小沢一郎氏の元秘書などが逮捕されてから報道が過熱し、これに対して民主党が検察批判を強めている。鳩山首相の「潔白の証明を願う」とか「起訴されないことを望む」といった発言は、自分が検察を指揮する側だということを自覚していない「野党ボケ」だろう。千葉法相の「指揮権発動は一般論としてはありうる」という発言とあわせ考えると、「政治主導」で指揮権を発動する気かと疑われてもしょうがない。

八つ当たりのように、マスコミ批判も強まっている。特に原口総務相は「何の関係者かわからない。そこを明確にしなければ、電波という公共のものを使ってやるには不適だ」と、放送局への規制を示唆するかのような発言をした。彼らが野党だったときには、その「リーク情報」を頼りにして国会で追及したのを忘れたのだろうか。

そもそも検察は「リーク」しているのか。一般論としては、捜査当局が夜回りしてくる記者に捜査情報を明かすことはあり、容疑者をクロにする材料を教える傾向もあるが、そんなに簡単に教えてくれるものではない。記者が独自に取材して「こういう話を聞いたが本当か?」と捜査官に「当てて」顔色を見て書く、といったきわどいやり方でやっているのだ。もちろん司法クラブ以外の記者にはそういう特権もないが、クラブに所属していればリークしてくれるといった甘いものではなく、捜査官との個人的な信頼関係がないと教えてくれない。

もしマスコミが検察が起訴するまで何も書かなかったら、「報道によると」を連発している自民党は、国会で追及する材料を失うだろう。民主党はうれしいかもしれないが、国民の知る権利はそれで満たされるのだろうか。忘れてはいけないのは、大部分の贈収賄は立件できないということだ。起訴事実以外はいっさい報道してはいけないということになれば、胸をなでおろすのは汚職政治家である。

匿名の情報源で報道するのは、日本だけの慣行ではない。アメリカのメディアでも、background informationをどこまで許容すべきかについては論争が続いており、イラク戦争のときは、開戦前に「大量破壊兵器」の存在を示唆したNYタイムズの誤報が批判を浴びた。かつてNYタイムズは、匿名の情報源を一時やめたこともあるが、それでは逆に政府の情報操作に対抗できないということで、最小限の匿名の情報源を認めている。

日本のウェブが匿名IDによって汚染されているように、匿名は情報の倫理を堕落させる。匿名の影に隠れていい加減な報道をするメディアもあるだろうが、それは最終的には読者が判断するしかない。取材源の秘匿が許されないと、調査報道は不可能になる。民主党は、新聞がプレスリリースと記者会見だけで埋まることを求めているのだろうか。