小笠原宗長
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時代 | 鎌倉時代後期 - 末期 |
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生誕 | 文永9年12月6日(1273年1月3日)[1] |
死没 | 元徳2年9月6日(1330年10月26日)[1] |
別名 | 豊松丸(幼名)、孫次郎(通称)、順長(号)[2][1] |
官位 | 従五位下、信濃守、治部大輔、右馬助(または左馬助)[2][1] |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 北条貞時 |
父母 | 父:小笠原長氏、母:伴野長房娘 |
兄弟 | 宗長、泰氏、矢田長綱、丸毛兼頼、山中政宗、常葉光宗、赤沢長興、津毛経氏 |
妻 | 中原経行娘[2][1]、赤沢政常娘[3] |
子 | 貞宗、貞長、宗隆、娘(武田氏信室) |
小笠原 宗長(おがさわら むねなが)は、鎌倉時代後期の武将。
来歴
[編集]信濃国松尾に生まれる。弘安7年(1284年)1月11日に元服[1]。永仁4年(1296年)8月18日、父・長氏より小笠原流の紛方の伝授を受けた。徳治2年(1307年)の「円覚寺毎月四日大斎番文」の四番に「小笠原孫次郎」が見え、『尊卑分脈』などから宗長のこととされている。元亨3年(1323年)2月15日に出家。元徳2年(1330年)9月6日、59歳で死去[2]。