大阪地検の検事による証拠偽造事件は、事実とすれば弁解の余地はないが、これは一検事の特殊な事件ではない。こういう事件を生み出す背景を考えたほうがいい。

以前の記事でも書いたように、日本の刑事裁判の有罪率は99.9%と異常に高いが、これは起訴率が63%と低いためで、有罪件数/検挙件数でみると国際的な平均水準に近い。逆にいうと日本の検察は、絶対に有罪にできる事件しか起訴しない点が国際的にみて特異だ。

これは日本の官庁の完璧主義のDNAが検察にも根強いためだろう。今回の事件のように無罪になると大スキャンダルになるので、検察はよけい慎重になって、ちょっとでも無罪になるリスクのある事件は立件しない。特に政治家のからむ事件は物証がないことが多いので、非常に慎重だ。

その結果、心証としてはクロであっても立件できない事件は、無実の人をクロにする事件よりもはるかに多い。検挙に至る事件も氷山の一角で、内偵や張り込みの99%は空振りだ。警察の検挙率が24%に落ちたのは捜査能力が落ちたからではなく、小さな事件を「前さばき」しなくなったためだ。

検察が起訴する事件の9割以上は被告が事実関係を認めて量刑だけを争うもので、全面否認で争う事件は例外だ。つまり刑事事件のうち24%が検挙され、そのうち63%が起訴されるのだから15%で、そのうち起訴事実を否認する事件は1割以下だから、刑事事件全体の1%強しかない。しかも有罪率は99.9%なので、検察へのプレッシャーは非常に強く、いったん起訴した事件は有罪にしないと面子を失う。

起訴に至るまでには大部分の犯罪が見逃されているので、検察は1%の事件で文字どおり一罰百戒をねらい、容疑者を「落とす」ために手段を選ばない。つまり検察には、初期の「前さばき」は慎重にやって少しでも無罪リスクのある事件は葬る一方、いったん起訴した事件は無理しても絶対に有罪にしようとするバイアスがあるのだ。検察が取り調べの可視化に抵抗するのも、人権に配慮していたらこの1%も取り逃がすという危機感があるためだろう。

今回の事件は、最初は石井一参院議員にからむ汚職事件として着手したものと思われるが、途中でそれが無理筋だとわかっても「筋書き」を見直さず、政治家を立件できないなら中央官庁のキャリアを、と暴走したようだ。しかも肝心の証拠文書の日付が村木氏の「指示」より前だという致命的な矛盾に起訴してから気づいた。常識的には、この段階で捜査班で協議して軌道修正すべきだが、担当検事が暴走したためにこういう結果になったものと思われる。

検察の完璧主義は、今回のような失敗の原因になる一方で、立証のむずかしい大事件(特に政治家のからむ犯罪)に消極的になる原因ともなっている。それをなくすには完璧主義をやめ、公判の途中でも証拠不十分だったら方針を変更するなど、柔軟に運用したほうがいい。マスコミもあまり無罪判決をスキャンダラスに扱わないで、有罪無罪は検察ではなく法廷で決めるものという司法の原則をわきまえるべきだろう。