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万里小路博房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
万里小路 博房
万里小路博房の肖像写真
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文政7年6月25日1824年7月21日
死没 明治17年(1884年2月22日
官位 正三位
主君 仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族 万里小路家
父母 父:万里小路正房
母:実(藤波寛忠の娘)
兄弟 博房、幸子
森貞子(森長義の十一女)
在房通房関博直姉小路公義河辺博長、千代子ら
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万里小路 博房(までのこうじ ひろふさ)は、江戸時代後期の公卿明治時代の政治家。権大納言万里小路正房の子。万里小路家25代当主。

経歴

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文政9年(1826年)に叙爵、天保4年(1833年)に元服し従五位下に叙せられる。嘉永4年(1851年)に侍従に任ぜられる。三条実美と親しく尊王攘夷派とみられたために、八月十八日の政変では一時免官されて蟄居している。その後、度々の位階の昇進を経て、慶応3年(1867年)に正四位下蔵人頭に任ぜられる。また、同年11月4日には参議となり、同年12月9日の小御所会議に参加した。そこで参与に任ぜられ、翌年2月19日まで同職を務めた。

明治元年(1868年)に従三位権中納言に叙任。その後は京都裁判所総督、宮内大輔皇太后宮大夫などを務めた。明治17年(1884年)に61歳で薨去。

なお、博房の死去から約5か月後の7月7日、子の通房に伯爵が叙爵された。

年譜

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※1872年(明治5年)までの日付は旧暦

  • 1826年文政9年)12月19日、従五位下に叙位。
  • 1833年天保4年)3月28日、従五位上に昇叙し、元服。昇殿を聴される。
  • 1836年(天保7年)1月4日、正五位下に昇叙。
  • 1851年嘉永4年)12月24日、侍従に任官。
  • 1857年安政4年)
    • 5月15日、正五位上に昇叙し、蔵人に補任。右少弁に転任。禁色を聴される。
    • 10月19日、左少弁に遷任。蔵人如元。
  • 1858年(安政5年)10月7日、検非違使に補任。右衛門権佐を兼任。(時に、蔵人検非違使正五位上行右少弁兼右衛門権佐)
  • 1861年万延2年)1月23日、権右中弁に転任。蔵人検非違使右衛門権佐如元。
  • 1862年文久2年)12月9日、朝廷内に設置された国事御用掛を兼補。
  • 1863年(文久3年)
    • 5月25日、朔平門外の変(同年5月20日)によって卒去した姉小路公知の贈官宣旨の奉者となる。
    • 5月29日、右中弁に転任。国事御用掛・蔵人・検非違使・右衛門権佐如元。
    • 5月30日、従四位下に昇叙。国事御用掛右中弁如元。
    • 8月1日、国事御用掛から国事参政に異動。
    • 8月18日、国事参政廃止に伴い免職。
    • 8月24日、いわゆる八月十八日の政変により、差控の処分を受ける。
  • 1865年慶応元年)12月10日、右中弁辞任。
  • 1867年(慶応3年)
    • 1月15日、差控を免ず。
    • 4月8日、従四位上に昇叙。
    • 8月2日、正四位下に昇叙。
    • 9月27日、蔵人頭に補任。右大弁に任官。
    • 11月4日、参議に補任し、右大弁如元。
    • 11月8日、議奏加勢を兼補。
    • 11月9日、議奏加勢の廃止に伴い、免職。 維新政府の参与に補任。
  • 1868年(慶応4年)
    • 1月、正四位上に昇叙。参与・参議右大弁如元。
    • 1月17日、制度事務総督を兼帯。
    • 2月2日、従三位に昇叙し、権中納言に転任。参与・制度事務総督如元。
    • 2月3日、制度事務の職制改正に伴い、制度事務総督から制度事務局輔に異動。
    • 2月19日、参与から議定に、制度事務局輔から京都裁判所総督に、それぞれ異動し、親兵掛を兼帯。
    • 閏4月21日、議定・京都裁判所総督・親兵掛を免じ、会計官知事に異動。
    • 7月28日、山稜総督を兼帯。
    • 8月2日、大総督御旗監を兼帯。
  • 1869年明治2年)
    • 4月17日、山稜総督を辞任。
    • 7月8日、会計官知事から宮内卿に異動。
    • 10月1日、正三位に昇叙。
  • 1871年(明治4年)
    • 6月25日、宮内卿を辞任。
    • 6月27日、宮内大輔に任官。
  • 1877年(明治10年)8月29日、宮内大輔から皇太后宮(明治天皇養母九条夙子)大夫に異動。
  • 1884年(明治17年)2月22日 - 正二位[1]

系譜

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登場作品

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テレビドラマ

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脚注

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  1. ^ 『官報』第194号「叙任」1884年2月25日。
  2. ^ DruCiホームページ「川井つと」(2020年6月17日閲覧)

参考文献

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公職
先代
烏丸光徳
日本の旗 宮内大輔
1871年 - 1877年
次代
(欠員→)杉孫七郎
先代
中御門経之(会計事務局督)
日本の旗 会計官知事
1868年 - 1869年
(1868年途中から1969年途中まで中御門経之と共同)
次代
松平慶永(大蔵卿)
先代
(新設)
日本の旗 山陵総管
1868年 - 1869年
次代
勘解由小路資生