第1章 記憶にない。 第2章 コロ。 第3章 お世話。 第4章 運命。 第5章 優しさ。 第6章 出逢い。
第7章 決断。 第8章 家族。 第9章 ケセラセラ。 第10章 別れ。 第11章 人情。
引っ越した家のすぐ裏手には、子供が水遊びできるほどの小さな川が流れていて、
そこはのら猫たちの遊び場にもなっていた。
その先にのら猫たちの集会場となっている小さな神社があって、
お年寄りと日向ぼっこするのら猫の姿をよく見かけた。
川沿いにある小さな総合病院の裏庭では、のら猫が患者さんの話し相手になっていた。
金魚屋で出逢った、焼き菓子色をした子猫の ” クッキー ” と ” わらじ ” には
のらねこの友達もたくさんできた。
ある時、お隣が犬の散歩中に瀕死ののら猫を見つけ病院へ連れて行った。
数週間後、片方の視力を失って戻って来たが、
助けてもらったと思っているのか、元いた場所へ戻る事はなかった。
鼻にしずく型の模様があったその猫に ” しずく ” という名前を付け、我が家へ迎えた。
その後、私はその家で猫の出産に2度立ち会う事になり、
仮死状態で生まれてきた子猫の蘇生も経験した。
初めて猫が出産を迎えた頃。
ご近所から、育児放棄されてまだ目も開かない子猫を託された。
我が家で出産した猫は自分の産んだ子供と一緒に、その子猫を我が子として育てあげた。
白黒の子猫と共に育った、さび猫の ” ちゃう ”
子猫が生まれてくる瞬間も、甲斐甲斐しく子育てする姿も
猫に教わる事はとても多かった。
のら猫にも、人と暮らす猫にも、猫には猫の暮らしがちゃんとそこにはあった。
猫の出産と育児を終始見続けた私は、自分が家族との別れを経験したこともあり
できる限り家族一緒に過ごして欲しいと願い、子猫を欲しいという申し出をすべて断った。
出逢いの数だけ、たくさんの別れもあった。
静かに眠る ” クッキー ” のそばを離れず ” わらじ ” が涙を流していた。
人と同じように、猫にも悲しみは存在すると思った。
数年後。
” わらじ ” との別れがあり、私はもう猫と暮らすことはないと思っていた。
第7章 決断。 第8章 家族。 第9章 ケセラセラ。 第10章 別れ。 第11章 人情。
引っ越した家のすぐ裏手には、子供が水遊びできるほどの小さな川が流れていて、
そこはのら猫たちの遊び場にもなっていた。
その先にのら猫たちの集会場となっている小さな神社があって、
お年寄りと日向ぼっこするのら猫の姿をよく見かけた。
川沿いにある小さな総合病院の裏庭では、のら猫が患者さんの話し相手になっていた。
金魚屋で出逢った、焼き菓子色をした子猫の ” クッキー ” と ” わらじ ” には
のらねこの友達もたくさんできた。
ある時、お隣が犬の散歩中に瀕死ののら猫を見つけ病院へ連れて行った。
数週間後、片方の視力を失って戻って来たが、
助けてもらったと思っているのか、元いた場所へ戻る事はなかった。
鼻にしずく型の模様があったその猫に ” しずく ” という名前を付け、我が家へ迎えた。
その後、私はその家で猫の出産に2度立ち会う事になり、
仮死状態で生まれてきた子猫の蘇生も経験した。
初めて猫が出産を迎えた頃。
ご近所から、育児放棄されてまだ目も開かない子猫を託された。
我が家で出産した猫は自分の産んだ子供と一緒に、その子猫を我が子として育てあげた。
白黒の子猫と共に育った、さび猫の ” ちゃう ”
子猫が生まれてくる瞬間も、甲斐甲斐しく子育てする姿も
猫に教わる事はとても多かった。
のら猫にも、人と暮らす猫にも、猫には猫の暮らしがちゃんとそこにはあった。
猫の出産と育児を終始見続けた私は、自分が家族との別れを経験したこともあり
できる限り家族一緒に過ごして欲しいと願い、子猫を欲しいという申し出をすべて断った。
出逢いの数だけ、たくさんの別れもあった。
静かに眠る ” クッキー ” のそばを離れず ” わらじ ” が涙を流していた。
人と同じように、猫にも悲しみは存在すると思った。
数年後。
” わらじ ” との別れがあり、私はもう猫と暮らすことはないと思っていた。
コメント
コメント一覧 (6)
母親が亡くなった時は、違うお母ちゃんがお乳飲ませて立派に育て上げてた。
兄弟同士の遊び方は、他の猫とはまた一味違う仲良しっぷり。
やっぱりさ、当たり前だけど家族は家族なんだよね。離されてもその悲しみを引きずらないで今を生きてるだけなんだよね。だから、なんとも思ってないように見えるけど、家族は一緒にいたいよね。
素敵な経験だよね!
自分も子育て真っ最中に、猫にも育児放棄があることや、ママ母がいることを知ったんだ。
だからこそ、色んな出来事にも真剣に向き合ってたし、
猫に母親としての考え方も教わったといっても過言ではないよね。
私の場合は自宅に出産できる場所を作って出産を見守り
仮死状態の蘇生もそうだけど、難産で子猫を引き出す手伝いをしたりと、
本当にいろんな経験をさせてもらった。
あまりに多すぎてここには全ては書いていないけど、
よく行く熱帯魚店で大きくなって売れなくなってしまった猫を引き取ったり
動物病院から猫の里親を頼まれたり。(笑)
今みたいに医療が進んでいなかったり、のらとの喧嘩もあったりで
みんな短命ではあったけど、家族が一緒に暮らせて幸せだったと信じている。
私だって、最後は家族といたいもん!
わら。さんの今があるのですね。
ケガをした猫を見つけたら・・・
子ねこを見つけたら・・・
私ならどうするだろうかと考えた時、そこにはいつも自信のない自分がいます。
そして、そういう場面に出遭わないでホッとしている自分もいます。
でもこんな私でも、
少しの勇気と少しの行動力が持ちたくて、
いつも考えながら勉強させてもらって読んでます。
続き楽しみにしてますね^^
やっぱり猫を引き寄せる人生なんだね!
頼んだぜ!姐さん❤︎
私自身、こんな風に書いていても、
出逢った全ての子に手を差し伸べられるていわけではないし、
いまだに辛く苦しい思いもしているのが現実です。
過去に瀕死ののら猫を連れて行った時、診察すらしてくれない病院もあったし、
同じように病に倒れたのら猫でも、何十日もの入院費、手術治療費を
一切受け取らない病院もあるし。
退院したあと最後まで面倒を見ることができるかどうかも大切なことだと思う。
ただ、私が心がけていることは、
『自分自身が最後まで責任もって見届けることができないなら保護しない』です。
できるだけ元気なのら猫にはそのままの生活をさせてあげたいと思っていて、
なぜそう思うかというと、その子にはたくさんの仲間や家族がいるはずで、
もしかしたらその子を家族だと思っている人が、どこかにいるかもしれない。
たとえば家から出ることのできないお年寄りのところへ行くのが
その子の日課になっているかもしれないしね。*^-^*
その子の存在によって救われている人がいるかもしれない。
こういう話ってホント考えるとキリがないですよね。
虐待は別問題として、動物愛護に対する考えって、
動物との暮らし方ひとつとっても千差万別だと思っているから、
すべてにおいて否定も肯定もしないけれど
常に「自分がこの子だったら」と置き換えて考えるようにしています*^-^*