法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『百合子さんの絵本〜陸軍武官・小野寺夫婦の戦争』

『ムーミン』の翻訳者で知られる小野寺百合子は、戦時中に陸軍武官だった夫とともにスウェーデンに駐在し、機密情報の暗号化を手助けしていた。
夫は元ポーランド軍人のスパイと懇意になり、独ソ戦やヤルタ会談を早期に察知して、勝ち目のない戦争を止めるため本国へ情報を送りつづけた。
しかし夫の見解は、現実的でない弱気な意見と解釈され、無視されていく……


NHK総合で放映された1時間半の終戦スペシャルドラマ。ベートーベンの第九交響曲にのせて、故郷と戦線から遠く離れて無力感をかかえた夫婦の半生を映しだす。
http://www4.nhk.or.jp/yurikosan/
『ムーミン』の翻訳者が諜報活動に関係していたという豆知識は知っていたが、その詳細は知らなかった。だからこのドラマがどこまで史実なのかも判断できない。


とりあえずドラマとして興味深かったのは、遠くはなれた地域で俯瞰的に国際状況を見ていることを、俯瞰を多用したカメラアングルで表現していること。スウェーデンの古い町並みを何度も空撮し、小野寺夫婦がスウェーデンの住居に入る場面は階上からのぞきこみ、駐ドイツ大使と夫の論争ではハーケンクロイツをかかげた空間を無機的に見おろす。
いわゆるNHKの朝ドラのような物語だが、ロングショットを多用して、登場人物と距離をとっている。あくまでエリートの、しかし主流ではない独特の立場を、共感とも批判ともつかない独特の語り口で描いていた。


意外な良さとして、勝ち目のない戦争はやめるべきという思想の限界にも留意していた。
物語のなかば、日常を大切に思う百合子と、諜報活動を優先する夫が衝突する*1。家族とどちらを選ぶのかとせまる百合子に対して、懇意のスパイを選ぶと夫は宣言した。盗聴を防ぐために大音響で流れる歓喜の歌が、夫婦の断絶をきわだたせる。
国益に反するという思想では、勝ち目のある戦争を止めることができない。日中戦争などで侵略した問題にまでは踏みこまないものの、国益を優先するだけで良いのかという問いかけを、主人公の意見としてドラマにおりこめていた。
なお、懇意にしていた元ポーランド軍人は、貴重な情報源というだけでなく、夫の友人でもあった。ぎりぎりまで守ったことで、ヤルタ会談の情報をつかむことができた。
「百合子さんの絵本」♯15番外編:その後の小野寺夫婦の軌跡は? | 百合子さんの絵本~陸軍武官・小野寺夫婦の戦争~ | ドラマスタッフブログ|NHKドラマ

ドラマでは、イワノフがスウェーデンを脱出するまでしか描いていませんが、その後、彼はロンドンのポーランド亡命政府へと身を寄せる事になりました。信とは「ロンドンからも引き続き日本の為に情報を送り続ける」という約束をしていました。その約束通り、日本の戦争の帰趨に決定的な役割を果たす「ヤルタ密約」の情報が送られてきたのです…。

さらには外交の実利を超えた関係を、生涯にわたって結んだという。

戦後も何年か経って、小野寺信とイワノフの間で手紙のやりとりがなされるようになります。(その数は、百通近くにもなります) そして、昭和45年(1970)、大阪万博を見にイワノフが日本にやって来た時に、信とイワノフは再会を果たします。小野寺夫婦とイワノフ夫婦、日本料理店でおおいに語り合ったといいます。その4年後には、逆に小野寺夫婦がカナダのイワノフ家を訪ねました。家族ぐるみでの交際が終生続きました…。

夫もまた国益だけを重視していたわけではなかったのだ。


ドラマの脚本は『坂の上の雲』のドラマ化が印象深い池端俊策。過去には大河ドラマ『太平記』に参加していたが、巣鴨プリズンでさしいれた書籍にそれが入っていたのは楽屋オチだろうか。
ドラマはイワノフとの再会こそ描かなかったが、夫が戦犯容疑者として短期間収監されたり、百合子が焼け野原になった祖国を丘から見下ろしたり、無力感をつきつける場面がつづく。
そして結末において、当時の外交関係者がつどって、座談会が開かれる。スウェーデンから送られた情報がどのように無視されていったのか、本国の人間関係を夫は知らされていく。情報がなかったからと責任を感じていない周囲に対して、本当は情報があったのだと夫は意見するが、ここでもいなされてしまう。
誰も責任をとらず、耳に痛い情報は無視されてしまう社会。それが戦後もつづいたことを示してから、夫婦のドラマは静かに閉じられた。

*1:幼い子供の見ている前で暗殺がおこなわれた事件がきっかけのひとつ。平和な街路を舞台にした、いかにもスパイ物らしいそっけない殺人演出が上手かった。