常ノ山勝正
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基礎情報 | ||||
四股名 | 常ノ山 勝正 | |||
本名 | 橋本 正(旧姓は石川) | |||
生年月日 | 1925年2月9日 | |||
没年月日 | 1987年4月29日(62歳没) | |||
出身 | 岡山県児島郡小田村(現在の倉敷市) | |||
身長 | 175cm | |||
体重 | 98kg | |||
BMI | 32.00 | |||
所属部屋 | 出羽海部屋 | |||
得意技 | 左四つ、下手投げ、内掛け | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭2枚目 | |||
生涯戦歴 | 266勝269敗15休(47場所) | |||
幕内戦歴 | 184勝205敗15休(27場所) | |||
賞 | 技能賞2回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1940年1月場所 | |||
入幕 | 1949年5月場所 | |||
引退 | 1957年3月場所 | |||
備考 | ||||
2013年8月25日現在 |
常ノ山 勝正(つねのやま かつまさ、1925年2月9日 - 1987年4月29日)は、岡山県児島郡小田村(現在の倉敷市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は橋本 正(はしもと ただし、旧姓は石川(いしかわ))。最高位は東前頭2枚目 (1952年5月場所)。現役時代の体格は175cm、98kg。得意手は左四つ、下手投げ、内掛けなど。
来歴・人物
[編集]実家は農家で、14歳の時に同郷の藤島親方(元横綱・常ノ花、後の出羽海親方)を慕って、出羽海部屋への入門を願った。だが、体重不足により新弟子検査で合格できず、1939年暮れの検査で飯を腹一杯に詰め、廻しに鉛を入れた上に水をたらふく飲んでようやく合格した。
当初の四股名は、本名でもある「石川」だったが、1944年5月より故郷に聳える山に因んだ「鷲羽山」に改名。その後、同郷の元・常ノ花(当時の藤島親方、1949年より出羽海部屋を継承)から2字を貰った「常ノ山」に四股名を改めた。取的時代は一門の大江戸と初っ切りを組んだことがある。
順調に出世し、1949年5月場所に於いて新入幕を果たし、同場所では11勝4敗と好成績を挙げた。小兵ではあったが下手投げをはじめ、内掛けや切り返し、時には蹴手繰りを見せるなど多彩な技を使って活躍し、技能賞を2回受賞した。1952年1月場所では、大内山を珍しい伝え反りで破ったこともある。
1957年3月場所限りで廃業後は大阪市内の日本橋地区で、ちゃんこ鍋店の「常の山」を経営、現在は遺族が経営を継いでいる。一時、前頭・2代目常の山の岳父だった。
1987年4月29日、消化管出血のため大阪市天王寺区内の病院で逝去。62歳没。
主な成績・記録
[編集]- 通算成績:266勝269敗15休 勝率.497
- 幕内成績:184勝205敗15休 勝率.473
- 現役在位:47場所
- 幕内在位:27場所
- 三賞:2回
- 技能賞:2回(1950年5月場所、1953年1月場所)
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1940年 (昭和15年) |
(前相撲) | x | (前相撲) | x | ||
1941年 (昭和16年) |
新序 2–1 |
x | 東序ノ口4枚目 5–3 |
x | ||
1942年 (昭和17年) |
西序二段23枚目 4–4 |
x | 東序二段13枚目 5–3 |
x | ||
1943年 (昭和18年) |
東三段目47枚目 5–3 |
x | 西三段目21枚目 6–2 |
x | ||
1944年 (昭和19年) |
西幕下40枚目 4–4 |
x | 東幕下34枚目 3–2 |
東幕下24枚目 2–3 |
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1945年 (昭和20年) |
x | x | x | 東幕下18枚目 4–1 |
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1946年 (昭和21年) |
x | x | x | 東幕下5枚目 3–4 |
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1947年 (昭和22年) |
x | x | 西幕下8枚目 3–2 |
西幕下2枚目 3–4 |
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1948年 (昭和23年) |
x | x | 東幕下2枚目 5–1 |
東十両10枚目 7–4 |
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1949年 (昭和24年) |
西十両4枚目 9–4 |
x | 東前頭20枚目 11–4 |
西前頭8枚目 8–7 |
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1950年 (昭和25年) |
東前頭5枚目 1–6–8[1] |
x | 東前頭14枚目 10–5 技 |
東前頭8枚目 6–9 |
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1951年 (昭和26年) |
西前頭10枚目 8–7 |
x | 東前頭9枚目 6–9 |
西前頭12枚目 9–6 |
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1952年 (昭和27年) |
東前頭6枚目 10–5 |
x | 東前頭2枚目 2–13 |
東前頭13枚目 7–8 |
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1953年 (昭和28年) |
西前頭13枚目 10–5 技 |
西前頭6枚目 5–10 |
西前頭10枚目 8–7 |
東前頭8枚目 7–8 |
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1954年 (昭和29年) |
西前頭9枚目 5–10 |
西前頭13枚目 7–8 |
東前頭14枚目 6–9 |
西前頭15枚目 7–8 |
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1955年 (昭和30年) |
東前頭16枚目 8–7 |
東前頭14枚目 5–10 |
西前頭17枚目 10–5 |
西前頭8枚目 6–9 |
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1956年 (昭和31年) |
東前頭11枚目 7–8 |
東前頭11枚目 7–6–2[2] |
東前頭12枚目 3–7–5[3] |
東前頭22枚目 5–10 |
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1957年 (昭和32年) |
西十両2枚目 5–10 |
西十両7枚目 引退 7–8–0 |
x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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愛知山 | 7 | 2 | 明瀬川 | 1 | 0 | 東海 | 2 | 0 | 東富士 | 0 | 1 |
安念山 | 0 | 2 | 泉洋 | 3 | 4 | 大岩山 | 5 | 1 | 大内山 | 3 | 3 |
大熊 | 1 | 0 | 大瀬川 | 3 | 2 | 大ノ海 | 1 | 3 | 大ノ浦 | 0 | 1 |
大昇 | 6 | 6 | 大蛇潟 | 6 | 9 | 甲斐錦 | 3 | 0 | 甲斐ノ山 | 4 | 0 |
鏡里 | 1 | 1 | 神生山 | 2 | 0 | 神錦 | 5 | 7 | 起雲山 | 1 | 0 |
北ノ洋 | 4 | 6(1) | 清恵波 | 8 | 12 | 鬼竜川 | 2 | 1 | 九州錦 | 6 | 2 |
国登 | 3 | 6 | 高津山 | 1(1) | 3 | 小坂川 | 3 | 0 | 琴ヶ濱 | 3 | 2 |
琴錦 | 1 | 9 | 櫻國 | 5 | 0 | 潮錦 | 5 | 7 | 嶋錦 | 5 | 5 |
清水川 | 3 | 5 | 大天龍 | 4 | 3(1) | 楯甲 | 1 | 0 | 玉ノ海 | 1 | 4 |
鶴ヶ嶺 | 2 | 3 | 輝昇 | 3 | 8 | 十勝岩 | 1 | 1 | 時津山 | 3 | 3 |
時錦 | 0 | 2 | 豊登 | 1 | 1 | 七ッ海 | 1 | 2 | 名寄岩 | 4 | 7 |
白龍山 | 3 | 0 | 羽黒山 | 0 | 1 | 緋縅 | 4 | 2 | 備州山 | 1 | 7(1) |
平鹿川 | 2 | 1 | 広瀬川 | 9 | 4 | 福ノ里 | 3 | 2 | 藤田山 | 1 | 1 |
二瀬山 | 4 | 9 | 双ツ龍 | 4 | 1 | 不動岩 | 4(1) | 2 | 星甲 | 0 | 1 |
松登 | 1 | 0 | 三根山 | 0 | 2 | 緑國 | 3 | 0 | 宮錦 | 0 | 3 |
豊山 | 0 | 1 | 吉田川 | 3 | 3 | 芳ノ里 | 0 | 1 | 芳野嶺 | 2 | 2 |
吉葉山 | 0 | 1 | 米川 | 1 | 3 | 力道山 | 0 | 1 | 若嵐 | 1 | 0 |
若瀬川 | 3 | 8 | 若ノ海 | 1 | 1 | 若ノ花 | 0 | 4 | 若羽黒 | 0 | 2 |
若葉山 | 5 | 5 | 若前田 | 2 | 1 |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
改名歴
[編集]- 石川(いしかわ)1941年5月場所 - 1944年1月場所
- 鷲羽山 正(わしゅうやま ただし)1944年5月場所 - 1948年5月場所
- 常ノ山 勝正(つねのやま かつまさ)1948年10月場所 - 1957年3月場所
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『山陽力士伝』(著者:世良正明、発行元:びんご出版、1995年)p26
- 『戦後新入幕力士物語 第1巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、1990年)