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原保太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原保太郎
はら やすたろう
生年月日 1847年8月11日
没年月日 (1936-11-02) 1936年11月2日(89歳没)
出身校 ラトガース大学
キングス・カレッジ・ロンドン
前職 兵庫県大書記官
所属政党 同和会
称号 勲三等瑞宝章
正四位
勲四等瑞宝章
王冠第一等勲章
従四位
大日本帝国憲法発布記念章
正五位
王冠勲章ナイトグランドオフィシル

在任期間 1903年7月15日 - 1936年11月2日

北海道の旗 官選 第5代 北海道庁長官
在任期間 1896年4月7日 - 1897年9月4日

官選 第11代 福島県知事
在任期間 1895年7月16日 - 1896年4月7日

山口県の旗 山口県令
官選 第3代 山口県知事
在任期間 1881年2月12日 - 1895年3月26日
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原 保太郎(はら やすたろう、1847年8月11日弘化4年7月1日[1]) - 1936年昭和11年)11月2日[2])は、幕末園部藩士明治官僚政治家貴族院議員錦鶏間祗候神道無念流練兵館塾頭を務めた剣客としても知られた。

小栗上野介を捕え、処刑した人物とされている。

経歴

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園部藩士・原官次の三男として生まれる。江戸の練兵館で剣術を修行し、練兵館塾頭になったが、園部藩を脱藩して京都に上り、慶応3年(1867年)岩倉具視の食客となる[2]戊辰戦争では、東山道総督随行、上野国巡察使兼軍監として従軍した。その際、江戸幕府の元勘定奉行小栗忠順と家来3人を捕らえて斬首に処した。原が問答無用な形で斬首を強行した理由は判明していないが、当時はまだ22歳の若輩であり、総督府の命令といわれているが、功をあせる浅慮の極みとも言われている。原は後年「小栗は自分が斬った」と述べているが、安中藩の徒目付浅田五郎作が斬ったという説もある。

明治4年(1871年)にアメリカ合衆国へ留学し[2]ラトガース大学で学ぶ。1874年ごろにイギリスに渡り、原六郎と共にキングス・カレッジ・ロンドンで経済学などを学ぶ。1876年に帰国[2]

帰国後、兵庫県少書記、同県大書記官などを歴任し、1881年に第三代山口県令に就任した[2]1895年3月、日清戦争下関講和会議に出席していた清国大使李鴻章が狙撃される事件が起こり、その責めを負い知事を辞任した。同年7月、福島県知事に任命され復帰[2]。さらに、北海道庁長官、農商務省山林局長兼林野整理局長を務めた[2]

1903年7月15日、貴族院議員に勅選され[3]同和会に属し死去するまで在任した。1905年9月1日に錦鶏間祗候となる[4]。また、維新史料編纂会員なども務めた。昭和11年11月2日没。墓所は品川区海晏寺

栄典・受章・受賞

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

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脚注

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  1. ^ 『貴族院議員氏名表』貴族院彙報附録、昭和2年12月20日、30頁。
  2. ^ a b c d e f g 原保太郎関係文書(寄託)|旧蔵者履歴|憲政資料(憲政資料室)”. 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ). 国立国会図書館 (2022年5月6日). 2024年11月10日閲覧。
  3. ^ 『官報』第6011号、明治36年7月16日。
  4. ^ 『官報』第6654号、明治38年9月2日。
  5. ^ 『官報』第1019号「叙任」1886年11月20日。
  6. ^ 『官報』第2207号「叙任及辞令」1890年11月6日。
  7. ^ 『官報』第4347号「叙任及辞令」1897年12月25日。
  8. ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
  9. ^ 『官報』第2853号「叙任及辞令」1893年1月4日。
  10. ^ 『官報』第4949号「叙任及辞令」1899年12月28日。
  11. ^ 『官報』第588号「賞勲叙任」1885年6月18日。
  12. ^ 『官報』第2657号「叙任及辞令」1892年5月10日。
  13. ^ 『帝国大学出身名鑑』 校友調査会、1934年、原愛次郎
  14. ^ 『ラジオ商工業事情概要』東京市役所、1938、p18
  15. ^ 『日通工 75年史』日本通信工業、1993、p26

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『新訂増補 海を越えた日本人名事典』日外アソシエーツ、2005年。
  • 『日本の歴代知事 第1巻』歴代知事編纂会、1980年。
  • 『明治人名辞典 下巻』日本図書センター、1987年(『現代人名辞典』第2版、中央通信社、大正元年刊の改題複製)。
  • 『大正人名辞典3 下巻』日本図書センター、1994年(『明治大正史 第15巻』明治大正史刊行会、昭和5年刊の改題複製)。

外部リンク

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