イノベーションを考えるとき最大の問題は、そこに何かの「成功の法則」があるのかということだ。世の中には「ビジネス成功の公式」とか「こうすれば年収が10倍になる」みたいな本があふれているが、そういう万能の公式は存在しない。それは先日も紹介したように、ヒュームによって250年前に「不在証明」が行なわれているのである。
したがって問題は、決定的な解はないとしても、次善の解は何かということである。本書はこの問題を意思決定理論の第一人者がまとめたもので、非常にテクニカルなので一般向きではないが、「おもしろ行動経済学」みたいな実験に飽きて、その理論的基礎を考える研究者には役に立つだろう。
したがって問題は、決定的な解はないとしても、次善の解は何かということである。本書はこの問題を意思決定理論の第一人者がまとめたもので、非常にテクニカルなので一般向きではないが、「おもしろ行動経済学」みたいな実験に飽きて、その理論的基礎を考える研究者には役に立つだろう。
著者は最初に次のような4つの例題をあげる:
だから何が確実で何が不確実かは、ある意味では定義の問題だ。われわれが膨大な数列は不確実で数行のプログラムが確実だと思うのは簡単な説明を好むためだが、それは真偽とは別の問題である。天動説では惑星の軌道についての複雑な補助仮説が必要だが、地動説では一つの仮説で説明できるとしても、それは前者が誤りで後者が正しいことを意味しない。
このように確実な事象と不確実な事象の区別は、仮説は少ないほうがいいというオッカムの剃刀を基準にした便宜的なものだ。確率論も本質的に不確実な未来を確実に見える数値に置き換える手段にすぎないが、自然科学では十分役に立つ。明日の朝、太陽が昇る確率は1ではないが、あなたは夜が永遠に続くことを心配する必要はない。
しかし人間の行動を主観的確率で説明する意思決定理論は、きわめて疑わしい。あなたが家に鍵をかけないと泥棒の入る確率は1/10000以下だが、そんな計算をして鍵をかける手間を省く人はいないだろう。経済学の期待効用理論も、ポパー的な基準でいえば100%反証されている。
著者は主観的確率が意思決定を科学っぽく見せるレトリックにすぎないことを認めた上で、それを離れて行動経済学の実験成果を説明する理論が可能かどうかを考える。その中心になるのは事例ベース意思決定理論だが、そこでも意思決定の出発点になる信念がどうやって形成されるかは不明だ。それは遺伝的な進化や(ヒュームの指摘したように)社会の慣習によって決まると考えるしかない。
現実の人間は、新しい出来事が出現するまでは今までの状態が続くと想定し、予想外の出来事もなるべく既存のフレームで説明しようとする。特に多くの人々がフレームを共有していると、それを修正することがむずかしい。日本が変われない原因は、人々が余りにも濃密に既存のフレームを共有していることにあるが、それは旧秩序の裏をかくイノベーターのチャンスでもある。
- コインを投げると、表が出るか裏が出るか?
- 明日の朝まで路上駐車しておくと、それが盗まれるか?
- これから受ける手術が成功するか?
- 中東で今年、戦争が起こるか?
だから何が確実で何が不確実かは、ある意味では定義の問題だ。われわれが膨大な数列は不確実で数行のプログラムが確実だと思うのは簡単な説明を好むためだが、それは真偽とは別の問題である。天動説では惑星の軌道についての複雑な補助仮説が必要だが、地動説では一つの仮説で説明できるとしても、それは前者が誤りで後者が正しいことを意味しない。
このように確実な事象と不確実な事象の区別は、仮説は少ないほうがいいというオッカムの剃刀を基準にした便宜的なものだ。確率論も本質的に不確実な未来を確実に見える数値に置き換える手段にすぎないが、自然科学では十分役に立つ。明日の朝、太陽が昇る確率は1ではないが、あなたは夜が永遠に続くことを心配する必要はない。
しかし人間の行動を主観的確率で説明する意思決定理論は、きわめて疑わしい。あなたが家に鍵をかけないと泥棒の入る確率は1/10000以下だが、そんな計算をして鍵をかける手間を省く人はいないだろう。経済学の期待効用理論も、ポパー的な基準でいえば100%反証されている。
著者は主観的確率が意思決定を科学っぽく見せるレトリックにすぎないことを認めた上で、それを離れて行動経済学の実験成果を説明する理論が可能かどうかを考える。その中心になるのは事例ベース意思決定理論だが、そこでも意思決定の出発点になる信念がどうやって形成されるかは不明だ。それは遺伝的な進化や(ヒュームの指摘したように)社会の慣習によって決まると考えるしかない。
現実の人間は、新しい出来事が出現するまでは今までの状態が続くと想定し、予想外の出来事もなるべく既存のフレームで説明しようとする。特に多くの人々がフレームを共有していると、それを修正することがむずかしい。日本が変われない原因は、人々が余りにも濃密に既存のフレームを共有していることにあるが、それは旧秩序の裏をかくイノベーターのチャンスでもある。