コンテンツにスキップ

三遊亭圓窓 (6代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
六代目 三遊亭さんゆうてい 圓窓えんそう
六代目 三遊亭(さんゆうてい) 圓窓(えんそう)
三ツ組橘は六代目圓生一門の定紋
六代目圓窓の定紋でもある
本名 橋本はしもと 八郎はちろう
生年月日 1940年10月3日
没年月日 (2022-09-15) 2022年9月15日(81歳没)
出身地 日本の旗 日本東京都江東区
死没地 日本の旗 日本東京都
師匠 八代目春風亭柳枝
六代目三遊亭圓生
弟子 三遊亭吉窓
三遊亭窓里
三遊亭萬窓
三遊亭窓輝
名跡 1. 春風亭枝女吉しめきち
(1959年)
2. 三遊亭吉生きっしょう
(1959年 - 1969年)
3. 六代目三遊亭圓窓
(1969年 - 2022年)
出囃子 新曲浦島
活動期間 1959年 - 2022年
活動内容 古典落語
家族 三遊亭窓輝(三男)
所属 落語協会
(1959年 - 1978年)
落語三遊協会
(1978年 - 1980年)
落語協会
(1980年 - 2022年)
備考
落語協会相談役

六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年昭和15年〉10月3日 - 2022年令和4年〉9月15日[1])は、東京都江東区出身の落語家。落語協会所属。本名∶橋本 八郎。出囃子は『新曲浦島』。

経歴

[編集]

東京都立文京高等学校卒業[2]

1959年3月八代目春風亭柳枝に入門[3]。「枝女吉しめきち」を名乗るが、同年10月、師匠柳枝が死去。兄弟子枝吉と共に六代目三遊亭圓生門下に移り、「吉生きっしょう」と改名。

1962年11月、林家こん平と共に二ツ目昇進。

1969年3月、抜擢され真打に昇進し、六代目三遊亭圓窓を襲名。1970年6月21日より笑点大喜利にレギュラー出演、そこでのキャラは常識派であった。番組500回記念では兄弟子・五代目圓楽とリレー落語を演じた[4]

1973年より自分の寿命と思われる2000年頃までに500の噺を口演する事を目指し隔月に3席ずつの「圓窓五百噺を聴く会」第1回を開催[4][5]

1977年8月21日、笑点を降板。後任は三笑亭夢之助

1978年、『落語協会分裂騒動』で師匠圓生と共に同協会を脱退するも1980年2月1日に落語協会に復帰。

2001年3月9日含笑寺で「圓窓五百噺を聴く会」500席達成。当日の演目は「堪忍袋」「救いの腕(自作)」「五百羅漢(自作)」であった[4][6]

2003年から鈴本演芸場には長らく出演をしていなかった[7]が、2021年11月上席前半夜の部の「百日寄席 上野街笑賑~クラウドファンディング感謝公演~」に顔付けされた。結果として同月5日の出演が生前最後の高座となった[8]

その後2022年1月に肺に水がたまり入院したが退院[9]。その後も異常はなかったが、夏に左膝を痛め、以降は落語会を休むようになり、2022年7月31日に行われた浅草演芸ホール余一会の「三遊落語まつり」(昼の部)にも顔付けされていたが、休演となった(代演は三遊亭鳳月[10]。8月の池袋演芸場「三遊亭円窓一門会」も休演していた。2022年7月中旬の千葉の小学校での「落語授業」が最後の仕事となった[9]

2022年9月15日14時00分、昼食を済ませていないことを心配した三男の三遊亭窓輝が自室で眠るように倒れていた圓窓を発見[9]心不全のため死去した[8][11]。81歳没。親族による通夜・葬儀の後、訃報は落語協会から18日に配信された。

2021年に兄弟弟子の三遊亭圓龍(8月20日)、川柳川柳(11月17日)、三遊亭圓丈(11月30日)が死去したことに伴い、六代目圓生門下最後の存命者となった。また、2022年2月9日には春風亭栄枝が亡くなったことで、八代目柳枝門下としても最後の存命者となっていた。

朝日新聞10月10日付「声」に読者投稿による追悼文が掲載され[12]、演芸専門誌「東京かわら版」11月号に追悼記事が掲載された[13]

人物

[編集]

釜泥』をはじめとする古典落語で知られるが、パソコンを利用した通信落語や、民話を題材とした創作落語を行うなど、活動の幅は非常に広い。晩年は各地の小学校を訪問して、落語を実演していた。2000年には、自ら口演した古典落語の『ぞろぞろ』が、小学4年生の教科書に掲載された。

一時期、青山学院大学落語研究会の顧問を務めていたことがあり、吉生(当時)が兄弟子・五代目圓楽の鞄持ちを同会会員から募って選ばれた一人が、当時同大学の1年生であった後の六代目円楽こと會泰通である。その後、會は大学卒業後五代目圓楽の弟子となる。

七代目圓生襲名問題に名乗りを上げたが、最終的には六代目圓生の長男に「止め名」として預ける形となった。

趣味はバイク。長年に渡り、名古屋市に本社を置く「富士コーヒー」のラジオCMに出演する他、同社の広報誌にも小噺コーナーを設けていた。

晩年、落語教室の生徒とともに作成した高座台本を文学フリマにブースを出して販売していた。

同年代で同じバイク好きということもあって、十代目柳家小三治と私生活でも交友があった。小三治の細君の著書でたびたび名前が挙がっている。

芸歴

[編集]

役職

[編集]
  • 1979年 - 落語協会理事に就任。
  • 2006年 - 理事を退任し、相談役に就任。

一門弟子

[編集]

移籍

[編集]

廃業

[編集]

著書

[編集]

テレビ出演

[編集]

ソフト

[編集]

CD

[編集]
  • 『特選落語名人寄席 21 三遊亭圓窓 締込み子別れ』(2007年4月キングレコード
  • 『特選落語名人寄席 22 三遊亭圓窓 甲府い、あくび指南』(2007年4月、キングレコード)
  • 『特選落語名人寄席 23 三遊亭圓窓 ねずみ、くしゃみ講釈』(2007年4月、キングレコード)
  • 『特選落語名人寄席 24 三遊亭圓窓 火事息子』(2007年4月、キングレコード)
  • 『特選落語名人寄席 25 三遊亭圓窓 さじ加減』(2007年4月、キングレコード)
  • 『特選落語名人寄席 26 三遊亭圓窓 唐茄子屋政談』(2007年4月、キングレコード)
  • 『昭和の名人~キング古典落語名演集 六代目 三遊亭圓窓 一 - 明烏/ほうじの茶』(2009年3月、キングレコード)
  • 『昭和の名人~キング古典落語名演集 六代目 三遊亭圓窓 二 - ねずみ/くしゃみ講釈』(2009年3月、キングレコード)
  • 『昭和の名人~キング古典落語名演集 六代目 三遊亭圓窓 三 - 唐茄子屋政談』(2009年3月、キングレコード)
  • 『昭和の名人~キング古典落語名演集 六代目 三遊亭圓窓 四 - 子別れ宮戸川』(2009年3月、キングレコード)
  • 『昭和の名人~キング古典落語名演集 六代目 三遊亭圓窓 五 - 武助馬/百川』(2009年3月、キングレコード)
  • 『昭和の名人~キング古典落語名演集 六代目 三遊亭圓窓 六 - 普段の袴/さじ加減』(2009年3月、キングレコード)
  • 『昭和の名人~キング古典落語名演集 六代目 三遊亭圓窓 七 - 締め込み/甲府い』(2009年3月、キングレコード)
  • 『昭和の名人~キング古典落語名演集 六代目 三遊亭圓窓 八 - あくび指南/三人無筆』(2009年3月、キングレコード)
  • 『昭和の名人~キング古典落語名演集 六代目 三遊亭圓窓 九- 火事息子/位牌屋』(2009年3月、キングレコード)
  • 『朝日名人会ライヴシリーズ26 三遊亭圓窓1 - 鬼の涙/尻餅』(2004年6月、ソニーミュージックダイレクト
  • 『朝日名人会ライヴシリーズ52 三遊亭圓窓2 - 鼓が滝/写経猿』(2008年7月、ソニーミュージックダイレクト)
  • 『朝日名人会ライヴシリーズ79 三遊亭圓窓3 - 叩き蟹/甲府い』(2012年6月、ソニーミュージックダイレクト)

オムニバス・企画

  • 『江戸の若旦那 - 明烏』(1993年12月、キングレコード)
  • 『江戸の盗っ人 - 穴どろ』(1993年12月、キングレコード)
  • 談志が選んだ艶噺し(4)- 尻餅』(2000年10月、日本コロムビア
  • 『落語笑事典(13) 親子噺 子別れ/明烏 』(2003年12月、キングレコード)
  • 『はじめての落語 - 寿限無、十徳、子ほめ』(2010年11月、来福レーベル
  • 『東西名人揃いぶみ 第四巻 - 武助馬』(2010年11月、ポニーキャニオン)
  • 『東西落語名人会 vol.1 - 甲府い』(クライムエンターテインメント)

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 三遊亭圓窓さんが死去 81歳、心不全 70年から7年間「笑点」メンバー務める”. 日刊スポーツ (2022年9月18日). 2022年9月18日閲覧。
  2. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.545
  3. ^ 三遊亭圓窓さんが死去 81歳、心不全 70年から7年間「笑点」メンバー務める”. 日刊スポーツ (2022年9月18日). 2022年9月18日閲覧。
  4. ^ a b c ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』124ページ
  5. ^ 圓窓五百噺を聴く会 宣言!”. 圓窓落語大百科事典. 圓窓系定例落語会. 三遊亭円窓. 2021年4月1日閲覧。
  6. ^ 次回(最終回)(168回)の『圓窓五百噺を聴く会』案内”. 三遊亭圓窓落語大百科事典. 三遊亭圓窓 (2001年2月16日). 2021年4月1日閲覧。
  7. ^ さらば「鈴本演芸場」”. 圓窓落語大百科事典. 三遊亭円窓 (2003年8月9日). 2021年4月1日閲覧。
  8. ^ a b 三遊亭圓窓 訃報”. 落語協会 (2022年9月18日). 2022年9月18日閲覧。
  9. ^ a b c 三遊亭円窓さん、自宅で亡くなる 81歳 埋もれた噺を発掘 70年代の笑点メンバー”. スポーツ報知 (2022年9月19日). 2022年9月19日閲覧。
  10. ^ 浅草演芸ホール - Twitter 2022年7月26日
  11. ^ 三遊亭圓窓さんが死去 81歳、心不全 70年から7年間「笑点」メンバー務める」『日刊スポーツ』2022年9月18日。2022年9月18日閲覧。
  12. ^ 赤星文明 (2022年10月10日). “(声)三遊亭円窓さんの残したもの”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/articles/DA3S15440800.html 
  13. ^ 『東京かわら版 2022年11月号』東京かわら版、2022年10月28日、18-19頁。ISBN 9784910085272 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]