島津修久
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島津 修久 | |
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生誕 |
1938年2月6日(86歳) 日本 東京府東京市品川区 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 中央大学法学部法律学科 |
職業 |
島津興業代表取締役会長 鶴嶺神社宮司 照国神社宮司 平松神社宮司 |
配偶者 | 島津伊津子(西郷隆一の長女) |
子供 | 島津忠裕 |
親 |
島津忠秀(父) 野口昭子(母) |
島津 修久(しまづ のぶひさ、1938年(昭和13年)2月6日[1] - )は、島津氏第32代当主。島津義弘から数えて15代目にあたる。株式会社島津興業代表取締役会長[2]。 島津顕彰会会長。鶴嶺神社宮司[3]。照国神社宮司[2]。平松神社宮司。社団法人茶道裏千家淡交会鹿児島名誉支部長[4]。薩摩古武道影之流顧問。元鹿児島経済同友会代表幹事[2][5]。元鹿児島県公安委員(長)[2]。元西郷南洲顕彰会会長[3]。元薩摩琵琶同好会会長[3]。
経歴
[編集]島津氏第31代当主・島津忠秀の次男(兄の忠敬は早世)として、東京府(現在の東京都品川区)に生まれる[6]。公爵島津久光の玄孫にあたる。母は近衛文麿の長女・昭子(野口昭子)。学習院初等科を経て1956年(昭和31年)、学習院高等科卒業、一浪ののち、中央大学法学部法律学科入学[2]。中央大学卒業後も司法試験の勉強を続けたが、1965年(昭和40年)に島津興業でアルバイトを始め、28歳の時、同社に入社した[2][7]。1990年に同社社長、2001年に会長、1993年からは照国神社の宮司も務める[2]。
人物
[編集]- 修久は吉良義央の万昌院での12月14日の法要に参加すると共に、鹿児島の島津家別邸・仙巌園(世界文化遺産)にある供養施設(観音岩)でも翌日に供養儀式を行なっている(慰霊式は神道)[8]。
- 2014年から民のために治水に尽くした者を「義士」として顕彰する「薩摩義士顕彰会」の会長を務めている[9]。薩摩藩家老・平田正輔らを「薩摩義士」として祀る平田公園の薩摩義士頌徳の慰霊祭には、岐阜県・愛知県など木曽三川の関係自治体も参加している[10]。
系譜
[編集]- 妻の伊津子は西郷隆盛の曾孫(午次郎の長男隆一の長女)で、1967年(昭和42年)12月に結婚した[11]。結婚式の仲人は大久保利通の嫡孫・利謙が務めた[11]。長男は島津忠裕。
- 第125代天皇明仁、徳川宗家第18代当主の徳川恒孝ははとこ、細川護煕元首相、近衛家現当主の近衞忠煇、俳優の東隆明はいとこにあたる。
- 身体教育研究所所長・野口裕之は異父弟にあたる。
島津修久 | 父: 島津忠秀 |
祖父: 島津忠重 |
曾祖父: 島津忠義 |
曾祖母: 山崎寿満子 | |||
祖母: 島津伊楚子 |
曾祖父: 徳大寺実則 | ||
曾祖母: 勝田八重子 | |||
母: 野口昭子 |
祖父: 近衛文麿 |
曾祖父: 近衛篤麿 | |
曾祖母: 近衛衍子 | |||
祖母: 近衛千代子 |
曾祖父: 毛利高範 | ||
曾祖母: 毛利賢子 |
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)し92頁
- ^ a b c d e f g 薩摩の殿,11p - 13p
- ^ a b c “島津宗家第三十二代当主が語る! 『薩摩の心』”. 公開講座.jp (2009年10月6日). 2014年2月16日閲覧。
- ^ “裏千家ホームページ 鹿児島支部創立75周年記念大会”. 2024年9月22日閲覧。
- ^ “地域アドバイザリーボード(鹿児島県)を開催” (PDF). 日本政策投資銀行 (2007年4月). 2020年4月21日閲覧。
- ^ 「大坂方の薩摩落ち伝説について」 学習院生涯学習センター
- ^ 中等科・高等科桜友会
- ^ 「吉良上野介を慰霊 島津家当主ら菩提弔う」(「毎日新聞」2017/12/16 地方版)など
- ^ 「宝暦治水二六〇年特別号KISSO」第一章第八節8項(国土交通省・澁谷慎一)
- ^ 「薩摩義士しのび慰霊祭 鹿児島市・平田公園」(「南日本新聞」2021/5/25)
- ^ a b 薩摩の殿,10p
参考文献
[編集]- 朝日新聞鹿児島総局 編『薩摩の殿』南方新社、2008年。ISBN 9784861241437。