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宇治駐屯地

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宇治駐屯地
正門
正門
位置
地図
所在地 京都府宇治市五ヶ庄官有地
座標 北緯34度54分43秒 東経135度47分47秒 / 北緯34.91194度 東経135.79639度 / 34.91194; 135.79639座標: 北緯34度54分43秒 東経135度47分47秒 / 北緯34.91194度 東経135.79639度 / 34.91194; 135.79639
概要
駐屯地司令 関西補給処長

開設年 1951年
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宇治駐屯地(うじちゅうとんち、JGSDF Camp Uji)は京都府宇治市五ヶ庄官有地に所在し、陸上自衛隊関西補給処等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地である。駐屯地司令は、関西補給処長が兼務。

沿革

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日本陸軍

  • 1894年(明治27年)11月:「大阪陸軍砲兵工廠宇治火薬製造所」が宇治に発足[1]
  • 1937年(昭和13年)8月17日:火薬製造所が爆発、午後11時過ぎから翌日未明にかけて3度の爆発が起こり、火薬を製造していた5工場全滅。周辺の民家への被害は全焼も含め856戸。重軽傷22人[2]

アメリカ軍

  • 1945年(昭和20年)9月:米軍駐留(1946年5月まで)[1]

警察予備隊宇治駐屯地

  • 1951年(昭和26年)
    • 2月15日:陸軍砲兵工廠宇治火薬製造所跡地に「警察予備隊宇治管理補給部隊」が発足[1]し、駐屯地として開設。
    • 5月11日:第902重輸送車両中隊が舞鶴駐屯地から移駐。

保安隊宇治駐屯地

  • 1952年(昭和27年)
    • 10月15日:保安隊発足により「保安隊関西地区補給廠」と改称[1]
    • 12月3日:需品補給しょうが松戸駐屯地に移駐。
  • 1953年(昭和28年)

陸上自衛隊宇治駐屯地

  • 1954年(昭和29年)
    • 7月1日:陸上自衛隊発足により「陸上自衛隊関西地区補給処」と改称[1][3]
    • 8月5日:化学教育隊が富士駐屯地に移駐。
    • 11月10日:桂分屯地が開設。
  • 1960年(昭和35年)
    • 1月14日:桂分屯地が駐屯地に昇格。
    • 12月9日:祝園分屯地が新設。
  • 1998年(平成10年)3月26日:関西地区補給処が「陸上自衛隊関西補給処」と改称。

駐屯部隊

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中部方面隊隷下部隊

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防衛大臣直轄部隊

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最寄の幹線交通

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脚注

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  1. ^ a b c d e 陸上自衛隊宇治駐屯地HP 沿革
  2. ^ 宇治火薬製造所爆発、八百戸に被害『京都日出新聞』(昭和12年8月18日夕刊)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p124 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年6月30日政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2016年5月17日閲覧。

外部リンク

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