年(明治13年)年代に製造されたもので、紡績産業の黎明期における象徴的国産機械であり、日本の外貨獲得に貢献した。本機は綿業会館に展示される。なお、同一寸法の複製品は本機をスケッチし、図面化を経て作成されたものでトヨタ産業技術記念館で公開されている。(大阪府)
2023年度認定遺産一覧
[編集]- Collection
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- 117 プラネタリウム投映機 M-1型 - 1937年(昭和12年)ドイツ製投映機が日本に導入され多くの天文学者は試作を行った。五藤光学研究所は1959年(昭和34年)、国産初のレンズ投影式プラネタリウム M-1型を完成した[5]。この投映機は1959年から1970年代にかけて国内に19台が納入され、本格的に量産・市販された機種であり、日本のプラネタリウム機器が世界的評価を獲得(日本製の世界市場占有率70%)する基礎を成し、近代的プラネタリウムの要素(レンズ投映式、年周運動の投映)を実現した。東京海洋大学に1965年(昭和40年)に設置されたM-1型投映機は、現在稼働している中では最古のものであり、基本的にオリジナルの形式を保ち稼働状態は維持され学生も参画し、メンテナンスを行い技術伝承にも役立っている。(東京都)
- 118 小田急電鉄3000形(特急ロマンスカーSE) - 1957年(昭和32年)小田急電鉄の3000形(SE)は特急専用車両として運用開始されたが、当時の様々な先端的技術を採用した。先頭形状では本格的風洞実験を行いモノコック構造、駆動台車はカルダン駆動方式、2両の車体間に1台の台車を配置した連接台車が採用された。この車両の開発には当時の国鉄の高速車両開発のためのデータ収集を目的として鉄道技術研究所の協力を得て,後の新幹線0系電車開発のために貴重なデータを与えた。1957年に国鉄の東海道本線での高速試験では当時の狭軌世界最高時速145km/hを達成し,貴重なデータを与え東海道新幹線の開発に向け大きく前進させた。ロマンスカーという呼称は,小田急電鉄が運用する特急列車の総称であり,1992年(平成4年)に運用が終了した3000形(SE)はロマンスカーミュージアムに保存展示されている。(神奈川県)
- 119 旧和中散本舗の人車製薬機 - 栗東市旧東海道沿いの史跡「旧和中散本舗」の重要文化財「大角家(おおすみけ)住宅」では江戸時代に生薬の和中散(胃腸薬)、五苓散、神教丸、天真膏、万金丹などを製造・販売していた。その生薬の製造に使われたのが人車製薬機であり1831年(天保2年)年に設置されたもので、直径1丈4尺1寸(4280mm)の木製の大きな輪の中に2人の人間が入って歩くと、人間の体重により回転力が生じ、その動力を4枚の木製歯車で伝え増速して、乾燥して細かく刻んだ薬草などを粉砕する石臼を回転させる仕組みを構成している[6]。人車と石臼の速度比は3:10で、人車が3回転すると石臼は10回転する。人間を動力源とした人車は、中国大陸から伝来した機構と考えられ、機械技術の発達の歴史を物語るものであり、当時は店先で加工の様子を見せる広告媒体の手段としての役割も兼ねていた。(滋賀県)
- 120 三共工作機械資料館の歴史的工作機械群 - 2021年(令和3年)年三共製作所は工場内に「三共工作機械資料館」を開設した。資料として展示する工作機械は137台あり、この内134台が日本製ではなく主に米国のほかイタリア、スイス、フランス、英国、ドイツ製であり、17世紀の産業革命前後の時代から20世紀まで活躍した旋盤、中ぐり盤、フライス盤、ボール盤、形削り盤、歯切り盤、研削盤など工作機械群である。これらは年代別・機械の種類別に体系的に収集されたもので、それぞれの時代の世界的な工作機械技術の進化・発展を知り学習できる。また測定工具や切削工具類も展示され、昭和初期の各種の機械要素を教育用機構模型として保存・展示を行い、工作機械によって製造されたT型フォードなど初期の歴史的自動車も含まれる。(静岡県)
2024年度認定遺産一覧
[編集]- Collection
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- 121 新井式回転抽籤器 – 1930年 (昭和5)年に特許を得て全国に普及し商店街などで使われた通称「ガラポン」と呼ばれた新井式回転抽選器は抽選器の元祖とされた。現在弘前市の文具店が所有し、銘板から「東京抽籤器製作所」が「東京都港区三田」が所在地の時点の品であり、当時の新聞記事から日本最古級品とされる。手回し方式で回転の円形形式の前方から抽選球が出る形式の複装式である。機器本体、受皿、セルロイド製の抽選球のほか、当選時に鳴らす鐘も装備され、一度に複数の抽選球が排出されない機構には独創的な工夫が見られるもので保存も良く現在に至る。日本機械学会の当時の元幹事長眞野文二[7]らの高評価を得て完成度も高く、抽選の様子を根本的に変化させた社会的な影響と文化的見地から認定された。(青森県)
- 122 三連プランジャ式高圧水発生ポンプ 「スギノポンプ1号機」 – 戦前からボイラーや熱交換器の配管内部を掃除する「チューブクリーナー」の製造・販売行っていた杉野クリーナー製作所(現 スギノマシン)は戦後は配管内清掃機械の駆動源として水圧モータの適用を考えたが駆動に適する「高圧水発生ポンプ」が入手できず自社開発に取り組み、1964年 (昭和39年)「三連プランジャ式高圧水発生ポンプ (ポンプ型式 JCE-2550)」、性能30MPa (メガパスカル)、流量は60ℓ/min (1.0×10 −3 m3/s)を独自開発した。第1号機は「スギノポンプ(ジェットクリーナー)」の名称で呼ばれ、開発した年に石油精製工場納入・稼働7年後戻りスギノマシン本社で展示している。ポンプは累計約14,000台製造され、超高圧ジェット水を必要とするウォータージェット技術に展開し金属やコンクリート等の剥離や切断手法を食品や医療分野への用途拡大を実現した。(富山県)
- 123 マカダムローラ サカイ R1 - 1920年代までは欧米から輸入された道路のメンテナンスに必要な締固め用機械(ロードローラー)は3輪のマカダム式であったが、1930年(昭和5年)酒井工作所(現 酒井重工業)は国産第1号の内燃機関搭載マカダムローラを製作・販売を開始、その後1968年(昭和43年)に革新的とされた新機種R1を開発した。それまでのマカダムローラの問題点であった路面材料の押出しや引きずり現象の発生を解決したR1は前方1輪・後方2輪方式から、前方2輪・後方1輪方式とし、全輪が油圧駆動で前後の線圧[8][9]とローラー径を同一にして、全輪駆動、全輪同一径、同線圧、同調駆動の構造とした。また車体自体が屈曲して舵をとる方式とし、旋回半径が小さくなり、曲線転圧でも踏み残しが少なく、転圧幅(2.3m)を同一条件で締固めることが可能となった。車体上部の運転席は左右にハンドルを備え、いずれでも操作・運転可能で作業性に優れた。R1の構造は業界標準となり、1974年(昭和49年)にはR1と同じ構造を引き継いだ日本の道路事情に対応した小型のR2が開発された。(埼玉県)
- 124 ひずみゲージ K-1 型 - 共和電業の創業者 渡邉理は初の国産商品「赤いフェルトのついたひずみゲージK-1型」を1951年(昭和26年)から販売を始めたが、その前年に運輸省運輸技術研究所船舶構造部からひずみゲージの試作の依頼を受けていた。当時高価な米国製品は出回っていたが鉄道用に使えるひずみゲージは研究段階であった。戦時中陸軍航空技術研究所に属していた渡邉は墜落したB29爆撃機の調査を行った当時の記憶を辿り試行錯誤を重ね製品化に成功した。長手方向のゲージ長(ちょう)20.5mm [10]、線径25µm、120Ωの抵抗値のゲージを保護するために赤いフェルトで覆ったものとし、実物の船の応力測定に日本で最初に用いられた。その結果から従来のリベット接合から溶接に変更するための強度の解明に寄与した。当時、輸入した米国製のひずみゲージが1枚1,000円以上だったが1枚86円の低価格で販売したことから日本でひずみゲージを活用した製品開発に大きく貢献し、特に機械工学などの研究分野では欠かすことのできない測定器の検出部の部品となった。(東京都)
- 125 石川式マリノニ型輪転機 折式新聞印刷機 - 明治期に新聞社などではフランス人のイポリット・オギュスト・マリノニが興したマリノニ社が開発した輪転印刷機を使用していが、三田製作所(現 東京機械製作所)の石川角蔵は日本の実情に合うようにマリノニ社の輪転機を参考にして小型化や新たな機能を持たせた「石川式マリノニ型輪転機」と呼ばれた煽り(あおり)式輪転機を1906年(明治39年)に開発した。大正期になると新聞発行部数が増大し煽り式は印刷後の人的折り作業に著しい労力と時間を必要とされ、その解決として1922年(大正11年)に同社が「折式輪転機」を開発し作業効率は劇的に改善され日本における新聞印刷の能力向上をもたらした。「折式輪転機」[11]は印刷後に連続して4折りが可能となり印刷速度は4頁両面印刷で毎時24,000部である。(神奈川県)
- 126 米国輸出を果たしたNC旋盤 MTC-2500R - 1960年代、日本の工作機械メーカー各社は汎用工作機械の数値制御(NC)化へ取り組んでおり、山崎鉄工所(現 ヤマザキマザック)は1968年(昭和43年)に汎用旋盤のNC化に成功し、Mazak Turning Center (MTC)シリーズを開発、1968年秋から製造販売を開始した。MTCシリーズは、その年に日本国際工作機械見本市、さらに翌69年に米国の見本市へと相次ぎ出品し、1976年(昭和51年)までに累計578台が生産された。数値制御装置にFANUC 240型を搭載し、1970年(昭和45年)に初の国産NC機「NC 旋盤Mazak Turning Center 2500R(機番200)」は米国に輸出された。X座標軸とZ座標軸は電気-油圧パルスモータ[12]で駆動され、最小駆動単位0.01mmで、輪郭制御も可能である[13]。NC制御装置はEIA/ISOコードによる数値制御プログラムを紙テープを介して読み込み動作する。2008年(平成20年)に米国から日本に引き取られ、本体および制御装置は熟練工によって再整備後ヤマザキマザック工作機械博物館に動態展示され、NC機械の原理と構造を学ぶための機械技術教育資料に役立てている。(岐阜県)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ KS-P型は野球殿堂博物館に、AR型は中日バッティングセンターで展示
- ^ 圧印機で作られたロンドン万国博覧会 (1851年)広告用トークン:英文参考サイト:Uhlhorn Press advertising token 1851/1851
出典
[編集]- ^ 日本機械学会 2011年度 機械遺産認定のお知らせ 平成23年7月25日 高見沢サイバネティックス
- ^ 産報出版 溶接の歴史1900-1935年、1909年溶射の特許[リンク切れ] チューリッヒ大学にいたショープ(U.SCHOOP)が金属溶射の特許をとる。日本への技術導入は1921年から。
- 産報出版 溶接の歴史1900-1935年、1909年溶射の特許 at the Wayback Machine (archived 2021-06-14)
- ^ 潤滑通信社、ジュンツウネット21 > そこが知りたいQ&A > トラクションドライブのメカニズムと潤滑油 | ジュンツウネット21、図2トラクションドライブ変速機の型式 コーン・リング式(リングコーン式)
- ^ 1958年(昭和23年)大阪府吹田市のビール工場から回転寿司のアイデアが生まれる。
- ^ 『大人の科学マガジンNo.9』pp.36-39「国産プラネタリウム史」
- ^ 大きな回し車のような物に人間2人が入り廻していると考えれば判りやすい
- ^ 眞野文二は2007年度認定25番の講義ノートの筆者の一人
- ^ 線圧一覧表1:マカダムローラ・土工用振動ローラ / 静線圧 動線圧酒井重工業
- ^ ページ最下部:静線圧 (N/cm・kg/cm) = ロールに掛かる荷重(kg) / ロールの幅(cm)・動線圧 (N/cm・kg/cm) = (ロールに掛かる荷重(kg) + 起振力(N)) / ロールの幅(cm)
- ^ 共和電業は「ひずみゲージの原理」図2 ひずみゲージの構造でゲージの「ベース長(ベースちょう)」と呼んでいる
- 共和電業は「ひずみゲージの原理」」図2 ひずみゲージの構造でゲージの「ベース長(ベースちょう)」と呼んでいる at the Wayback Machine (archived 2023-11-10)
- ^ YouTube 動画: 折式輪転機の一例 印刷された紙が折られる状況
- ^ 稲葉清右衛門、伊藤康平、白藤良孝「電気-油圧式パルスモータ」『自動制御』第8巻第3号、計測自動制御学会、1961年、194-197頁、doi:10.11499/sicejl1954.8.194。
- ^ 輪郭,外郭,外形;輪郭線などは 英語で Contour と言われる]