林家きく姫
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本名 | |
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生年月日 | 1970年5月8日(54歳) |
出身地 | 日本・愛媛県松山市 |
師匠 | 林家木久扇 |
出囃子 | 娘道成寺 |
活動期間 | 1987年 - |
活動内容 | 古典落語 |
配偶者 | なし(未婚) |
所属 | 落語協会 トヨタアート(マネジメント) |
林家 きく姫(はやしや きくひめ、1970年5月8日 - )は、落語協会・トヨタアート所属の真打落語家。本名は松本 恋由姫(まつもと こゆき)。愛媛県松山市出身[1]。
経歴
[編集]幼い頃に、松山市から東京に家族とともに転居した[2]。母が音楽好きで、幼い頃からクラシックやジャズが流れる家で育つ。東京都中野区立第八中学校卒業後、ジャズヴォーカリストを目指し日本音楽高等学校声楽科に進学した。
テレビで『笑点』を観たのがきっかけで、1987年に高校を中退し16歳で初代林家木久蔵(現在は林家木久扇)に入門し、惣領弟子となる[3]。弟子入りするまで木久蔵が落語家であると知らなかったとの話もある。
1991年に二ツ目、2001年秋に東京の女性落語家としては4人目、落語協会所属の女性落語家としては3人目となる真打に昇進した。柳家禽太夫、三遊亭白鳥、橘家文左衛門、三遊亭萬窓、入船亭扇治、柳家一琴、古今亭駿菊、柳家三太楼、金原亭馬遊、との同時昇進であった。古典落語を得意とし、古典を女性の視点で演出する。
2000年にスタートした東京都の広報番組『東京サイト』では長年にわたってナビゲーターを務めている。
2001年に同じく落語家の柳家花緑と婚約し、同居する。婚約は2001年12月26日の落語協会の納会で正式に発表された[4]。本来ならば2002年に結婚する予定だったが、花緑の祖父で師匠の五代目柳家小さんが死去したことにともない、長期に渡る延期状態になった。その後、2009年5月に別居・破局したことが、同年12月に週刊誌で報じられた[5]。後に花緑は別の女性と結婚している。
芸歴
[編集]人物
[編集]- 同じく昭和45年(1970年)生まれの3代目古今亭圓菊、三遊亭金八、2代目林家三平と共に「笑いの45口径」と題する落語会を開いていた。
- 落語家になってから日本放送協会学園高等学校(現在のNHK学園高等学校)に入学した。仕事の合間を縫って単位を取得し、2008年3月30日に卒業した。
- 2022年9月から、落語協会サーフィン部に入会した。
出演
[編集]テレビ
[編集]- ドラマ
- バラエティ(準レギュラー以上のみ)
- ジャスト「きく姫のそれ行け晩ご飯」コーナー(TBS、1999年 - 2003年頃)
- 週刊こどもニュース(NHK総合、2002年4月6日 - 2005年3月26日)
- 東京サイト(テレビ朝日、2004年 - )[7]
著書
[編集]- 林家きく姫監修・出演、こどもくらぶ著『林家きく姫のみんなが元気になる女性落語家入門』(彩流社、2016年1月) ISBN 4779150183
- 木久扇と弟子たち著『林家木久扇一門本 〜天下御免のお弟子たち〜』(秀和システム、2022年1月) ISBN 978-4798066066
DVD
[編集]脚注
[編集]- ^ 一般社団法人落語協会 林家 きく姫
- ^ 愛媛新聞 2018年1月15日15面 コラムよろしく より
- ^ 兄弟子林家時蔵は大師匠林家彦六門下(すなわち師匠の弟弟子)のち師匠の兄弟子五代代目春風亭柳朝門下からの移籍であり、香盤としてはきく姫は2番弟子である。ラーメンの販売や「いやんばかんダンス」を行うのはきく姫以降の弟子である。
- ^ 稲田和浩 (2002年3月29日). 演芸界2001年の動き(東京かわら版寄席演芸年鑑2002年版). 東京かわら版. p. 61
- ^ 稲田和浩 (2010年3月28日). 演芸界、2009年のできごと. 寄席演芸年鑑2010年版(東京かわら版2010年4月号). 東京かわら版. p. 67
- ^ “林家木久扇&林家きく姫:師弟で共にがん乗り越え「徹子の部屋」でトーク初共演 「落語を続けられないかも」と思った瞬間も”. 毎日キレイ (MANTANWEB). (2021年6月30日) 2022年7月5日閲覧。
- ^ “東京サイト”. テレビ朝日. 2019年11月15日閲覧。