法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

吉見義明『従軍慰安婦』にも書かれてある日本人慰安婦について、「さっぱりといってもいいくらい聞かない」「書いている本は少ない」と主張する人々

最低でも吉見義明『従軍慰安婦』くらい読もうよ - 法華狼の日記では、慰安婦制度に警察も関与していたという古くからある主張が、「新説」とされた例をとりあげた。
今回は、日本内地出身の慰安婦についてとりあげる。どうやら、慰安婦制度の被害は朝鮮半島出身者ばかりが主張しているという認識から、内地出身者の情報が大日本帝国の正当化に用いることができると思い違いをしているらしい。
しかし実際には、『従軍慰安婦』でも内地出身の慰安婦がとりあげられている。すでに15年以上前に発表された一般向けの新書であり、歴史学における従軍慰安婦問題の論説を代表する、いわば基本書である。歴史学の見解に反した主張を展開しようとしながら、15年以上も遅れた認識を持っていることを露呈するのは、さすがに不思議というしかない。薄い1冊の書籍さえ読めば、回避できる誤りなのにである。なぜなのか。


まず、下記エントリのコメント欄にて、「イタンキ浜」という名義の書き込みで、日本人慰安婦の情報を求められた。
そんなところで「散々指摘」されたという話をされても、なんというか困るよ - 法華狼の日記

イタンキ浜 2013/03/01 02:11

自分も朝鮮人の話はわりかしどうでもいいんで日本人慰安婦についてなにかネタありますか?この手の話でほ日本人慰安婦の問題はさっぱりといってもいいくらい聞かないんで。

hokke-ookami 2013/03/04 07:27

とりあえず基本書として、吉見義明『従軍慰安婦』を読むことをすすめますよ。たとえば各出身地ごとの差異を論じた88頁以降で記述されています。

具体的にいうと、「女性たちはどのように徴集されたか」*1という、各地域ごとの徴集事例をとりあげた章の1番目に、「日本人慰安婦の場合」という見出しで内地出身の慰安婦がとりあげられている*2。印象的な事例として、軍需会社から軍属として派遣された複数女性が、戦闘をへてルソン島へ残留した時、現地日本軍から面倒をみるかわりに慰安婦になることを持ちかけられた証言がある*3
また、直前には出身地域の比率を残された資料から論じており、もちろん日本内地出身の慰安婦も言及されている。そこでは朝鮮人が多いという資料を指摘しつつ、別資料から中国人の比率が高かった可能性も指摘している*4。


前後するが、「イタンキ浜」に続いて「慰安婦の収入」という名義で、「我が国の慰安婦について書いている本は少ない」と主張する文章が書き込まれた。
コメント欄には他にも連続して「慰安婦」「イタン婦の収入」「マタンキの浜ちゃん」といった名義の書き込みがあり、コメント内容からすると同一人物らしいのだが、何をしたいのかわからない。個人的にはIPアドレスを見たくはないので、とりあえず別名義は別人として応じたいのだが。

慰安婦の収入 2013/03/01 02:30

http://www.tamanegiya.com/nihonnjinnniannfu20.8.27.html
>朝鮮人の嘘つき戦時売春婦の証言?とやらが多いですが、人数では一番多かった我が国の慰安婦について書いている本は少ないです。


「あの当時で四千円近い借金があったの(葉書が二銭のころ)。芸者というのはお金がかかるのよ。着物一枚買うにも借金だし、踊りや三味線も習わなきゃならないでしょ。お座敷に出るときには島田に結うの。蕕つけだとか、元結、たて長など使うので、結う旅に一円近くかかってしまう。だから借金は増えるばかりだったわ」p一九
 「契約は一年半。略)働いたお金は四分六分で四分が自分のもの、略」帰国したときに、借金を返したあと一万円くらい残ったかしら」


朝鮮人売春婦のウソにも書きましたが、文玉珠という朝鮮人戦時売春婦は訴状では「慰安婦として働いて、【ビルマからタイに行くまでの間に】ためた一万五千円【正しくは約1万1000円】のうち五千円を【タイから】実家に送った」となっています。
 更に文玉珠は【タイで手に入れたものと思われる1万300円を含め】戦前の日本円で二万六千円【正しくは約1万7000円】の多額の貯金を持っていたことが明らかになり、一九九二年五月十二日の毎日新聞に、文玉珠の預金通帳についての記事が載っている。


(以下略

紹介されている最初の証言は、明らかに高額な借金によって拘束され、収入の多くを必要経費としてさしひかれている事例だ。それなのに、慰安婦が高収入だった証拠だとしか認識できないらしい。
転載された文章は、「酒たまねぎや」という飲み屋が、個人的に書いているもの。西村眞悟サイト等へリンクしているトップページからして、なかなか壮観なサイトである。
http://www.tamanegiya.com/index.html
さて、書き込みでは「(以下略」とは書いているが、断りなく中略もされている*5。

 その少ない日本人慰安婦について書いたものは私の手元にあるものでは、「従軍慰安婦・慶子」(千田夏光著 クラブハウス 二〇〇五年復刻 初版は光文社 一九八一年)、「慰安婦たちの太平洋戦争」(山田盟子著 光人社一九九一年刊)「続・慰安婦たちの太平洋戦争」(同 一九九二年刊)、「従軍慰安婦」(山田盟子著 光人社 一九九三年刊)、そして、「証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭」(広田和子著 人物往来社 一九七五年刊)です。
 このうち、今まで取り上げたことのある千田夏光氏と山田盟子氏の著書は他の「日本人は朝鮮人慰安婦にあやまれ」と騒いでいる連中が多く引用しておりますが、不思議とそれより以前に出された「証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭」はあまりそのような人たちから話題にされません。その「証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭」には貴重な日本人慰安婦の証言が本名と偽名でひとりずつ掲載されています。


 以下、その「証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭」より、芸者菊丸さん、本名山内馨子さん(大正一四年青森県生まれ)についてです。
 山内さんは、一〇歳のときに芸者置屋の仕込っ子として東京に売られ、一九四二年三月、満一八歳の時に、西小山で芸者をしているとき、置き屋の借金を肩代わりしてくれるということで、朋輩と二人でトラック島に渡る。

満18歳ということは、未成年だったということ。さらに10歳で売られたという部分など、慰安婦制度にとどまらない日本社会の問題が示されている。
「酒たまねぎや」ページからは、他にも「あたしは士官用だったから、お相手させていただいてる方々と同等の食事ができました」という証言や、「とにかく慰安婦のいるころはよかったですよ。いい時機に引き揚げましたよね」といった兵士の証言が紹介されており、菊丸証言で語られる比較的に安楽な慰安所環境は、おそらく特殊であったとうかがえる。
それなのに、「慰安婦の収入」は収入についてだけ恣意的に転載し、「酒たまねぎや」は自分が何を書いているのか自覚していないようだ。この心理の断絶こそ、従軍慰安婦問題が現在進行形の人権問題であるという、ひとつの証拠だ。


もちろん、『証言記録 従軍慰安婦・看護婦−戦場に生きた女の慟哭−』も、きっちり『従軍慰安婦』で言及されている。

hokke-ookami 2013/03/04 07:27

「それより以前に出された「証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭」はあまりそのような人たちから話題にされません」などと書いていますが、まさにイタンキ浜さんへ提示した『従軍慰安婦』の89頁で言及されているのです。そこでは、登場する証言者が未成年者であったことを指摘しています。

また、「酒たまねぎや」は「働いたお金は四分六分で四分が自分のもの、略」とだけ証言を紹介しているが、残り60%の収入が誰のものになったかも『従軍慰安婦』は指摘している*6。

軍慰安所は海軍直営だった。慰安婦は「特殊看護婦」と呼ばれ、軍属扱いだった。契約は一年半で、働いたお金は四割が自分のもの、六割が海軍のものとなり、死ねば靖国神社に入れてもらえるといわれたという。若い女性の愛国心を利用した動員であったといえようか。

*1:85頁。

*2:88〜92頁。

*3:91〜92頁。

*4:83〜84頁。

*5:以下、元ページの文字強調を排し、引用時に新たな強調をくわえた。

*6:89頁。