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松浦敏夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松浦 敏夫
名前
カタカナ マツウラ トシオ
ラテン文字 MATSUURA Toshio
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1955-11-20) 1955年11月20日(69歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 190cm
体重 80kg
選手情報
ポジション FW
ユース
1971-1973 日本の旗 横浜緑ケ丘高校
1974-1977 日本の旗 早稲田大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1978-1991 日本の旗 日本鋼管
代表歴
1981-1987 日本の旗 日本 22 (6)
監督歴
1992-1993 日本の旗 NKK
1. 国内リーグ戦に限る。2016年2月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

松浦 敏夫(まつうら としお、1955年11月20日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

略歴

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1980年代の日本において突出した190cm・80kgの恵まれた体躯と俊足を兼ね備えたストライカー。長身を活かしたヘディングだけでなく、ポストプレーや両サイドへ流れてのチャンスメイクやアシスト役も務めていた。

神奈川県立横浜緑ケ丘高校早稲田大学(同期に西野朗)を経て、1978年に日本サッカーリーグ1部の日本鋼管に入部。チームの先輩・藤島信雄と共に中心選手として活躍、1980年代前半にはJSL2部降格も味わったが、1部復帰後は2シーズン連続得点王 (1986-87, 1987-88) の活躍を見せ、中堅チームである日本鋼管の3シーズン連続準優勝に貢献した。

日本代表では1981年のジャパンカップで代表デビューを飾り、1987年のソウル五輪アジア予選を始め国際Aマッチ22試合出場6得点を記録した。しかし日本代表では同じポジションに「アジアの核弾頭」の異名で呼ばれた原博実(大学の3年後輩)がおり、レギュラー定着には至らなかった。

1991年に現役引退し、同サッカー部の監督を務めていたが、1993年限りで廃部となった為、監督職を退いている。

2015年4月時点でJFE建材の取締役を務めている[1]。また、Jリーグのマッチコミッショナーを長年務め、委員長にも選任された[1][2][3]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1978 鋼管 8 JSL1部 18 3
1979 9 18 6 1 0 2 0 21 6
1980 JSL2部 5 4 3 - 8
1981 14 0 0 5 3 17
1982 JSL1部 18 2 3 2 2 2 23 6
1983 JSL2部 16 18 4 6 4 3 24 27
1984 JSL1部 18 8 0 0 1 0 19 8
1985 21 10 2 1 3 2 26 13
1986-87 22 14 2 1 5 7 29 22
1987-88 21 11 5 6 2 0 28 17
1988-89 NKK 22 4 1 0 1 0 24 4
1989-90 19 8 1 0 2 0 22 8
1990-91 16 2 0 0 2 1 18 3
通算 日本 JSL1部 193 68
日本 JSL2部 37 8 9
総通算 105

JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 4回出場(1979年、1986年、1987年、1988年)

・JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 2得点(1986年、1988年)


その他の公式戦

個人タイトル

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  • JSL得点王(ゴールデンボール賞)2回 (1986-87, 1987-88)
  • 年間優秀11人賞 2回 (1986-87, 1987-88)

代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 22試合 6得点 (1981-1987)


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1981 4 1 10 1 14 2
1982 2 0 5 0 7 0
1983 5 0 9 1 14 1
1984 1 0 3 3 4 3
1985 0 0 0 0 0 0
1986 3 1 4 0 7 1
1987 7 4 7 3 14 7
通算 22 6 38 8 60 14

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1981年06月02日 日本の旗埼玉県 さいたま市大宮公園サッカー場  中華人民共和国 △0-0 森孝慈 ジャパンカップ
2. 1981年06月21日 大韓民国の旗釜山  韓国 ●0-2 韓国大統領杯
3. 1981年09月03日 マレーシアの旗クアラルンプール  インド ○3-2 ムルデカ大会
4. 1981年09月14日 マレーシアの旗クアラルンプール  インドネシア ○2-0 ムルデカ大会
5. 1982年03月21日 大韓民国の旗ソウル  韓国 ●0-3 日韓定期戦
6. 1982年07月15日 ルーマニアの旗スチャバ  ルーマニア ●0-4 国際親善試合
7. 1983年02月12日 シリアの旗ダマスカス  シリア △2-2 国際親善試合
8. 1983年02月25日 カタールの旗ドーハ  カタール ●0-1 国際親善試合
9. 1983年03月06日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  韓国 △1-1 日韓定期戦
10. 1983年09月07日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  フィリピン ○10-1 オリンピック予選
11. 1983年09月20日 チャイニーズタイペイの旗台北  チャイニーズタイペイ △1-1 オリンピック予選
12. 1984年04月21日 シンガポールの旗シンガポール  イラク ●1-2 オリンピック予選
13. 1986年07月25日 マレーシアの旗クアラルンプール  シリア ○2-1 石井義信 ムルデカ大会
14. 1986年09月20日 大韓民国の旗大田  ネパール ○5-0 アジア大会
15. 1986年09月24日 大韓民国の旗大田  クウェート ●0-2 アジア大会
16. 1987年05月27日 日本の旗広島県 広島県総合グランドメインスタジアム  セネガル △2-2 キリンカップ
17. 1987年06月14日 シンガポールの旗シンガポール  シンガポール ○1-0 オリンピック予選
18. 1987年06月26日 インドネシアの旗インドネシア  インドネシア ○2-1 オリンピック予選
19. 1987年09月02日 タイ王国の旗バンコク  タイ △0-0 オリンピック予選
20. 1987年09月15日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ネパール ○5-0 オリンピック予選
21. 1987年09月18日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ネパール ○9-0 オリンピック予選
22. 1987年09月26日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  タイ ○1-0 オリンピック予選

得点数

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# 年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 1981年9月14日 マレーシアクアラルンプール インドネシアの旗 インドネシア 2-0 勝利 ムルデカ大会
2 1986年7月25日 シリアの旗 シリア 2-1 勝利
3 1987年9月15日 日本東京 ネパールの旗 ネパール 5-0 勝利 ソウル五輪予選
4 1987年9月18日 9-0 勝利
5 勝利
6 勝利

監督成績

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年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 リーグ杯 天皇杯
1992 旧JFL1部 NKK 10位 18 11 2 5 11 - 1回戦
1993 旧JFL2部 3位 18 - 14 - 4 - 1回戦

脚注

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  1. ^ a b c d e 「(青春スクロール 母校群像記)横浜緑ケ丘高校:6 スポーツに熱中、これからも一線で」朝日新聞、2015年4月10日、2016年2月16日閲覧
  2. ^ 2022Jリーグマッチコミッショナー決定
  3. ^ 専門委員会 委員選任について

外部リンク

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