騎馬系ユニットの中ではパッとしない騎士も伏兵と合わせて使うと非常に強い。
だがどっちみち弓持ち騎馬ユニットはゲーム上ほぼ必須というレベルのバランス……そうでなければ騎士のみ縛りをしたかった。
ちなみにこの辺りから風花雪月と同時並行でのプレイを始めた。
・1212年
春から小アジア侵攻。
シリアの全軍である12個部隊を連れて行く。
敵アイユーブ朝は小アジアからキプチャクを攻めてすぐだったので4部隊しかいなかった。倍以上の戦力があると相手は尻尾を撒いて逃げていく。敵は3国キプチャクに撤退。
夏もすぐさまキプチャク侵攻。
敵は11個軍団。率いるはアイユーブ朝の君主、サラディンの弟のアル=アーディル。
兄ほどの高能力ではないが、敵軍は歩兵がやたら多くて騎馬系ユニットは突撃騎兵が2個と軽弓騎兵1個であり、しかも敵として出てくる騎馬系ユニットは4部隊以下なら大抵は城に籠っているので伏兵も含めてあまり有効活用してこないことが多い。
都市にいる敵軍団は引き付けて(実際はマス数を見誤って伏兵に掛けるのに失敗してしまった)撃破。森で伏兵を狙っている敵軍団はこちらの伏兵を掛けられる地点に誘引して逆伏兵で混乱させて騎士による突撃連打で撃破。
城に籠るアル=アーディルはハッキリ言ってしまえば時間が掛かるだけ。
安全な位置から前後移動して弓を射掛けるだけ、というあんまり説明向きしない戦法でチクチク削って撃破。これは眠気との闘いでもある。
アル=アーディルは捕縛したが領地の残っている君主は解放か処断かしか選べないので、アーディルの流儀に乗っ取って「解放」を選択。
アイユーブは一時はエジプトからキプチャクまでの4か国を治める大君主だったにも関わらず、フランスとの壮絶な戦いによってエジプト1国までその領地を減らすことになったのである。
そしてフランスのフィリップ2世は今やチンギス・ハーンの治める2国ジュンガリアとの国境に軍を集結させ、モンゴルの英雄との決戦に挑まんとしていた。
同年秋、ついにジュンガリアの国境を侵す。
事前の報告では敵側には蒙古騎兵3部隊しか存在していないことが分かっている。ジュンガリアの城に立てこもる敵第1軍団を自軍3個軍団で取り囲み、念のため降伏勧告を行ってみたりもしたのだが効果なし。
埒が明かないので総攻撃開始。騎士4個の第3軍団以外の軍団で攻撃を掛ける。
ジュンガリアの防御度は2だったのでがりがり弓矢で削っていく。(この段階は本当にただの作業と化す)
そしてチンギス・ハーン撃破。
政治以外全部Aという最強の男を登用。ついでに配下のムカリも登用した。
と上記の流れでも分かるように意外と今プレイしているこの1206年シナリオ「チンギス・ハーンの雄飛」と1185年から始まるシナリオ「世界帝国への道」においてモンゴル勢は他国と比べると人材は最強クラスであるにも関わらず、どうしても開始後10年ぐらいの間に滅亡の憂き目に遭うことが多い気がする。
それらを跳ね除けて「史実のように」大勢力を誇ることは結構稀なことである。その割には1年目から積極的に他国に攻め込んでみたりとモンゴル帝国はアグレッシブではあるのだが……
それはともかくフランスで開始して早6年。
念願のチンギス・ハーン獲得によってフランス王国の軍勢は一気に強化されたのである。
そしてこれと入れ替わりで、エジプトのアイユーブがシリアに向けて軍を進発。ほぼ無抵抗の内にフランス領シリアは陥落してしまった。
さらに冬、1国のモンゴルへも進出。
・1213年
春には遼東へ進行。
敵10個部隊を撃破して制圧した遼東では耶律楚材を獲得。指揮官としても使えるムカリには劣るがそれでも政治Aの超秀才である。すぐさまフランス王国の政治顧問として活躍してもらうため、ダンドロさんと交代。
その間シリアで進撃が止まったアイユーブ朝の君主アル=カーミル(アーディルの息子で父が解放された時に王位を継いだらしい)から外交使者が来て3年間の同盟を締結。
同時にイタリアを任せていた元神聖ローマ帝国から登用したフリードリヒ2世(バルバロッサ作戦の名前の元ネタのフリードリヒ1世の孫)がフランス王国の支配を逃れて独立。
フランス王フィリップ2世はこれで完全に欧州での領地を失ってしまう。
しかしフィリップ2世の次の目標は既にこの遼東から見える半島と、その海の先へと向けられていた……