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常ノ山勝正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
常ノ山 勝正
基礎情報
四股名 常ノ山 勝正
本名 橋本 正(旧姓は石川)
生年月日 1925年2月9日
没年月日 (1987-04-29) 1987年4月29日(62歳没)
出身 岡山県児島郡小田村(現在の倉敷市
身長 175cm
体重 98kg
BMI 32.00
所属部屋 出羽海部屋
得意技 左四つ、下手投げ、内掛け
成績
現在の番付 引退
最高位前頭2枚目
生涯戦歴 266勝269敗15休(47場所)
幕内戦歴 184勝205敗15休(27場所)
技能賞2回
データ
初土俵 1940年1月場所
入幕 1949年5月場所
引退 1957年3月場所
備考
2013年8月25日現在

常ノ山 勝正(つねのやま かつまさ、1925年2月9日 - 1987年4月29日)は、岡山県児島郡小田村(現在の倉敷市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は橋本 正(はしもと ただし、旧姓は石川(いしかわ))。最高位は東前頭2枚目 (1952年5月場所)。現役時代の体格は175cm、98kg。得意手は左四つ、下手投げ内掛けなど。

年寄・10代出羽海(元関脇鷲羽山)の義理の叔父。

来歴・人物

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実家は農家で、14歳の時に同郷の藤島親方(元横綱・常ノ花、後の出羽海親方)を慕って、出羽海部屋への入門を願った。だが、体重不足により新弟子検査で合格できず、1939年暮れの検査で飯を腹一杯に詰め、廻しに鉛を入れた上に水をたらふく飲んでようやく合格した。

当初の四股名は、本名でもある「石川」だったが、1944年5月より故郷に聳える山に因んだ「鷲羽山」に改名。その後、同郷の元・常ノ花(当時の藤島親方、1949年より出羽海部屋を継承)から2字を貰った「常ノ山」に四股名を改めた。取的時代は一門の大江戸初っ切りを組んだことがある。

順調に出世し、1949年5月場所に於いて新入幕を果たし、同場所では11勝4敗と好成績を挙げた。小兵ではあったが下手投げをはじめ、内掛け切り返し、時には蹴手繰りを見せるなど多彩な技を使って活躍し、技能賞を2回受賞した。1952年1月場所では、大内山を珍しい伝え反りで破ったこともある。

1957年3月場所限りで廃業後は大阪市内の日本橋地区で、ちゃんこ鍋店の「常の山」を経営、現在は遺族が経営を継いでいる。一時、前頭・2代目常の山の岳父だった。

1987年4月29日、消化管出血のため大阪市天王寺区内の病院で逝去。62歳没。

主な成績・記録

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  • 通算成績:266勝269敗15休 勝率.497
  • 幕内成績:184勝205敗15休 勝率.473
  • 現役在位:47場所
  • 幕内在位:27場所
  • 三賞:2回
    • 技能賞:2回(1950年5月場所、1953年1月場所)

場所別成績

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常ノ山 勝正
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1940年
(昭和15年)
(前相撲) x (前相撲) x
1941年
(昭和16年)
新序
2–1 
x 東序ノ口4枚目
5–3 
x
1942年
(昭和17年)
西序二段23枚目
4–4 
x 東序二段13枚目
5–3 
x
1943年
(昭和18年)
東三段目47枚目
5–3 
x 西三段目21枚目
6–2 
x
1944年
(昭和19年)
西幕下40枚目
4–4 
x 東幕下34枚目
3–2 
東幕下24枚目
2–3 
1945年
(昭和20年)
x x x 東幕下18枚目
4–1 
1946年
(昭和21年)
x x x 東幕下5枚目
3–4 
1947年
(昭和22年)
x x 西幕下8枚目
3–2 
西幕下2枚目
3–4 
1948年
(昭和23年)
x x 東幕下2枚目
5–1 
東十両10枚目
7–4 
1949年
(昭和24年)
西十両4枚目
9–4 
x 東前頭20枚目
11–4 
西前頭8枚目
8–7 
1950年
(昭和25年)
東前頭5枚目
1–6–8[1] 
x 東前頭14枚目
10–5
東前頭8枚目
6–9 
1951年
(昭和26年)
西前頭10枚目
8–7 
x 東前頭9枚目
6–9 
西前頭12枚目
9–6 
1952年
(昭和27年)
東前頭6枚目
10–5 
x 東前頭2枚目
2–13 
東前頭13枚目
7–8 
1953年
(昭和28年)
西前頭13枚目
10–5
西前頭6枚目
5–10 
西前頭10枚目
8–7 
東前頭8枚目
7–8 
1954年
(昭和29年)
西前頭9枚目
5–10 
西前頭13枚目
7–8 
東前頭14枚目
6–9 
西前頭15枚目
7–8 
1955年
(昭和30年)
東前頭16枚目
8–7 
東前頭14枚目
5–10 
西前頭17枚目
10–5 
西前頭8枚目
6–9 
1956年
(昭和31年)
東前頭11枚目
7–8 
東前頭11枚目
7–6–2[2] 
東前頭12枚目
3–7–5[3] 
東前頭22枚目
5–10 
1957年
(昭和32年)
西十両2枚目
5–10 
西十両7枚目
引退
7–8–0
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
愛知山 7 2 明瀬川 1 0 東海 2 0 東富士 0 1
安念山 0 2 泉洋 3 4 大岩山 5 1 大内山 3 3
大熊 1 0 大瀬川 3 2 大ノ海 1 3 大ノ浦 0 1
大昇 6 6 大蛇潟 6 9 甲斐錦 3 0 甲斐ノ山 4 0
鏡里 1 1 神生山 2 0 神錦 5 7 起雲山 1 0
北ノ洋 4 6(1) 清恵波 8 12 鬼竜川 2 1 九州錦 6 2
国登 3 6 高津山 1(1) 3 小坂川 3 0 琴ヶ濱 3 2
琴錦 1 9 櫻國 5 0 潮錦 5 7 嶋錦 5 5
清水川 3 5 大天龍 4 3(1) 楯甲 1 0 玉ノ海 1 4
鶴ヶ嶺 2 3 輝昇 3 8 十勝岩 1 1 時津山 3 3
時錦 0 2 豊登 1 1 七ッ海 1 2 名寄岩 4 7
白龍山 3 0 羽黒山 0 1 緋縅 4 2 備州山 1 7(1)
平鹿川 2 1 広瀬川 9 4 福ノ里 3 2 藤田山 1 1
二瀬山 4 9 双ツ龍 4 1 不動岩 4(1) 2 星甲 0 1
松登 1 0 三根山 0 2 緑國 3 0 宮錦 0 3
豊山 0 1 吉田川 3 3 芳ノ里 0 1 芳野嶺 2 2
吉葉山 0 1 米川 1 3 力道山 0 1 若嵐 1 0
若瀬川 3 8 若ノ海 1 1 若ノ花 0 4 若羽黒 0 2
若葉山 5 5 若前田 2 1
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

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  • 石川(いしかわ)1941年5月場所 - 1944年1月場所
  • 鷲羽山 正(わしゅうやま ただし)1944年5月場所 - 1948年5月場所
  • 常ノ山 勝正(つねのやま かつまさ)1948年10月場所 - 1957年3月場所

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 左肘関節脱臼により2日目から途中休場、12日目から再出場
  2. ^ 左腰部捻挫により13日目から途中休場
  3. ^ 右足化膿により10日目から途中休場

参考文献

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