米国の元NSC高官で、沖縄返還交渉や、国家による秘密保護に関する国際原則「ツワネ原則」の策定にも関わったモートン・ハルペリン氏が2014年5月10日、弁護士会館で講演し、日本の特定秘密保護法の欠陥を指摘した。講演会には沖縄密約をスクープし、その取材方法を罪に問われた元毎日新聞記者・西山太吉氏も参加した。沖縄密約は本当に必要だったのだろうか。密約に深い関わりを持つ日米両国のキーマンが語り合った。
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(IWJ・原佑介)
特集 秘密保護法
米国の元NSC高官で、沖縄返還交渉や、国家による秘密保護に関する国際原則「ツワネ原則」の策定にも関わったモートン・ハルペリン氏が2014年5月10日、弁護士会館で講演し、日本の特定秘密保護法の欠陥を指摘した。講演会には沖縄密約をスクープし、その取材方法を罪に問われた元毎日新聞記者・西山太吉氏も参加した。沖縄密約は本当に必要だったのだろうか。密約に深い関わりを持つ日米両国のキーマンが語り合った。
記事目次
■ハイライト
ハルペリン氏は講演で、これまでの日米関係において、どのようにして秘密が取扱われてきたのか、「米軍占領下の小笠原諸島」を例に説明した。
小笠原諸島は1968年に返還されるまで、戦後、米国の占領下に置かれていた。ハルペリン氏が米国国防総省で働くようになったのが1966年。それ以来、沖縄返還の担当者に任命されたが、同時に、小笠原諸島の返還交渉も担当することになったのだという
「そんなある日、国務省の同僚から電話がきて、『小笠原諸島で深刻な問題が起きている』と言われました」
1944年、戦局の悪化により、小笠原諸島に住む軍関係者以外の全島民が本土へ強制疎開させられた。翌年の敗戦を受けて小笠原は米軍の占領下に置かれたが、島に帰ることが許されたのは欧米系の島民と、その家族だけだった。大多数の住民が、米軍によって帰島を禁じられていたのだ。
当時、多くの住民が帰島を希望した。米国国務省も、住民の帰島を実現しようと考え、国防総省に問い合わせた。「なぜ帰島させられないのか」。
それに対する国防総省の答えは、「それは秘密だ」――。
これがハルペリン氏の同僚のいう、住民の帰島を阻む、原因不明の「深刻な問題」の正体である。
「もちろん国務省対国防総省という図式でも、許可さえあれば秘密にアクセスし合うことはできるが、この時の国防省の言い分は、『あまりにも重要な秘密であるため、国務省には理由すら説明できない』というものだったんです」
そこでハルペリン氏は、小笠原諸島担当の海軍士官を呼び出し、尋ねた。回答は、「日本人の島民の帰還は認められない、島自体が超極秘の秘密になっているからだ、その理由は言えない」というものだったという。しかしハルペリン氏は強く迫り、聞き出した。
「ここで国防総省が隠していた秘密とは、『小笠原諸島の中には、実は米軍基地がないのだ』ということです。これを島民に気付かれたくなかった。この事実が知られれば、島民は『日本の施政下に返して欲しい』と、きっと要求するでしょうから。しかし私は、『そんな理由で情報を機密化する理由にならない』と言い、『国務省にも伝える』と言いました」
そしてハルペリン氏は、日本人の帰島を国務省に掛け合い、まず住民の小笠原への墓参り(第1回墓参団)が実現した(1965年)。そして案の定、小笠原諸島に米軍基地がないと知った島民は、日本政府に報告。日本政府は『小笠原諸島の軍事的な意義についてメモを作ってほしい』と要求し、ハルペリン氏がノート1枚半程度のメモを作成した。特に書くことがなかったのだという。
そして67年、小笠原諸島の日本返還が決定し、翌68年に返還された。
同じくゲストに招かれた西山氏は、「秘密保護法と集団的自衛権の動きは、よく似ている」という。
「これまでは米国が集団的自衛権の行使を要求し、日本側が回避しようとしてきたが、今は日本側に積極的に要請しているという事実はなく、むしろ日本が逆に話を持ちかけ、米国を引き寄せようとしている」
そして、「秘密保護法もそう。『日本の安全保障上の機密を日米間で共有する上で、(法を強化しろと)米国から要請がある』と盛んに話を流してきましたし、それは私も身にしみて体験しているが、そんな事実はないんです。日本が秘密保護法を欲しかっただけで、秘密保護法と集団的自衛権は、まったく同じアプローチの仕方だ」と分析。権力が集中しているとき、政府は秘密を作りたがる、と語った。
(…会員ページにつづく)