電波政策で一番わからないのは、なぜ電波部がここまで粘り強くオークションを拒絶するのかという謎だが、きのう現代ビジネスの座談会で(総務省のWGの座長をつとめた)服部武氏の答は「これしか関係者の合意が得られない」。つまり電波官僚の意思決定の根拠になっているのは、内閣の方針ではなく関係業界のコンセンサスなのだ。

これは与那覇氏のいう「ブロン」の典型である。ブロンとは、星新一の小説に出てくる「ブドウのように小さな実がメロンのように少ししかできない」果物のことで、日本型(江戸的)システムと中国型システムの悪いところを組み合わせると、こうなる。

中国の科挙は、世界史上で初めて公務員を試験で選ぶシステムだった。その有資格者は身分にも財産にも関係なく、文字通り全国民(ただし男性)である。このような公務員制度が始まったのは、中国で内乱の原因になっていた地方の豪族支配を解体し、皇帝が全国を直接統治するためである。

本来の科挙は、民主主義とは無縁な徹底した能力主義である。その試験には皇帝といえども介入できず、採点は名前を隠して行なわれた。そのため数千倍の試験に合格した官僚の知的権威は非常に高く、その正統性はこうした「読書人」としての知性に支えられていた(少なくとも初期には)。「選挙」というのはその名の通り、科挙によって官僚を選ぶことだった。

このようなテクノクラート支配が1000年以上前に可能になったのは、皇帝が絶対的な権力と強大な軍事力を独占していたためだ。多くの封建領主が武力をもって争っていた西洋では、逆に国王の力を抑制するために貴族が団結し、法の支配が成立した。ここでは公務員はcivil servantであり、「主権者」としての国民に選ばれた国会議員に奉仕する。

ところが日本の公務員は、形の上では科挙をまねた高等文官試験を取り入れたが、その正統性の根拠となる権力が天皇という空虚な中心だったため、権力の所在をめぐって政治が揺れ動いた。明治初期には伊藤博文や山県有朋のような元老が官僚機構のトップだったが、その地位は彼らの明治維新における功績や個人的な人脈に依存していたため、大正期以降は元老の力はなくなり、二大政党による「政治主導」の時代になった。

しかし日本の統治機構は中国型の集権的官僚制度と江戸型の分権的政治家を組み合わせたため、知的エリートである官僚は地縁や金銭にまみれた政治家を信用しない。この結果、国家社会主義を奉じる「革新官僚」が軍部と結びつき、議会制度が葬られてしまった。戦後もこのような統治機構の二重構造は続き、軍事力という求心力がなくなったため、関係業界のコンセンサスが官僚の正統性の根拠となる。

ここでは内閣が各省庁に命令するのではなく、逆に各省庁が利益団体の合意で決めたことを内閣と国会が追認するので、孫正義氏が「900MHz帯はソフトバンクの既得権だ」と陳情すると、松崎副大臣が「業界の意見を代弁した孫社長と認識は一致した」と答えて内閣の方針を公然と踏みにじる。

このブロン的状態を解決する方法は二つしかない。中国型の官僚機構に合わせて皇帝のような強い権力を確立するか、日本型の政治家に合わせて意思決定を分権化して法の支配で規律づけるかである。前者の道は(戦前に証明されたように)天皇制がある限り容易ではないが、後者の道も官僚による「人治主義」が定着している日本ではむずかしい。電波行政のように遅れたケースは珍しいが、これを打破できるかどうかが民主党政権が立ち直れるかどうかの試金石となろう。