コンテンツにスキップ

大村駐屯地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大村駐屯地
記念式典のFH70による空包射撃(2010年)
記念式典のFH70による空包射撃(2010年)
位置
地図
所在地 長崎県大村市西乾馬場町416
座標 北緯32度55分31秒 東経129度57分20秒 / 北緯32.92528度 東経129.95556度 / 32.92528; 129.95556座標: 北緯32度55分31秒 東経129度57分20秒 / 北緯32.92528度 東経129.95556度 / 32.92528; 129.95556
概要
駐屯地司令 第16普通科連隊長

開設年 1952年
テンプレートを表示

大村駐屯地(おおむらちゅうとんち、JGSDF Camp Omura)とは、長崎県大村市西乾馬場町416に所在し、第16普通科連隊等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地である。

概要

[編集]

最寄の演習場は、大多武演習場大野原演習場。駐屯地北側に屋内射場がある。第16普通科連隊長が駐屯地司令を兼務。資料館が設置されている。

沿革

[編集]

大日本帝国陸軍

アメリカ軍等

  • 1947年(昭和22年):米海兵隊第3大隊が移駐。
  • 1948年(昭和23年):長崎大学学芸学部校舎に転用される。

警察予備隊

警察予備隊大村駐屯地

  • 1952年(昭和27年)
    • 7月1日:警察予備隊の大村駐屯地として開設。
    • 7月7日:第10連隊の主力が針尾駐屯地から移駐。

保安隊大村駐屯地

  • 1952年(昭和27年)10月15日:保安隊が発足し大村駐とん地となる。
  • 1953年(昭和28年)9月1日:大村駐とん地業務隊が新編。

陸上自衛隊大村駐屯地

  • 1954年(昭和29年)
  • 1956年(昭和31年)1月26日:第16普通科連隊第2大隊が熊本駐屯地から移駐。
  • 1962年(昭和37年)8月15日:第4管区隊の第4師団への改編に伴い、第16普通科連隊を改編(4個普通科中隊)。
  • 1963年(昭和38年)8月8日:第5陸曹教育隊が福岡駐屯地から移駐。
  • 1974年(昭和49年)
  • 2003年(平成15年)3月27日:西部方面隊の後方支援体制変換に伴い第4後方支援連隊隷下部隊の新編。
    1. 第1整備大隊施設整備隊(第4施設大隊を支援)を新編。
    2. 第2整備大隊第1普通科直接支援隊(第16普通科連隊を支援)を新編。
  • 2013年(平成25年)3月26日:第1普通科直接支援隊を第1普通科直接支援中隊へ改編。
  • 2015年(平成27年)3月26日:西部方面会計隊の改編に伴い、第371、第395会計隊が廃止され、第363会計隊の派遣隊を竹松駐屯地と相浦駐屯地に設置する[2]

駐屯部隊

[編集]

西部方面隊隷下部隊・機関

[編集]

防衛大臣直轄部隊

[編集]

共同の機関

[編集]

広報施設

[編集]

大村駐屯地史料館「鎮西精武館」

大村駐屯地史料館は、1897年(明治30年)に旧陸軍歩兵四十六聯隊の本部兵舎として建てられて現在120年経っている。昭和21年に長崎師範学校として使用し、昭和27年7月第10普通科連隊が針尾駐屯地(現ハウステンボス)から大村駐屯地に移駐、1954年(昭和29年)8月第10普通科連隊が北海道(滝川駐屯地)へ移駐、1954年(昭和29年)8月、第16普通科連隊編成完結し第16普通科連隊の連隊本部隊舎として使用されていた。1980年(昭和55年)7月10日から史料館として開放されている。

大村部隊が旧陸軍で精強とうたわれていたため別名「鎮西精武館」と呼ばれ、鎮西は九州を精武は武勇を意味している。鎮西精武館は、大村部隊の光輝ある伝統を後生に伝える史料館として開放されており、館内は14室(旧軍関係11室、自衛隊関係3室)に区分され、歩兵四十六聯隊の戦史・橘中佐・雲仙普賢岳及び東日本災害派遣資料など約千五百点を展示している。

  • 野外展示品
    • 74式戦車
    • 61式戦車
    • 多用途ヘリコプターUH-1

最寄の幹線交通

[編集]

重要施設

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年6月30日政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1954年6月30日). 2016年5月4日閲覧。
  2. ^ 会計機関の官職名称変更等について (PDF)

参考文献

[編集]
  • 生々躍動 創立50周年記念(大村駐屯地編・平成14年4月)

外部リンク

[編集]