中郡宇村
日本の鹿児島県鹿児島郡にあった村
中郡宇村(なかこおりうむら)は、鹿児島県の中部、鹿児島郡に属していた村。1934年8月1日に吉野村、西武田村とともに鹿児島市へ編入され自治体としては消滅した[1]。
なかこおりうむら 中郡宇村 | |
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廃止日 | 1934年8月1日 |
廃止理由 |
編入合併 吉野村、西武田村、中郡宇村 → 鹿児島市 |
現在の自治体 | 鹿児島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 鹿児島県 |
郡 | 鹿児島郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
10,818人 (1925年10月1日) |
隣接自治体 | 鹿児島市、鹿児島郡西武田村、谷山町 |
中郡宇村役場 | |
所在地 | 鹿児島県鹿児島郡中郡宇村大字郡元 |
座標 | 北緯31度33分46秒 東経130度32分48秒 / 北緯31.562639度 東経130.546583度座標: 北緯31度33分46秒 東経130度32分48秒 / 北緯31.562639度 東経130.546583度 |
現在の鹿児島市域にあたる町村制施行当時の地図(中郡宇村はオレンジ色 ) | |
ウィキプロジェクト |
村名は中村、郡元村、宇宿村の頭文字を取り命名したことに由来している[2]。
地理
編集中郡宇村の大部分が紫原の高原に占められており、現在は住宅地となっているが、当時は田畑が広がっていた[3]。紫原の麓には新川、脇田川が流れ、その付近に集落がある。中郡宇村役場は大字郡元の一之宮神社付近に置かれていた。大日本紡績鹿児島工場(現在のユニチカ)が置かれており、税負担は鹿児島市、枕崎町に次いで3番目に安い自治体であった[4]。
大字
編集大字は中、郡元、宇宿の3大字から構成されており、現在の鴨池(編入時に大字中から改称)、与次郎、郡元町、郡元、南郡元町、東郡元町、南新町、真砂町、真砂本町、三和町、鴨池新町、新栄町、唐湊、紫原、西紫原町、宇宿、日之出町にあたる。
→「鹿児島市の町丁 § 二度の編入合併」も参照
歴史
編集→「鹿児島市の行政区域の変遷」も参照
行政
編集歴代村長
編集町村制施行以降の村長を記載する。表記は『宇宿郷土史』による[5]。
代 | 氏名 | 就任期間 |
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初代村長 | 根元 哲彦 | 1889年6月1日 - 1892年5月 |
二代村長 | 仁禮 俊一 | 1892年6月1日 - 1895年5月 |
三代村長 | 早田 如平 | 1895年5月 - 1897年9月21日 |
四代村長 | 宮本 東之輔 | 1897年9月24日 - 退任日不明 |
五代村長 | 二木 郎 | 就任日不明 - 1898年7月11日 |
六代村長 | 大場 孝太郎 | 1898年12月 - 退任日不明 |
七代村長 | 染河 喜輔 | 1900年1月 - 1900年2月3日 |
八代村長 | 藤山 隆章 | 1900年5月 - 1900年12月28日 |
九代村長 | 羽月 市次郎 | 1901年11月 - 退任日不明 |
十代村長 | 兒玉 利謙 | 1901年12月13日 - 1910年3月28日 |
十一代村長 | 澁谷 龍三 | 1910年12月13日 - 1919年12月5日 |
十二代村長 | 梶原 武次 | 1920年1月20日 - 1924年12月5日 |
十三代村長 | 堀 金光 | 1925年1月21日 - 1929年1月20日 |
十四代村長 | 末吉 市之進 | 1929年1月21日 - 1934年7月31日 |
教育
編集尋常高等小学校
編集- 中郡尋常高等小学校(現在の鹿児島市立中郡小学校)
- 宇宿尋常高等小学校(現在の鹿児島市立宇宿小学校)
青年訓練所
編集- 中郡青年訓練所
- 宇宿青年訓練所
高等教育機関
編集- 鹿児島高等農林学校(現在の鹿児島大学農学部)
- 錦江高等女学校
施設
編集- 鹿児島市鴨池動物園
- 鴨池遊園地
交通
編集鉄道
編集出身著名人
編集脚注
編集- ^ a b 中郡宇村西武田村及吉野村ヲ廢シ鹿兒島市ヘ編入(昭和9年鹿児島県告示第327号、昭和9年7月27日付鹿児島県公報号外所収、 原文)
- ^ 中郡宇村役場 1930, p. 2.
- ^ 中郡宇村役場 1930, p. 1.
- ^ 木原三郎 1979, p. 88.
- ^ a b c d 木原三郎 1979, p. 86.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 487.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 601.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 783.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 600.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 1071.