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静岡県

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しずおかけん ウィキデータを編集
静岡県
静岡県の旗 静岡県章
静岡県旗[注釈 1][1] 静岡県章[注釈 2][1]
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
団体コード 22000-1
ISO 3166-2:JP JP-22
面積 7,776.99km2
(境界未定部分あり)
総人口 3,522,650[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 453人/km2
隣接都道府県
県の木 モクセイキンモクセイ[2]
県の花 ツツジ[注釈 4][2]
県の鳥 サンコウチョウ[注釈 5][2]
県の歌
県愛唱歌
県民の日
静岡県歌
しずおか賛歌〜富士よ夢よ友よ
8月21日
静岡県庁
知事 鈴木康友
法人番号 7000020220001 ウィキデータを編集
所在地 420-8601
静岡県静岡市 葵区 追手町 9-6
北緯34度58分37秒 東経138度22分59秒 / 北緯34.97694度 東経138.383度 / 34.97694; 138.383座標: 北緯34度58分37秒 東経138度22分59秒 / 北緯34.97694度 東経138.383度 / 34.97694; 138.383
地図
県庁舎位置

静岡県庁
外部リンク 公式ウェブサイト
静岡県の位置

静岡県行政区画図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町

ウィキポータル 日本の都道府県/静岡県
ウィキプロジェクト

静岡県(しずおかけん)は、日本中部地方に位置する県庁所在地静岡市

概要

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東海地方(東海4県)の東部に位置する。直線距離にて区域の東西が155km、南北に118kmと全国13番目に広大な区域を保ち、全国10位の約360万人の人口を有する。令制国伊豆国のほとんどと[注釈 6]駿河国遠江国の凡そ3国に相当する県である。地域によって住民の意識、方言、文化面に大きな違いが見られる。熱海市沼津市など県東部は首都圏湖西市浜松市などの県西部は愛知県名古屋市を中心とした中京圏との結びつきが大きい。公的機関(中央省庁地方支部局など)や民間企業の管轄では、関東地方と同一の地域圏として広域関東圏の一部とされることもあり、山梨県長野県とともに静岡県知事関東地方知事会に参加している。北側は広大な南アルプス、南側には駿河湾遠州灘に面する。23市12町の基礎的な地方公共団体があり、はない。

約20万の事業所を抱え、全国4位の製造品出荷額を有するなど、東海工業地域に属する全国有数の工業県でもあり[3][4]浜松市ホンダの発祥地でスズキヤマハの本社がある他、オートバイピアノプラモデルの輸出量では日本一を誇る[5]。また、全国一の水揚げ額を有する焼津漁港や、静岡茶が有名であるなど、第一次産業も盛んであり、東西の交通網港湾を利用した6次産業化も進んでいる[6]

静岡県の区域内に指定都市に指定されている静岡市及び浜松市、そして施行時特例市に指定されている沼津市及び富士市を有し、人口10万人以上の都市が10市ある[注釈 7]など、東海道沿いの平野部を中心に人口が分散傾向にあり[7]、首位都市(プライメイトシティ)は存在しない。静岡県の区域外の都道府県の区域内に二以上の指定都市を有するのは、神奈川県大阪府及び福岡県に限る。

また、富士山富士山本宮浅間大社韮山反射炉三保の松原などの世界遺産や、世界ジオパークの一つである伊豆半島ジオパーク熱海温泉三嶋大社久能山東照宮登呂遺跡大井川鐵道など多くの観光資源を有し、年間約1.5億人の観光客が訪れる[8]

地理

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広袤

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『静岡県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)』(国土地理院)によると静岡県の広袤は以下の通り[9]。また、『我が国の人口重心 -平成27年国勢調査結果から-』(総務省)による人口重心[10] も併記する。

地形

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県総面積の64%が非可住の森林で構成されており、僅かな平野部に人口の大半が集積し高密度な都市を形成している[11]。 北部には標高3,000mを越える峰もある赤石山脈の山々がそびえ、一級水系大井川安倍川の源流となる。東部には第四紀火山が多く、富士山や、箱根山伊豆東部火山群が現在でも活動しており、すでに活動を終えた天城山達磨火山などの数々の大型火山が伊豆半島の大地を造り上げた。この伊豆半島は、本州の中で唯一フィリピン海プレート上にあり、プレート境界である駿河トラフの延長線上に富士山が形成されている。南西部には台地や平野が多くなる。県の中央には糸魚川静岡構造線が南北に走り、安倍川がその南端に当たる。したがって、地質構造はこの安倍川を境にして県の東西で全く異なる。静岡県の形は金魚に例えられることがあり、この場合、西部を頭、東部を尾に見立てる。

節内の全座標を示した地図 - OSM
節内の全座標を出力 - KML
静岡県の地形図。スペースシャトル標高データ使用。
主な台地
牧之原台地
磐田原台地
三方原台地
主な半島
伊豆半島
三保半島
主な河川
狩野川
富士川
安倍川
大井川
菊川
天竜川

自然公園

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気候

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大半の地域が太平洋側気候であるが、北部の山間部は中央高地式気候で標高差が大きいため地域による寒暖の差が激しい。冬の平野部や沿岸部は黒潮の影響で本州の中でも非常に温暖であり、寒気の影響を受けにくいために放射冷却によって朝晩は氷点下まで下がることがあっても、日中は10°Cを超えることがほとんどである。特に伊豆地方の沿岸部では氷点下まで下がることはなく、が降ることもほとんどないなど、南九州並みに温暖な気候である。一方、旧井川村と旧水窪町などの赤石山脈に接する北部山間部は中央高地式気候の影響も受けており、冬はが多く豪雪地帯である。また、東部内陸部の御殿場市などでも南岸低気圧によりかなりの積雪をもたらし、東北地方並みのかなり厳しい冷え込みになることが多い。そのほか、裾野市にあるスキー場「スノータウンイエティ」は20年連続で日本一早いオープンを飾っている。夏は、天竜地域など西部内陸ではかなりの酷暑となるが、それ以外の地域ではそれほどの酷暑とはならず、東部や伊豆地方を中心に比較的冷涼である。

ケッペンの気候区分によると県域の大部分は温暖湿潤気候ではあるが、富士山は最暖月の平均気温が6℃しかなく、寒帯地域のツンドラ気候に相当している。

夏から秋にかけては台風の影響を受ける。1951年昭和26年)以降の台風上陸数は鹿児島県高知県和歌山県に次いで4番目に多い県である。

静岡県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
西部 中部 東部 伊豆
浜松 浜松市
天竜区
浜松市
佐久間
磐田 御前崎市
御前崎
菊川市
菊川牧之原
牧之原市
静岡空港
川根本町 静岡市
井川
静岡 静岡市
清水
富士 富士山 御殿場 三島 松崎 南伊豆町
石廊崎
東伊豆町
稲取
熱海市
網代
平均
気温
()
最暖月 26.7
(8月)
26.6
(8月)
26.1
(8月)
26.2
(8月)
26.2
(8月)
25.2
(8月)
24.8
(8月)
21.9
(8月)
26.8
(8月)
26.4
(8月)
26.2
(8月)
6.0
(8月)
23.4
(8月)
26.5
(8月)
25.9
(8月)
25.8
(8月)
25.3
(8月)
26.0
(8月)
最寒月 5.8
(1月)
5.3
(1月)
3.6
(1月)
6.1
(1月)
6.5
(1月)
4.6
(1月)
3.0
(1月)
1.2
(1月)
6.6
(1月)
6.5
(1月)
5.5
(1月)
−18.5
(1月)
2.5
(1月)
5.5
(1月)
6.8
(2月)
7.9
(2月)
6.5
(2月)
6.7
(2月)
降水量
(mm)
最多月 262.2
(9月)
292.5
(6月)
350.1
(9月)
239.7
(9月)
265.7
(6月)
304.8
(9月)
438.3
(9月)
502.5
(9月)
304.3
(9月)
307.6
(9月)
281.9
(9月)
371.4
(9月)
249.3
(9月)
263.3
(6月)
243.9
(6月)
310.2
(6月)
262.5
(9月)
最少月 50.1
(12月)
46.6
(12月)
50.6
(12月)
40.6
(12月)
62.4
(12月)
50.6
(12月)
62.3
(12月)
68.9
(12月)
59.6
(12月)
55.0
(12月)
53.5
(12月)
69.1
(12月)
54.7
(12月)
54.2
(12月)
59.1
(12月)
58.2
(12月)
46.0
(12月)

地域

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静岡県の分類

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名目上の行政区分で、東日本中部地方東海地方広域関東圏などに区分されている。また、名古屋圏関東地方からも独立した地域として、「静岡(県)地方」とされるケースも存在する。しかし、糸魚川静岡構造線を挟んで東側と西側に広い面積を占めているため、行政やその他諸々の区分では、西日本に分類される場合もあり、またこれらとは違う区分に属することもある。

全域を一括する場合

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東日本西日本
静岡県は、東日本と西日本のほぼ真ん中に位置しているが、全国二地方区分では歴史的・文化的経緯・面積の比率を勘案して、東日本に分類されることが多い。しかし、民間企業を中心に、企業・団体に依っては西日本に分類される場合もある。
  • 西日本の例
中部地方東海地方)、広域関東圏
静岡県(知事)は、関東地方知事会に所属しているが、1967年以降中部圏知事会議にも所属している。中央省庁地方支部局や民間企業の管轄も、中部地方(東海地方)とする機関と関東地方とする機関が混在している。この場合、中央省庁の出先機関の所在地が、中部(東海)はほぼ全て名古屋に置かれ、関東は東京さいたまに置かれることが多い。
*法務省、警察庁、防衛省、農林水産省、経済産業省、環境省の関連・外郭団体の類も、基本的に静岡県は関東(広域)圏の枠組みに入る(一部を除く)[要出典]

県を分割する場合

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その他のエリア区分例

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  • (1)静岡県の区域を愛知県西部などと一緒に東海や中部に区分する。
  • (2)静岡県の区域を広域関東圏(もしくは南関東)に区分する。
  • (3)静岡県の区域を単独で東海とする。[注釈 8]
  • (4)特定の川で静岡県の区域を分割する。

企業・団体によってエリア区分はそれぞれ異なる。

企業・団体のエリア区分は、それぞれの監督官庁のエリア区分を反映している物が多いが、基本的に静岡県が地域分類される場合、大まかに分けて次の4分類のいずれかが見られる。

中部(東海)
一番よく見かける分類である。なお、静岡県を除く東海地方3県のみの枠組みとして「東海3県」という分類があるが、「東海地方」という分類において静岡県を除外することは稀である。
広域関東圏(関東・甲信越静)
次に多いのがこの分類である。また、西部のみを「中部(東海)」として、東部、中部を「関東」とする例も最近では見受けられ、静岡市から新幹線東京横浜に通勤・通学する人間も少なくない。
神静(神奈川県と静岡県)
日本ビクター(現:JVCケンウッド)、ダイア建設ホシザキ湘南 など、神奈川県及び静岡県の区域を一緒にするエリア区分も少数ながら存在する。この枠組みでは、横浜を業務拠点として、静岡県はその管轄下となるケースがある。
なお、旧コカ・コーラセントラルジャパンは、山梨県神奈川県及び静岡県の区域(旧称:富士コカ・コーラボトリング営業エリア)を富士地区統括としていた。
静岡県
静岡県労働金庫のように、首都圏名古屋圏とも別にして、静岡県の区域を単独のエリアとするエリア区分も存在する。この場合、静岡県が「東海」と区分されることがある(例えば、東海工業地域《静岡県》と中京工業地帯愛知県三重県岐阜県》)。
なお、ユニーのように、静岡県及び山梨県の区域で「静岡ブロック」「山静(甲静)ブロック」とするエリア区分も存在する。

地域区分

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西部、中部、東部(東部・伊豆)

静岡県は、富士川牧之原台地を境として、東部、中部、西部の3地域に区分される。東部はさらに狭義の東部伊豆に分けられることもある。ただ富士川より西にあり中部であった旧富士川町2008年(平成20年)11月の富士市に編入されたことで富士川による境は実質なくなってしまい、県庁による地域区分でも必ずしも川が境界線とは限らない場合がある。

静岡県内には以下の23512がある。村は旧龍山村が浜松市と合併したことにより2005年(平成17年)6月30日をもって消滅した。

「町」の読み方は、森町のみ「まち」で、その他は「ちょう」。

東部

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旧駿河国のうち富士川以東、および伊豆諸島を除いた旧伊豆国に相当する。市外局番は0544、0545、055または055Cであり、郵便番号は41から始まる。自動車ナンバープレートはかつては全域で「沼津」であったが、2006年(平成18年)10月から伊豆地域(上記「伊豆」エリア)でご当地ナンバーの「伊豆」が、2008年(平成20年)11月からは富士市、富士宮市、御殿場市、裾野市、小山町で「富士山」が導入されてからは、新規で沼津ナンバーを配布しているのは、沼津市と駿東郡清水町、長泉町のみである。

狭義の東部
伊豆

中部

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旧駿河国のうち富士川以西と、旧遠江国のうち牧之原台地以東(現・牧之原市および榛原郡域)に相当する。市外局番は054または054Cであり、郵便番号は42から始まる。自動車のナンバープレートは「静岡」である。

西部

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榛原郡域を除く旧遠江国に相当する。現在は、「遠州」と言われている。市外局番は053または053Cであり、郵便番号は43から始まる。自動車のナンバープレートは「浜松」である。

ただし例外がある。

  • 御前崎市のうち、旧御前崎町は、旧浜岡町との合併まで中部に属していたことから、市外局番と郵便番号は中部と同じで、合併後も変更されていない。
  • 教育行政上の区分では、掛川市、菊川市、御前崎市は中部教育事務所に管轄される。

浜松市南部、湖西市を西遠として、浜松市北部を北遠、磐田市袋井市掛川市南西部、森町を中遠、掛川市菊川市御前崎市を東遠、中遠と東遠を合わせて中東遠と区分することがある。

歴史

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※各地域ごとの歴史は「伊豆国」「駿河国」「遠江国」を参照すること。

静岡県の名称の由来

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静岡という名称は、1869年から1871年まで存在した静岡藩に由来する。

「静岡」の名称の決定は版籍奉還に際して行われた。現在の静岡県庁周辺を指していた「府中」という名称が特定の地名を指しておらず紛らわしいこと[13]、読みが同じ「不忠」を想起させることを理由に明治政府から改名が要請された。それにより藩庁で改名について議論され、1868年府中藩が明治政府に「静岡」「静」「静城」の3つの案を上申し、明治政府が「静岡」を採用した[14]。この「シズオカ」という名称のうち「シズ」は賤機山に由来するとされており[13]、名称の決定に際して賤機山にちなんだ「賤ヶ丘」としていったんは決まったが藩学校頭取であった向山黄村の提案で、「賤」の字を「静」に改めたとされる。なお静岡市政90周年に際して建てられた「静岡の由来」という碑が静岡市役所前に設置されている。

先史

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1960年(昭和35年)から1962年(昭和37年)に静岡県西部の浜北市根堅(現浜松市浜名区根堅)において人骨が発見されたが、2002年(平成14年)9月になって旧石器時代の約1万4000年前に生息していた浜北人の人骨であると、科学的な測定法で確認された。浜北人骨は20歳代の女性で身長143cmと考えられている。人骨の発見以来、県内での調査例が増加し、いまでは200カ所近くに達している。場所は、天竜川左岸の磐田原台地西端一帯、沼津市の背後の愛鷹山南麓、箱根山西麓の3カ所に密集している[15]

縄文時代の遺跡総数は約2000カ所を超える。縄文草創期の遺跡は少ないが、伊豆の国市三福の仲道A遺跡で土器が出土している。早期になると撚糸文(よりいともん)や押型文(おしがたもん)の土器が集落跡から出土している。その後(約7000〜8000年前)愛鷹山南麓から箱根山西麓・伊豆半島にかけて集落が急増し、県中部にかけても広がっていく。縄文前期には、遺跡数が減少するが、前期末から中期・後期前半までになると、遺跡数も増加し、県内の縄文最盛期を迎える。東部では集落遺跡・住居の形と構造・土器土偶・石棒・石斧などの様相が類似・発達した文化が伊豆半島から掛川市付近まで広がっている。それに対して、西部の遠江平野では、近畿・瀬戸内地域の土器が流入し、伊那谷系の土器なども分布し、東部とは様相を異にしている。また、矢尻として多く使用された石鏃の原料の石材も県内西部の天竜川付近までは、畿内の二上山産出のサヌカイトや下呂石などが大量に使用されているのに対し、東部では八ヶ岳や神津島の黒曜石が主流である。遠隔地との交易・交流が盛んに行われていたことがわかる。縄文後期後半になると遺跡数が、東部では激減し、中・西部では緩減する。一方では儀式用の石器が普及し出す[16]

1958年(昭和33年)から1960年(昭和35年)、静岡県西部の三ケ日町只木(現浜松市浜名区三ヶ日町只木)で、約7500〜9500年前に生息の三ヶ日人の住んでいた遺跡が発見されている。また、約4000〜6000年前のものとされる全国的に見ても大規模な集落跡である千居遺跡が静岡県東部の上条地区(現富士宮市)で確認されている。

弥生時代の遺跡としては、静岡市駿河区登呂で、弥生時代の水田、住居跡などが発見されている(登呂遺跡)。

古代

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古くには六つの国造[17]が設置された他、浜名県主の存在も見られる。

中央から派遣された国司が政務を司る政庁は、国府に置かれ、国衙と呼ばれた。まず、遠江国府は磐田市御殿二宮遺跡が、駿河国府は静岡市駿府城東南地区が候補地としてあがっているが、伊豆国府は三島市内にその候補地を見出していない。その土地の国造や新興の有力者が就任した郡司郡衙は郡家とも呼ばれた。官衙遺跡では、浜松市の伊場遺跡群(伊場遺跡・城山遺跡・梶子遺跡・梶子北遺跡・三永遺跡・鳥居松遺跡・九反田遺跡・中村遺跡)が発掘されている。これらの遺跡は敷知郡家および関連官衙(館・厨)や栗原駅家など地方官衙が複合する遺跡と考えられている。また、これらの遺跡は、出土する木簡から天武朝に溯る事が分かり、柱立建物が13〜14棟、絵馬墨書土器が検出されている。このほか、藤枝市御子ヶ谷遺跡(国の史跡)と秋合遺跡は駿河国志太郡家遺跡と考えられ、袋井市坂尻遺跡(佐野郡家ヵ)、藤枝市郡(こおり)遺跡(益頭(さしず)郡家ヵ)などの郡衙遺跡の存在が明らかになってきている[18]

『絹本着色富士曼荼羅図』(重文富士山本宮浅間大社蔵)
富士山の他、浅間大社・村山浅間神社(村山修験者)・三保の松原、駿河湾、東海道、富士川などが描かれている[19]
遠江国
次の3つの国造を統合
遠淡海国:磐田市に比定
久努国:袋井市久能に比定
素賀国:掛川市大須賀に比定
駿河国
次の2つの国造を統合
珠流河国:伊豆を含む富士川以東に比定。
廬原国:大井川と富士川の間に比定。
伊豆国
駿河国成立から程なく分立した。伊豆諸島を含む。
伊豆造国の比定地については異説が多い

記紀においては、ヤマトタケルが蝦夷征伐に赴いた時、駿河国でだまし討ちに遭う[20]。その時に草薙剣で草を薙ぎ払って難を逃れたというヤマトタケル伝承が記されており、その地を「草薙」と呼んだ。また、賊を焼き払った野原を「焼津」と呼んだという。

律令制で中央集権国家が形成されるに従って、現在の静岡県内に有った国造は、伊豆国、駿河国、遠江国という3つの令制国に合併・再編された[21]

律令制下には、遠江国には白輪官牧しろわのかんまきがあり、その後荘園化し白羽荘と称した。故地は御前崎西方の砂丘地帯から北方の牧之原台地におよぶと推定される。駿河国には岡野(大野)・蘇弥奈の2官牧がある。前者は愛鷹山の東南麓、現沼津市の大岡・金岡・愛鷹を中心とする地域に存在し、後に大岡牧、あるいは大岡荘と呼ばれる荘園になった。後者の位置は明確でないが、現静岡市街地の西北、安倍川と藁科川とに囲まれた牧ヶ谷から美和の内牧に至る一帯の山地と思われる。伊豆国では、官牧の存在が明確ではないが、現伊豆市修善寺町に牧之郷という地名がある。後にこれらの地域に武士団が簇生した[22]

伊豆国は畿内から遠いために、流刑地の一つとされていた[23]。一方で、駿河国には藤原南家の末裔(まつえい)の多くが住み着き、土着したようである。

遠江国の国分僧寺は磐田市中央町に、国分尼寺はその北にあったことが確かめられている。駿河国分僧寺は静岡市大谷の片山廃寺がその有力候補とされており、国分尼寺は不明である。伊豆国分僧寺は三島市泉町に、国分尼寺は三島市南町にあった。

中世

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伝源頼朝像神護寺蔵)

平治元年(1159年)、平清盛に敗退した源義朝は東国に敗退する最中に謀殺され、義朝三男の源頼朝は平家方に捕らえられるが助命され、伊豆国韮山(伊豆の国市)に流刑された。豆駿遠三国はいずれも平家の勢力圏であったが、頼朝は伊豆において在庁官人北条氏の庶流北条時政の娘政子を室として婿になり、伊豆の反平家方の武士たちから支持を受けると治承4年(1180年)には以仁王の平家討伐令旨に応じて挙兵する(治承・寿永の乱)。

治承・寿永の乱は豆駿遠三国のみならず相模国甲斐国など東国圏から西国にかけて展開するが、三国内における平家勢は治承4年8月23日に相模石橋山の戦い(小田原市)において頼朝勢を撃退するが、8月25日には駿河目代橘遠茂の軍勢が富士山麓において甲斐源氏の勢力に敗退し(波志田山合戦)、甲斐源氏の勢力と安房へ逃れた頼朝が三浦氏の後援を得て勢力を挽回すると反平家勢は再び三国方面へ侵攻し、平家勢は10月14日には富士山麓における鉢田の戦いにおいて敗退し、さらに10月20日の富士川の戦いにおいて大敗し、三国は頼朝や甲斐源氏の勢力圏となった。

頼朝が鎌倉幕府を開府すると三国の所領も恩賞として御家人に安堵された。伊豆は北条氏が守護となったが、治承・寿永の乱においては特に甲斐源氏の功績が大きく、駿河は武田信義、遠江は安田義定が守護となったが、頼朝は甲斐源氏の粛清を行い、三国は北条氏の影響下に置かれた。建久4年(1193年)5月28日には富士の巻狩が行われ、5月28日には曾我兄弟の仇討ちが発生する[24]

鎌倉幕府におて源氏将軍が途絶すると北条氏は執権として幕政を主導する執権政治を開始し、三国は北条氏の所領における中心となる。承久3年の承久の乱において三国の武士は幕府勢の主力である東海道軍に加わり活躍し、乱の平定後に三国の御家人は西国にも恩賞を獲得し、勢力を拡大した。

頼朝や北条氏は寺社を振興し、三国においても頼朝の信仰した伊豆山神社や北条氏の氏寺である願成就院など幕府にゆかりのある寺院が分布している。三国においては天台宗真言宗の旧仏教の影響が強かったが、鎌倉新仏教においても臨済宗の高僧である円爾(聖一国師)や南浦紹明(大応国師)は駿河の出身で三国でも臨済寺院が分布しており、日蓮宗の宗祖である日蓮は伊豆において布教を行っており、日蓮が甲斐国南部の身延(身延町)に草庵を構え信仰の拠点となると駿河・伊豆においても門徒が拡大し、日興大石寺(富士宮市)・北山本門寺(富士宮市)など岳南地方において日蓮宗の拠点寺院を建立した。

南北朝時代に入ると、今川氏守護大名として駿河国府中(駿府)に入った。14世紀後半に入ると今川氏は遠江国の守護職も兼ねて勢力を伸長する。

戦国期には今川氏親は伊勢宗瑞(北条早雲)らの力によって一族の抗争を終わらせ、戦国大名への道を歩んだ。また、応仁の乱の後に、散逸した貴族達が多く逗留した。一方の北条早雲は、伊豆国の堀越公方を攻め滅ぼし、それを足がかりに関東の支配へ乗り出す。その後、今川氏と(早雲の息子である)氏綱後北条氏)の主従関係が崩れ、富士川以東の地域をめぐって争いが生まれる(河東の乱)。

今川義元

駿府は今川領国の中心として繁栄し、今川義元は後北条氏との争いを収束させると、甲斐の武田氏、相模後北条氏と三国同盟を形成し駿河国、遠江国、三河国の3国を支配した。永禄3年(1560年)、尾張国織田信長との桶狭間の戦いにおいて当主義元が敗死し今川氏真に当主交代すると三河においては松平元康(徳川家康)が独立するなど今川領国は動揺する。外交関係においても武田氏と手切となり、永禄11年(1568年)に武田信玄と徳川家康が協調して今川領国へ侵攻し、今川氏は相模後北条氏の支援を得るが領国は崩壊した。

その後は武田信玄と徳川家康は今川領国の割譲を巡り対立し、さらに徳川氏と協調し武田氏に敵対する後北条氏や越後上杉氏、徳川氏と同盟関係にありつつ武田氏とも友好的関係を持ち将軍義昭を擁する尾張の織田信長など旧今川領国を巡る情勢は複雑に推移するが、元亀年間に武田氏は駿河を確保すると、後北条氏との同盟も回復する。その後、武田氏は矛先を遠江・三河方面に向け家康や信長と対決し畿内情勢にも影響を及ぼしたが(西上作戦)、元亀4年には信玄が死去し事態はいったん収束する。

信玄の死後、信長は畿内において政権を確立し家康も岡崎から浜松に拠を移し勢力を回復し、武田氏では勝頼に当主交代すると再侵攻を繰り返すが、天正3年の三河において織田・徳川勢が武田勢に致命的打撃を与えた長篠の戦いと、天正9年の高天神城陥落を契機に駿遠二国における武田氏の勢力は後退し、天正10年(1582年)に武田氏は織田・徳川勢により滅ぼされた。

同年、本能寺の変において信長が横死し旧武田領国が空域化すると家康は本国の三河・遠江のみならず武田遺領である甲斐・信濃国・駿河を確保し(天正壬午の乱)、5国を支配し東国における一大勢力に成長した。

近世

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駿府城

豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼすと、1590年には家康は駿府から江戸に移され、代わって駿府には中村一氏が入り、遠江国には掛川に山内一豊堀尾吉晴が入り、それぞれ織田家の家臣が入った。

1603年、徳川家康が江戸幕府を開くと後継者の徳川秀忠将軍職を譲り、家康は駿府において大御所政治を敷いた[25][26]江戸時代の伊豆国、駿河国、遠江国の3国(以下「豆駿遠三国」と略称)には、幕府直轄領譜代大名の藩領、旗本領が入り組んでおり、伊豆国には韮山の代官江川太郎左衛門、駿河国には沼津藩の水野出羽守、田中藩の本田紀伊守、小島藩の瀧脇丹後守、遠江国には相良藩の田沼玄蕃頭、横須賀藩の西尾主計頭、浜松藩の井上河内守、掛川藩の太田惣次郎、堀江藩の大澤右京大夫といった具合に領主支配は複雑に変遷している。

近世には江戸日本橋から京都に至る東海道宿場が整備されるが、豆駿遠三国には53の宿場のうち22宿が存在し、各地に宿場町が成立した。東海道は西国諸大名の参勤交代朝鮮通信使琉球使節も通行し、新居関所(今切関所)は箱根関所と並ぶ重要な関所として知られ、大井川では川越制度が整えられ、大井川徒歩が行われた[注釈 9]

新居関所

近世には新田開発が行われ米麦や畑作物の生産が増大したほか、椎茸山葵などの特産物の生産も行われる。また、伊豆[27]や駿河では金銀山での採掘が行われたほか、豆駿遠三国では林業が行われ幕府の御林も設置されていた。

近世後期には天命の大飢饉、天保の大飢饉などに際して豆駿遠三国でも凶作や飢饉の被害を受け、強訴や打ちこわし[28]、百姓一揆が発生しており、明和元年(1764年)の駿河小島藩の惣百姓一揆、天明3年(1783年)の駿河御厨一揆、天明6年の遠江笠井・二俣騒動、文化13年の蓑着騒動などが発生している。

文化面では国学を創始した確立した荷田春満の弟子に浜松諏訪神社大祝杉浦国頭がおり、国頭は江戸において春満に学び、春満の姪を妻に迎え浜松で私塾を開き多くの門弟を育てた。そのなかには伊庭村の賀茂明神神職の賀茂真淵がおり、真淵は春満に国学の学問的手法を確立し、地元出身者を含む多くの門弟を育て、豆駿遠三国では春満・真淵との関わりから遠州国学が発達する。

韮山反射炉

幕末には嘉永6年(1853年)にアメリカ艦隊司令長官マシュー・ペリーが日本との通商を求めて来航し、翌嘉永7年1月には下田・函館両港が開港する。下田にはアメリカ領事タウンゼント・ハリスが駐在し、安政5年に日米修好通商条約が締結されるまで、玉泉寺アメリカ総領事館として機能した。また、嘉永6年にはロシアプチャーチン艦隊も日本との通商を求めて来航し、同年11月1日には下田において幕府側全権と交渉を行っている。嘉永7年11月4日には安政東海地震が発生しプチャーチン艦隊のディアナ号は沈没し、日本側では韮山代官江川英龍が主導し、戸田港において代船ヘダ号の造船を行っている。

近代

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江戸幕府が倒されて明治維新が起こると、1868年5月には、駿河国の天領・沼津藩・田中藩・小島藩・交代寄合の榊原家の久能陣屋、諸旗本領、遠江国の相良藩・横須賀藩・掛川藩・浜松藩・交代寄合の近藤家の気賀陣屋、諸旗本領が合併されて、静岡藩(70万石)が設置され、徳川将軍家徳川家達が入った。同年6月、伊豆国(旧韮山代官領)の地域に韮山県が成立した。同年9月、旧堀江陣屋(5600石、申告1万6石。今の浜松市舘山寺地区)が堀江藩に昇格した。そして、1869年には、駿府は静岡に改名された。

1871年8月29日廃藩置県では、静岡藩は静岡県に置き換わり、堀江藩が堀江県に置き換わった。同年12月31日には、当時の静岡県は分割され、駿河国部分が静岡県となり、遠江国部分は浜松県となった。堀江県は浜松県に編入された。韮山県は、荻野山中県や小田原県と合併して、足柄県となった。

しかし、1876年(明治9年)4月18日には足柄県が分割され、相模国部分は神奈川県に編入され、伊豆国部分は静岡県に編入された。そして、同年8月21日になると、浜松県が廃止されて静岡県に編入された。1878年(明治11年)には、伊豆諸島東京府(現在の東京都)に編入された。

このように、伊豆国、駿河国、遠江国の3国が、1876年(明治9年)に行われた県の合併によって、現在の静岡県となった[29]

人口

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静岡県の人口は2007年12月の379万7,333人をピークに減り続けており、2022年2月には人口が360万人を下回った[30]

地域別に見ると特に伊豆半島地域の減少が激しいが、政令指定都市である静岡市や浜松市も人口減少に悩まされており、就職や進学に伴い東京圏に多くの若者が流出している[31]。人口減少を背景に県内では空き家が増え続けているため、静岡県は空き家への引っ越しに補助を2022年度に設ける方針を固めた[32]

当時の県知事川勝平太は360万人割れを受け、「今こそ東京一極集中の時代から地方活躍の静岡時代へと転換を図るチャンスと捉え、魅力あふれる地域を創生し、人口減少の克服に向けて全力で取り組む」とコメントしている[30]

人口減少が続けば鉄道や小売、自動車販売といった経済活動にも影響を及ぼすため、静岡鉄道のような民間企業も県内への移住事業を本格化させている[30]

静岡県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出)
静岡県と全国の年齢別人口分布(2005年) 静岡県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 静岡県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
静岡県(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 3,089,895人
1975年(昭和50年) 3,308,799人
1980年(昭和55年) 3,446,804人
1985年(昭和60年) 3,574,692人
1990年(平成2年) 3,670,840人
1995年(平成7年) 3,737,689人
2000年(平成12年) 3,767,393人
2005年(平成17年) 3,792,377人
2010年(平成22年) 3,765,007人
2015年(平成27年) 3,700,305人
2020年(令和2年) 3,633,202人
総務省統計局 国勢調査より

静岡県人口動態

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2024年現在約353万人となっており減少傾向が続いており、1983年(昭和58年)の人口とほぼ同じ水準である。人口順位は1960年(昭和35年)では埼玉県,千葉県より多い全国8位の規模であったが1964年には埼玉県に、1968年には千葉県に人口を抜かれてからは全国10位の規模で長年推移している。静岡県の人口推移はほぼ国内の人口増加率と同じであり国勢調査の人口増加率は長年10位台で推移している。

表1. 国勢調査結果に基づく静岡県の人口推移
実施年 人口(人) 増減人口(人) 人口増減率(%) 国内増減率(%) 増加率全国順位
1960年 2,756,271 - - - -
1965年 2,912,521 増加 156,250 増加 5.67 増加 5.20 10位
1970年 3,089,895 増加 177,374 増加 6.09 増加 5.54 10位
1975年 3,308,799 増加 218,904 増加 7.08 増加 7.92 14位
1980年 3,446,804 増加 138,005 増加 4.17 増加 4.57 19位
1985年 3,574,692 増加 127,888 増加 3.71 増加 3.40 12位
1990年 3,670,840 増加 96,148 増加 2.69 増加 2.12 11位
1995年 3,737,689 増加 66,849 増加 1.82 増加 1.58 15位
2000年 3,767,393 増加 29,704 増加 0.79 増加 1.08 17位
2005年 3,792,377 増加 24,984 増加 0.66 増加 0.66 10位
2010年 3,765,007 減少 27,370 減少 0.72 増加 0.23 19位
2015年 3,700,305 減少 64,702 減少 1.72 減少 0.75 17位
2020年 3,633,202 減少 67,103 減少 1.81 減少 0.75 17位

都市

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静岡県内 市別人口ランキング
県内順位 都市 地域区分 人口 県内順位 都市 地域区分 人口
1 浜松市 西部(遠江) 774,899人 6 藤枝市 中部(駿河) 137,141人
2 静岡市 中部(駿河) 671,924人 7 焼津市 中部(駿河) 133,337人
3 富士市 東部(駿河) 239,767人 8 富士宮市 東部(駿河) 123,688人
4 沼津市 東部(駿河) 181,801人 9 掛川市 西部(遠江) 113,003人
5 磐田市 西部(遠江) 162,963人 10 三島市 伊豆(伊豆) 103,742人
推計人口 2024年11月1日
静岡県内市別人口密度ランキング(推計人口 2024年11月1日)
  1. 焼津市(1,896.69人/km2
  2. 三島市(1,672.72人/km2
  3. 沼津市(973.13人/km2
  4. 磐田市(997.02人/km2
  5. 富士市(978.84人/km2

静岡県内市町別人口・面積・人口密度

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人口・面積・人口密度
自治体 コード 人口
(人)
面積
(km2
人口密度
(人/km2
静岡市 221007 671,924 1,411.93 475.89
浜松市 221309 774,899 1,558.11 497.33
沼津市 222038 181,801 186.82 973.13
熱海市 222054 31,451 61.70 509.74
三島市 222062 103,742 62.02 1,672.72
富士宮市 222071 123,688 389.08 317.9
伊東市 222089 62,224 124.02 501.73
島田市 222097 92,707 315.70 293.66
富士市 222101 239,767 244.95 978.84
磐田市 222119 162,963 163.45 997.02
焼津市 222127 133,337 70.30 1,896.69
掛川市 222135 113,003 265.69 425.32
藤枝市 222143 137,141 194.06 706.69
御殿場市 222151 82,287 194.90 422.2
袋井市 222160 87,559 108.33 808.26
下田市 222194 18,560 104.38 177.81
裾野市 222208 48,323 138.12 349.86
湖西市 222216 56,008 86.56 647.04
伊豆市 222224 26,189 363.97 71.95
御前崎市 222232 29,076 65.57 443.43
菊川市 222241 46,670 94.19 495.49
伊豆の国市 222259 44,692 94.62 472.33
牧之原市 222267 41,010 111.69 367.18
東伊豆町 223018 10,769 77.82 138.38
河津町 223026 6,224 100.69 61.81
南伊豆町 223042 7,207 109.94 65.55
松崎町 223051 5,365 85.11 63.04
西伊豆町 223069 6,247 105.41 59.26
函南町 223255 35,427 65.16 543.69
清水町 223417 31,245 8.81 3,546.54
長泉町 223425 43,454 26.63 1,631.77
小山町 223441 17,436 135.74 128.45
吉田町 224243 28,392 20.73 1,369.61
川根本町 224294 5,401 496.88 10.87
森町 224618 16,462 133.91 122.93
推計人口 2024年11月1日

都市圏

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総務省が定義する大都市圏として、静岡・浜松大都市圏及び関東大都市圏を有する。

都市雇用圏では、以下の都市圏を有する。

  1. 浜松都市圏人口1,097,891人、面積2,050.36km²、人口密度535人/km²。(2024年11月1日、推計人口
  2. 静岡都市圏人口1,035,109人、面積1,991.99km²、人口密度520人/km²。(2024年11月1日、推計人口
  3. 沼津都市圏人口466,550人、面積808.03km²、人口密度577人/km²。(2024年11月1日、推計人口
  4. 富士都市圏人口363,455人、面積634.03km²、人口密度573人/km²。(2024年11月1日、推計人口[注釈 10]
  5. 掛川都市圏人口188,749人、面積425.45km²、人口密度444人/km²。(2024年11月1日、推計人口
  6. 御殿場都市圏人口148,046人、面積468.76km²、人口密度316人/km²。(2024年11月1日、推計人口
  7. 島田都市圏人口95,529人、面積315.70 km²、人口密度303人/km²。(2020年8月1日、推計人口

政治

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静岡県は、前知事川勝平太が提唱した「住んでよし、働いてよし、訪れてよし」の「富国有徳の日本の理想郷」を創るための施策に取り組んできた[33]。「富国有徳」は、元知事石川嘉延の県政キャッチコピー「富国有徳――しずおかの挑戦」にも現れるが、これは川勝の著した『富国有徳論』(1995)[34] の思想に賛同したもの。

国際コメ年2004年から、「コメの購入量・購入金額」日本一である静岡市で「お米日本一コンテストinしずおか」を毎年開催している。主催者「全国お米まつりinしずおか実行委員会」は静岡県庁こめ室内に置かれている[35]

国政

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衆議院小選挙区が8。参議院では、全県で1区を構成し、定数4人・改選数2人の二人区である。

県政

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静岡県のイメージキャラクターは「ふじっぴー」(2003年(平成15年)開催 NEW!!わかふじ国体マスコットキャラクター)である[37]

歴代知事(公選)

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経済・産業

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2017年度の県内総生産は名目17兆2770億円であり[38]、全世界の2/3の国々のGDPを上回り、ギリシャニュージーランドなど一部の先進国と匹敵する規模を持つ[注釈 11]

※本社を置く企業は「Category:静岡県の企業」を参照すること。

臨海部を中心に東海工業地域が広がっている。現在の湖西市トヨタグループの創始者である豊田佐吉の生誕の地であり、ホンダの発祥地、スズキヤマハカワイといった企業の本社所在地であることから第二次産業が発達している。製造品出荷額大阪府とほぼ同等の17兆1540億円(2019年度)であり、愛知県、神奈川県に次ぐ国内3位である[39]

静岡市浜松市など県内大都市(政令市)を中心に多くの企業が事業所を置いている[40]

また、静岡茶みかんに代表される農業マグロカツオ桜エビなどで有名な漁業、富士山伊豆半島赤石山脈南アルプス)・浜名湖などの観光などのサービス業も盛んである。

静岡県の指定金融機関静岡銀行で、また静岡市浜松市ほか県内の主な市も静岡銀行を指定金融機関としているが(静岡市は清水銀行との輪番制)、伊豆地方を中心にスルガ銀行を指定金融機関とする市もみられる。

生活・交通

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警察

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電気

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富士川を境に県の富士川以東のみ50Hz(ヘルツ=東京電力パワーグリッドが送配電)。その他(県の富士川以西)は60Hz(中部電力パワーグリッドが送配電)。新潟県佐渡島糸魚川市の一部や長野県の一部で電源周波数が県の大半と異にする地域があるものの、同一都道府県内で電源周波数が東西に大きく二分されるのは本県のみであるため、電気の分野では富士川がよく知られている。

浜松市天竜区佐久間ダム近傍に、東西の電力を相互に融通するための電源開発送変電ネットワーク佐久間周波数変換所[注釈 12]が、静岡市清水区の中部電力パワーグリッド東清水変電所[注釈 12]内に同様の目的の東清水周波数変換装置(FC; frequency converter)がある。

ガス

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静岡県内では、静岡ガス系やTOKAI系、中部ガス系、サイサン系を中心として、複数の業者が地域を分けてガス事業を行っている。静岡県内の主な一般ガス事業者は次の通り。

交通

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東海道の沿線として、古くから関東地方近畿地方とを結ぶ大動脈が整備されてきた。特に浜名湖畔は、首都圏東京鎌倉)と畿内大阪京都奈良)から等距離に位置している。

鉄道

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※ 伊東線全線と東海道本線(在来線)熱海駅東日本旅客鉄道(JR東日本)の管轄。ほかのJR線は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄。

静岡県は第三セクター鉄道を除いた中小私鉄事業者が最も多く[50]遠州鉄道静岡鉄道遠鉄グループ静鉄グループを形成し、中小私鉄でトップの売上高である[51]

このように東西に東海道新幹線などの幹線級の鉄道が敷かれており三大都市圏を結ぶ大動脈として整備されており、全国で5番目の規模を有する静岡・浜松大都市圏及び東海工業地域の輸送の要であるが、通過点としての役割も強く、三大都市圏に匹敵する程の流通はない。現に一日12万人程の利用がある東海道新幹線静岡県内区間ですら最速達の『のぞみ』と準速達の『ひかり』の約半数は県内の全駅を通過している現状もある[52][53]

静岡県内のJR線は全線電化されている。私鉄も非電化路線は天竜浜名湖線と大井川鉄道井川線(但しアプト式区間は電化)のみである。基本的に直流電化されているが東海道新幹線のみ交流電化である。東海道新幹線は県内では両周波数の地域を通過しているが途中に周波数変換変電所があり(県内では沼津市に設置)、50Hz地域を含めた全区間が60Hzに統一されている。

このほか、2027年開通予定の中央新幹線山梨県駅と長野県駅の間で静岡市葵区北部を通過するが、赤石山脈内の大井川源流部を南アルプス隧道として通過し、駅の設置予定はない。

道路

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※ このほかの詳細は「静岡県の県道一覧」「中部地方の道路一覧」を参照のこと

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上空から見た清水港と富士山

これらのほかに、地方港湾漁港などがある。

船舶航路
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空港

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静岡空港

医療・福祉

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災害拠点病院
保育所

教育

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賀茂地域教育振興センター[54]

平成29年4月3日開所。賀茂地域教育振興センターは、静東教育事務所参事1名、賀茂地区5町指導主事3名、下田市指導主事1名、県幼児教育アドバイザー1名の計6名で構成されている[55]

各学校を訪問し、教科指導、生徒指導などに関して賀茂地域の教育の質の維持・向上を図る取組を推進する組織。

県内初のモデル事業として県幼児教育アドバイザーを配置し、幼稚園・保育所・認定こども園を卒業する幼児が、スムーズに小学校生活に溶け込めるための調整役も務める。

静岡県では、平成29年2月に「賀茂地域教育振興方針」を作成。5年後、10年後の賀茂地域のあるべき教育の姿を見据え、このセンターの整備を足がかりに、方針の施策を推進する[55]

賀茂地域教育振興センターの具体的な活動内容などは、「静岡新聞@S」や静岡県教育委員会広報誌「Eジャーナル189号193号」で紹介されている。

高等教育

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入学希望者に対し県内の高等教育機関が不足しているため、県内の高校生は県外に進学する者が比較的多い[要出典]。県内に企業の本社が多いこともあって、UターンIターン就職者が比較的多い。

6年制課程または専門職大学院としては、医学部浜松医科大学薬学部静岡県立大学法科大学院静岡大学にそれぞれ存在する。

なお、東海大学が1955年に本部を東京都に移転した後、常葉学園大学が1980年に開学するまで、静岡県内に本部を置く4年制私立大学は存在しなかった。

高等専門学校

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静岡県には沼津工業高等専門学校がある。

高等学校

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下田高韮山高三島南高沼津東高富士高清水東高静岡高静岡東高静岡市立高藤枝東高榛原高掛川西高磐田南高浜松北高浜松西高浜松市立高等学校がある。

私立高校についても、浜松日体高日大三島高東海大翔洋高などの大学付属高や、静岡雙葉高不二聖心女子学院高などの中高一貫女子校、中高一貫男子校である静岡聖光学院高といった特色のある高校が存在する。

義務教育

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伝統的に公立小・中学校が義務教育の中心を担っており、地域の公立小中学校への進学者が多い。

近年は国立・私立校の人気が高まっている。学校側も、特に私立校においては少子化時代の生徒確保を意識して高校に小・中学校を併設する動きが出ている。教育内容についても、例えば小学生の英語教育で全国的に有名な加藤学園暁秀初等学校など、公立とは異なる特色ある教育を行っている。

マスメディア

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新聞

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地方紙
  • 静岡新聞
    静岡県内を主な購読地域とする地方紙。静岡県内一円に取材拠点を置いており、静岡市で印刷している。静岡県内情報や茶業情報については最も詳しい。系列テレビ・ラジオ局を有し、県内に一大メディアグループを築いており、県内各界への影響力も大きい。囲碁碁聖戦主催紙の一つでもある。特定の系列販売店はないので、県内の大半の新聞販売店で購入が可能である。
  • 中日新聞東京新聞
    中日新聞社発行の新聞においては、富士川以西では主に中日新聞、富士川以東では主に東京新聞が販売されている。また、浜松市東海本社があり、東京新聞の県版を含む静岡県内向けの編集と発行が行われている。なお東京新聞は、県内を「統合版」エリアとしているため、朝刊のみの発行。
全国紙
全国紙は基本的に東京都もしくは神奈川県、千葉県、愛知県の工場で印刷して静岡県に輸送している物が多い。いずれの新聞も、紙面のうち1〜2面程度の広さを静岡県内記事(静岡県版)に割いている。静岡県版は、静岡県東部版、静岡県中部版、遠州版の3つに分けられているが、支局の表示は3つとも同じである[注釈 15]
スポーツ紙
全国向けスポーツ紙は、東京都もしくは神奈川県で印刷して静岡県内に輸送している。紙面の一部を静岡県版として割いている物が多い。
郷土紙(地域密着紙)
ごく狭い地域のみで発行される新聞、タブロイド判のものが多い。
  • 伊豆新聞 ※静岡新聞系
    • 伊東版 (伊東市)
    • 下田・賀茂版 (下田市、賀茂郡:東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町、伊豆市(旧田方郡土肥町))
  • 熱海新聞 ※静岡新聞系(熱海市、神奈川県湯河原町)
  • 伊豆日日新聞 ※静岡新聞系 (伊豆の国市、伊豆市、田方郡函南町、駿東郡清水町、三島市、沼津市)
  • 日刊伊豆毎日 (熱海市)
  • 岳麓新聞 (御殿場市)
  • 沼津朝日新聞 (沼津市、駿東郡清水町)
  • 沼津新聞 (沼津市)
  • 富士ニュース (富士市、富士宮市)
  • 岳南朝日新聞 (富士宮市、富士市)
  • 岳陽新聞 (富士宮市)
  • 庵原新聞 (静岡市清水区(由比・蒲原)、富士市(富士川))
  • タウン情報はままつ (浜松市)
  • 日刊焼津港報 (焼津市)
フリーペーパー
  • 中日ショッパー(浜松市、静岡市など) ※中日新聞系
  • びぶれ(浜松市) ※静岡新聞系
  • リビング静岡(静岡市) ※サンケイリビング新聞社

放送

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静岡県の地上デジタルテレビ・FMラジオの県域放送親局は静岡市清水区の日本平デジタルタワーに集約されているが、SBSラジオ補完FM局のメイン送信所は焼津市の高草山に設置された。

テレビ局

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静岡県は人口10位以上の都道府県で唯一、TXNネットワーク系列局または独立局が存在しない[56]

ラジオ局

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AMラジオ局
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FMラジオ局
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※かつて存在したMegaNet系列の「愛知国際放送(RADIO-i・本社名古屋市)」も浜松市に中継局を置いていた(在名局で唯一静岡県の一部も公式放送区域としていた)。

コミュニティFM局

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西部(遠州)
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ミュージックバード及びJ-WAVEを配信

中部(駿西)
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  • g-sky(島田市)ミュージックバードを配信
  • FM-Hi!(静岡市葵区)J-WAVEを配信
  • FMしみずマリンパル(静岡市清水区)ミュージックバードを配信
東部(駿東)
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伊豆
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ケーブルテレビ

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文化・スポーツ

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方言

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  • 遠州方言:浜松市、湖西市、磐田市、袋井市、掛川市、菊川市、御前崎市、牧之原市、島田市(大井川以西の区域に限る。)、周智郡、榛原郡(大井川以西の区域に限る。)。
  • 駿河方言:静岡市(葵区井川、田代、小河内、上坂本、岩崎及び口坂本の区域を除く。)、焼津市、裾野市、御殿場市、藤枝市、島田市(大井川以東の区域に限る。)、富士市、富士宮市、沼津市(内浦重寺の区域以南を除く。)、駿東郡、榛原郡(大井川以東の区域に限る。)。
  • 伊豆方言:上記以外の区域
  • 井川方言:静岡市葵区井川、田代、小河内、上坂本、岩崎及び口坂本の区域

食文化

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静岡県の土産菓子。特産の茶やミカン、ワサビ、魚介類を使ったものがある。

郷土料理

伝統工芸

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経済産業大臣指定伝統的工芸品
  • 駿河竹千筋細工(竹工品、1976年
  • 駿河雛具(人形、1994年
  • 駿河雛人形(人形、1994年)
伝統工芸品

スポーツ

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観光

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静岡県を舞台とした主な作品

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県内には自治体・商工会議所・企業または任意団体などが地域ごとにフィルム・コミッションを組織し、各地域での映像作品制作の支援が行われているが、これらの団体および撮影地に関する情報提供や撮影手配の支援など行う「静岡フィルムコミッションnet」が県により組織されている。この取り組みは、地域を題材とした映像作品が発信されることにより、県内各地の広報および地域活性化や観光振興に繋げるためのものである[57]

以下のリストは発表年順での記載である。

映画

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静岡県が舞台ではないが、静岡県をロケ地とした作品
静岡県が舞台であるが、静岡県をロケ地としていない作品

テレビドラマ

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バラエティ

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楽曲・MV

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文学

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アニメ・漫画

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静岡県内
西部
中部
東部
伊豆
富士山

ゲーム

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人物

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国際関係

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姉妹自治体・提携自治体

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友好州省道

脚注

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注釈

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  1. ^ 1968年(昭和43年)8月26日制定
  2. ^ 1968年(昭和43年)8月6日制定
  3. ^ 海上を隔てて隣接。
  4. ^ 1965年(昭和40年)9月21日選定
  5. ^ 1964年(昭和39年)10月2日制定
  6. ^ 後に東京都に越境合併された伊豆諸島を含まない。
  7. ^ 日本の市の人口順位
  8. ^ この場合、東海3県を「中京」もしくは「中部」「愛三岐」などと表記。
  9. ^ (資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, 関所と河川の徒渉)
  10. ^ 県外(山梨県)の南部町は除く。
  11. ^ 国の国内総生産順リスト (為替レート)
  12. ^ a b 何れも中部電力管内にあるが、県の富士川以西で同社グループの中部電力パワーグリッドが管理する周波数変換所は東清水変電所のみ。
  13. ^ サイサングループ
  14. ^ a b c d e 静岡ガスグループ
  15. ^ 尚、朝日新聞は2019年4月1日、「静岡」に統一され、その他の新聞社も「静岡」で統一した。また、2021年10月1日、読売新聞は、「静岡」「東部・伊豆」を統合し、中東部・伊豆地方は「静岡」に変更された。
  16. ^ 会社自体は現存しており、現在は中部本社管内の新聞の配送のみに特化。

出典

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  1. ^ a b 県の概要-県章・県旗”. 静岡県ホームページ. 2014年7月19日閲覧。
  2. ^ a b c 県の概要-県の鳥・花・木work=静岡県ホームページ”. 2014年7月19日閲覧。
  3. ^ 製造業合計(都道府県データランキング)”. 製造業合計(都道府県データランキング). 2020年10月11日閲覧。
  4. ^ kanenshiryou3-2”. 2020年10月11日閲覧。
  5. ^ 静岡県/Myしずおか日本一一覧表”. www.pref.shizuoka.jp. 2020年12月10日閲覧。
  6. ^ 静岡県/6次産業化の推進”. www.pref.shizuoka.jp. 2020年12月10日閲覧。
  7. ^ 静岡県の人口減少対策への提言”. 人口減少問題に関する有識者会議. 2020年12月11日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ H30観光交流客数の動向冊子(校正版)”. 静岡県文化・観光部観光交流局、観光政策課. 2020年11月23日閲覧。
  9. ^ 静岡県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系) 国土地理院(2018年5月2日閲覧)
  10. ^ 我が国の人口重心 -平成27年国勢調査結果から- 総務省(2018年5月2日閲覧)
  11. ^ 都道府県別森林率”. 林野庁. 2020年10月13日閲覧。
  12. ^ 岳南地域(読み)がくなんちいき コトバンク
  13. ^ a b 県の概要-県の成り立ち”. 静岡県. 2020年10月16日閲覧。
  14. ^ 「静岡の由来」碑について”. 静岡市. 2020年10月16日閲覧。
  15. ^ 本多隆成 et al. 1998, pp. 10–11, 荒木敏夫「静岡県の夜明けと律令体制の成立」.
  16. ^ 本多隆成 et al. 1998, pp. 12–15, 荒木敏夫「静岡県の夜明けと律令体制の成立」.
  17. ^ 資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, p. 18, 白村江の戦いと廬原氏 ~ヤマト政権と国造~.
  18. ^ 本多隆成 et al. 1998, pp. 40–43, 荒木敏夫「静岡県の夜明けと律令体制の成立」.
  19. ^ 富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議/富士山を世界遺産にする国民会議 発行 『富士山 信仰と芸術の源』 小学館 2009年 p84
  20. ^ 資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, p. 16, ヤマトタケルの伝承とヤマト政権の東海支配.
  21. ^ 資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, 江・駿河・伊豆三国の郡と郷.
  22. ^ 本多隆成 et al. 1998, pp. 66–68, 杉橋隆夫「地域の武士社会と政権」.
  23. ^ 資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, 貴族が流された国伊豆.
  24. ^ 資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, 曽我兄弟仇討ち事件の謎.
  25. ^ 資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, 近世概説.
  26. ^ 資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, 駿府から発信された幕府政治.
  27. ^ 資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, ゴールドラッシュの伊豆、幾たびか.
  28. ^ 資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, 天保飢饉から幕末の混乱へ ~天保7年の志太郡・益津郡の打ちこわしからみえるもの~.
  29. ^ 資料に学ぶ静岡県の歴史 2009, 関連年表.
  30. ^ a b c 静岡新聞社. “静岡県の人口 360万人割る 減少に歯止めかからず|あなたの静岡新聞|深堀り情報まとめ〈知っとこ〉”. www.at-s.com. 2022年5月31日閲覧。
  31. ^ 政令市でも若者の流出が続く「静岡と浜松」の苦悩 | 街・住まい”. 東洋経済オンライン (2021年9月27日). 2022年5月31日閲覧。
  32. ^ 静岡新聞社. “加速する人口減少 静岡県の施策は?|あなたの静岡新聞|深堀り情報まとめ〈知っとこ〉”. www.at-s.com. 2022年5月31日閲覧。
  33. ^ 静岡県 / 応援していただきたい施策の紹介
  34. ^ 川勝平太著『富国有徳論』(B6)紀伊國屋書店、1995年9月。ISBN 9784314006910 
    対談部分を除く出版元を変え再版 -- 川勝平太著『富国有徳論』(文庫)中央公論新社中公文庫〉、2000年1月25日。ISBN 9784122035713 
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  37. ^ 静岡県 / ふじっぴー紹介
  38. ^ 地域別総生産及び所得
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  55. ^ a b ふじのくに 静岡県公式ホームページ
  56. ^ ネット別テレビ局一覧表”. www.saturn.dti.ne.jp. 2021年2月7日閲覧。
  57. ^ 静岡フィルムコミッションnet(2013年9月2日閲覧)
  58. ^ “本広克行監督コメント”. BARKS. https://www.barks.jp/news/?id=1000109359 2015年1月5日閲覧。 
  59. ^ メイド喫茶で映画『サイレントヒル』のナイショの話が聞けちゃった!! - ファミ通.com”. www.famitsu.com. 2018年7月13日閲覧。
  60. ^ 韓国・忠清南道と静岡県 友好協定を締結(聯合ニュース、2013/4/30)

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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行政
福祉
観光
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行政区の変遷
1871年 -
次代
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