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中央大学法学部

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中央大学茗荷谷キャンパス(2023年)

中央大学法学部(ちゅうおうだいがくほうがくぶ)は、中央大学に設置されている学部の一つ。中央大学大学院法学研究科(ちゅうおうだいがくだいがくいん ほうがくけんきゅうか)は同大学大学院に設置されている研究科の一つ。2023年度より文京区茗荷谷キャンパスに移転した(法学部通信教育課程を除く)。

英吉利(イギリス)法律学校を源流とする中央大学の学部・研究科であり、同大を代表する看板学部である[1]。これまで法曹界、官界、財界、ジャーナリズム界をはじめとして、幅広い分野に数多くの人材を輩出してきた。 ロースクール(法科大学院)大学院法務研究科であり、法曹教育において一貫教育プログラムを行っている。

概要

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英吉利法律学校(1889年)

中央大学法学部・法学研究科は、英吉利法律学校を源流とし、135年の歴史を持つ。法学部は3学科(法律学科、政治学科、国際企業関係法学科)を有し、在籍学生数は、6172名(2016年4月現在)。また、通信教育課程を持つ[2]

法科の中央(中央の法科とも)と呼ばれる。旧司法試験においては、1951年から1970年の20年間、東京大学を抑え大学別合格者数で首位を保っていた[3]

沿革

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錦町校舎(1915年)
駿河台校舎(1930年頃)
土方寧の講義(1938年頃)
多摩キャンパス正門
(2012年)

年表

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  • 1885年 神田錦町に英吉利法律学校を設立。初代校長増島六一郎[4]
  • 1886年 私立法律学校特別監督条規により、英吉利法律学校など五大法律学校が帝国大学特別監督下に入る。
  • 1888年 五大法律学校連合大討論会に参加[注 1]
  • 1889年 『法理精華』創刊(翌年発行禁止)。東京法学院と改称。
  • 1891年 『法学新報』創刊。
  • 1892年 第3回帝国議会で民法・商法施行延期法案可決。
  • 1893年 司法省から判事検事登用試験の指定校となる。
  • 1894年 第1回訴訟実習会(模擬裁判)を開催。
  • 1896年 高等法学科開設。
  • 1903年 東京法学院大学と改称。本科・予科・専門科・研究科を設置。初代学長菊池武夫[4]
  • 1909年 法学科、経済学科、商業学科を設置[4]
  • 1905年 中央大学と改称。
  • 1910年 新聞研究科を開設[注 2]
  • 1913年 本科を大学部、専門科を専門部、法律学科を法科と改称。
  • 1920年 中央大学法学部が成立[4]
  • 1926年 駿河台南甲賀町(現在の神田駿河台3丁目)に移転[4]
  • 1931年 夜間学部を開設[4]
  • 1940年 高文試験司法科で中央大学関係者が71名合格、初めて第1位となる[7]
  • 1944年 『法学新報』休刊(1947年復刊)。
  • 1948年 通信教育部(法)を開設[4]
  • 1949年 新制法学部(一部・二部)開設。
  • 1953年 旧制最後・新制最初の卒業式を挙行。
  • 1978年 中央大学多摩キャンパスに移転[4]
  • 1980年 駿河台キャンパス閉鎖。
  • 2004年 中央大学市ヶ谷キャンパスに中央大学大学院法務研究科を開設[4]
  • 2007年 法学部二部廃止。
  • 2018年 2023年から2024年にかけて全学年の都心キャンパス(後楽園キャンパス及び茗荷谷新校地)への移転を決定。
  • 2021年 2023年4月に法学部全学年の茗荷谷キャンパスへの移転、同時に新設する小石川キャンパスの法学部生と国際情報学部生の使用を決定。
  • 2023年 茗荷谷キャンパスに移転(通信教育部は除く)。

学科・専攻

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大学(学士課程)

  • 法学部
    • 法律学科
      • 法曹コース
      • 公共法務コース
      • 企業コース
    • 国際企業関係法学科
    • 政治学科
      • 公共政策コース
      • 地域創造コース
      • 国際政治コース
      • メディア政治コース
    • 通信教育課程(多摩キャンパス)

大学院(博士前期(修士)課程・博士後期課程)

学部長

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教職員

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研究室

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中央大学に属する団体ではないが、同大学法学部の卒業生と学生らが自主的に組織する「玉成会」「真法会」「正法会」「中桜会」などの法曹や国家公務員を目指す難関国家資格試験受験団体の「研究室」がある(2016年時点では11の研究室がある。2024年時点では学研連等14団体と表記)[8][9]。それぞれ、独自の運営方針に基づいて活動を行っている[8]

中央大学法学部は1960年代から70年代前半の間に司法試験合格者数3桁(最高で172人)を記録しているが、この高い合格率を産み出したのが「研究室」の存在だと考えられている[8]

しかしながら、1978年前後に大学キャンパスが東京都千代田区から八王子市へとキャンパスが移転したことで、卒業生の所属する法律事務所と八王子のキャンパスとの物理的な距離が問題となり、伝統でもあった「先輩が後輩の勉強の面倒をみる文化」も薄れ、これが司法試験の合格者数が大きく減ずることになった一因とされている[8]

進学実績

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  • 中央大学卒業生における法科大学院への進学先は多岐にわたる。2023年入学法科大学院合格者数(既修者コース)は慶應義塾大学法科大学院63名、早稲田大学法科大学院35名となっている[10]
年度 入学法科大学院合格者数(既修者コース)
2024年[11] 中央大学法科大学院79名、慶應義塾大学法科大学院49名、東京大学法科大学院34名、早稲田大学法科大学院20名、一橋大学法科大学院3名

著名な出身者

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大学概要2018-2019<第1版>”. 2018年7月12日閲覧。の情報に基づく。

法曹

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司法

検察

弁護士

法学者

政界

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官界

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財界

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学術界(法学者を除く)

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スポーツ

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文化(作家、タレント、マスメディア)・その他

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舞台となった作品や設定等

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 同討論会は1890年7月まで13回開催された[5]
  2. ^ 同科は7人の卒業生を出しただけで間もなく閉鎖された[6]

出典

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  1. ^ 酒井正三郎総長 「中央大学の「看板」 法学部が移転する3つの理由」 2017.11.24 07:00AERA#教育
  2. ^ 中央大学 法学部通信教育課程”. 中央大学 法学部通信教育課程. 2020年11月28日閲覧。
  3. ^ 「東大首位に返り咲く 司法試験の合格者中大抜き20年ぶり」朝日新聞 1971年10月2日付朝刊、第23面
  4. ^ a b c d e f g h i 「中央大学のあゆみ」 中央大学
  5. ^ 専修大学出版局 『専修大学百年史』 上巻、1981年、607-621頁
  6. ^ タイムトラベル中大125:1885→2010』 56-57頁
  7. ^ 『中央大学百年史』 通史編下巻、122頁
  8. ^ a b c d 鎌田倫子 (2016年5月29日). “中央・法学部「少人数授業」「卒業生のゼミ」「炎の塔」で復活”. AERA dot.. p. 1. 2023年7月15日閲覧。
  9. ^ 2024年度 学研連等14団体研究室新規入室相談会”. 中央大学 (2024年). 2024年11月22日閲覧。
  10. ^ 中央大学法職講座案内2023 p13
  11. ^ 中央大学法職講座案内2024「法律家になろう」p15

外部リンク

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