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嶋錦博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嶋錦 博
基礎情報
四股名 大ノ嶋→嶋錦
本名 大嶋 博
生年月日 1928年9月26日
没年月日 (2003-07-18) 2003年7月18日(74歳没)
出身 大阪府大阪市浪速区
身長 174cm
体重 135kg
BMI 44.59
所属部屋 高砂部屋(入門時は芝田山部屋
得意技 左四つ、寄り、吊り
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭筆頭
生涯戦歴 341勝381敗1分17休 (58場所)
幕内戦歴 212勝247敗1分5休 (31場所)
データ
初土俵 1943年5月場所
入幕 1952年9月場所
引退 1960年3月場所
引退後 年寄・陣幕→年寄・八角
備考
2013年8月23日現在

嶋錦 博(しまにしき ひろし、1928年9月26日 - 2003年7月18日)は、大阪府大阪市浪速区出身で高砂部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した大相撲力士。本名は大嶋 博(おおしま ひろし)。最高位は西前頭筆頭(1957年9月場所)。現役時代の体格は174cm、135kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。

来歴

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1943年に上京し、元横綱宮城山が率いる芝田山部屋へ入門。同年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。しかし、翌年11月場所で番付四股名が載るまでに3場所も前相撲を取るなど、当初は苦戦した。

序ノ口に付いた時の名は、本名に因んだ「大ノ嶋」で、改名後の「嶋錦」も本名に因んだものである。

入門した年の11月に師匠(元宮城山)が亡くなった事に伴って芝田山部屋は閉鎖され、翌年早々、旧芝田山部屋の全力士は高田川部屋(師匠は元関脇・早瀬川)へ移籍した。

高田川親方も間も無く死去し、それにより大ノ嶋ら、同部屋の力士達は高砂部屋が引き取っている。

その後は恵まれた体格を生かして順調に出世し、1951年1月場所で新十両に昇進。翌年9月場所では新入幕を果たし、以来、左四つからの鋭い吊り寄りを武器に長く幕内の土俵で活躍した。

だが、幕内では1954年1月場所での12勝を最高に5度も二桁勝利(10勝以上)を記録しながら、1度も三賞を受賞できなかったのは不運であった。明快さと淡白さを併せ持った力士であったが、その淡白な性格が裏目に出たともいえる。

現役晩年は幕下2枚目まで番付を落とし、1960年3月場所後、ご当所でもある大阪の地で引退を表明した。

引退後は、高砂部屋付きの年寄・陣幕として後輩達を指導し、また長く勝負審判も務めた。後に同じ高砂一門の九重部屋へ移籍し、千代の富士保志(後の北勝海)らを鍛えつつ、停年を迎えるまで相撲協会に在籍した。

なお、1991年5月から停年退職までは、年寄・八角を襲名していた。停年退職と同時に、北勝海に八角の名跡を譲渡している。

2003年7月18日、急性肝不全のため東京都青梅市内の病院で逝去。享年74。

主な戦績

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  • 通算成績:341勝381敗1分17休 勝率.472
  • 幕内成績:212勝247敗1分5休 勝率.462
  • 現役在位:58場所
  • 幕内在位:31場所

場所別成績

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嶋錦 博
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1943年
(昭和18年)
x x (前相撲) x x x
1944年
(昭和19年)
(前相撲) x (前相撲) x x 東序ノ口11枚目
1–4 
1945年
(昭和20年)
x x 西序二段33枚目
2–3 
x x 西序二段12枚目
0–5 
1946年
(昭和21年)
x x x x x 東序二段21枚目
4–3 
1947年
(昭和22年)
x x 東序二段12枚目
3–2 
x x 東三段目20枚目
0–6 
1948年
(昭和23年)
x x 西序二段12枚目
4–2 
x 東三段目21枚目
4–2 
x
1949年
(昭和24年)
東三段目10枚目
7–5 
x 西幕下22枚目
9–6 
x 東幕下14枚目
8–7 
x
1950年
(昭和25年)
東幕下12枚目
6–9 
x 東幕下15枚目
9–6 
x 西幕下9枚目
11–4 
x
1951年
(昭和26年)
西十両15枚目
8–7 
x 西十両12枚目
7–8 
x 西十両13枚目
9–6 
x
1952年
(昭和27年)
東十両10枚目
10–5 
x 西十両4枚目
10–5 
x 西前頭18枚目
8–7 
x
1953年
(昭和28年)
西前頭14枚目
9–6 
西前頭10枚目
6–9 
東前頭14枚目
10–5 
x 西前頭9枚目
3–12 
x
1954年
(昭和29年)
東前頭16枚目
12–3 
東前頭8枚目
7–8 
東前頭9枚目
9–6 
x 西前頭5枚目
3–12 
x
1955年
(昭和30年)
西前頭13枚目
9–6 
西前頭8枚目
8–7 
西前頭5枚目
4–11 
x 東前頭10枚目
4–11 
x
1956年
(昭和31年)
西前頭15枚目
8–7 
西前頭11枚目
8–7 
東前頭10枚目
7–8 
x 西前頭12枚目
8–7 
x
1957年
(昭和32年)
西前頭11枚目
11–4 
西前頭2枚目
3–12 
東前頭7枚目
10–5 
x 西前頭筆頭
0–10–5[1] 
東前頭11枚目
9–6 
1958年
(昭和33年)
東前頭5枚目
4–11 
西前頭11枚目
8–7 
東前頭10枚目
6–8
(引分1)
 
東前頭13枚目
7–8 
東前頭14枚目
7–8 
西前頭15枚目
10–5 
1959年
(昭和34年)
東前頭9枚目
6–9 
東前頭12枚目
6–9 
東前頭15枚目
2–13 
東十両3枚目
4–11 
西十両7枚目
4–11 
西十両11枚目
7–8 
1960年
(昭和35年)
西十両12枚目
2–9–4 
東幕下2枚目
引退
0–0–8
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
愛知山 2 1 青ノ里 0 2 天津灘 1 0 安念山 1 5
泉洋 4 5 五ッ洋 0 1 大岩山 1 1 大内山 3 6
大瀬川 4 1 大起 2 5 大昇 3 2 大晃 9 6
小城ノ花 4 2 小野錦 2 0 大蛇潟 2 5 海山 10 4(1)
甲斐ノ山 1 1 鏡里 0 4 柏戸 0 1 金ノ花 0 2
神生山 3 0 神錦 4 3 芳ノ里(神若) 1 0 起雲山 0 1
北ノ洋 4 4 北葉山 0 2 清恵波 8 2 鬼竜川 2 3
九州錦 2 0 鯉の勢 3 3 小坂川 1 0 琴ヶ濱 1 1
琴錦 3 3 櫻國 1 1 潮錦 9 8 信夫山 6 4
清水川 4 6 大龍 0 1 楯甲 0 1 玉乃海 0 6
玉響 0 1 千代の山 0 4 常錦 2 3※ 常ノ山 5 5
鶴ヶ嶺 4 6 輝昇 3 2 出羽錦 2 7 出羽ノ花 3 2
出羽湊 6(1) 2 時津山 3 6 時錦 6 6 栃錦 0 5
栃光 1 4 豊ノ海 1 0 豊登 1 0 名寄岩 1 1
鳴門海 8 5 成山 4 7 白龍山 0 2 羽嶋山 3 7
羽子錦(雷虎山) 2 2 緋縅 2 1 備州山 0 2 秀湊 1 0
平鹿川 3 1 広瀬川 6 4 福田山 1 1 福ノ海(福乃海) 4 0
福乃里 2 1 二瀬山 2 1 双ツ龍 5 11 星甲(星兜) 6 3
三根山 2 3 八染 3 3 豊山 1 0 吉井山 4 2
吉田川 2 1 芳野嶺 1 2 吉葉山 0 2 若杉山 0 2
若瀬川 3 8 若ノ海 2 5 若乃花(初代) 0 2 若羽黒 0 3
若葉山 6 8 若三杉 0 1
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

※他に常錦と痛分が1つある。

改名歴

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  • 大ノ嶋(おおのしま、1944年11月場所-1945年11月場所)
  • 嶋錦(しまにしき、1946年11月場所-1960年3月場所)

年寄変遷

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  • 陣幕(じんまく、1960年3月-1991年5月)
  • 八角(はっかく、1991年5月-1993年9月)

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 右足首関節捻挫により10日目から途中休場