CAISSAC
おそらく「サイバネティクス」を刊行した直後あたりに、ウィーナはケヴェドの業績を発見しました。今から30年以上も前に、部分的とはいえチェスをプレイする機械が実在していたという事実は、研究者たちを多かれ少なかれ驚かせ、そして勇気づけたことでしょう。これこそ思考機械への最初の挑戦であるとして、ウィーナはアヘドレシスタを高く評価したそうです。
アヘドレシスタのプレイを見学するノーバート・ウィーナ (左)。このアヘドレシスタはレオナルドの息子ゴンザロ・ケヴェド (右) が1920年に製作した2代目で、磁石によって駒を動かすよりスマートな設計になっている。写真は1951年のもので "From Analytical Engine to Electronic Digital Computer: The Contributions of Ludgate, Torres, and Bush" (Brian Randell, 1982) [PDF] より引用した。 |
「サイバネティクス」出版から一年あまりのち、ウィーナの同僚だったクロード・シャノンは、「チェスをプレイするコンピュータのプログラミング」(Programming a Computer for Playing Chess) という論文を発表します。ターク、アシェレシスタ、ニモトロンといった過去のゲームマシンたちの意義を辿りながら、汎用コンピュータ時代のゲームプログラミングにおける指標を示したこの論文は、またゲーム研究が意思決定の必要な他の分野にも役立つはずだと指摘し、そこに学術的な正当性を与えようとしている点でも興味深いものといえます。 この論文の主要な関心は、ウィーナが提唱した評価値の要素をさらに掘り下げ、具体的に評価関数化することにありました。これはすぐにもプログラミングに応用できるものでしたが、チューリングのケースと同様に、やはりまだ汎用コンピュータそのものが存在していません。そこで彼は1950年ごろ、CAISSACと呼ばれるチェス専用コンピュータを組んでいます。このコンピュータがどういう仕組みでどのようなアルゴリズムを動作させていたのか、シャノンは詳細を一切公表しませんでした。ただいずれにせよ、チェスを完全にプレイすることはできず、最大6駒までの終盤ゲームにしか対応していませんでした。CAISSACは、いってみればさらなる複雑化を遂げたアシェレシスタだったわけです。おそらくは評価関数の挙動を確認するための実験機として製作されたのでしょう。 | 当時の高名なチェスプレイヤであるエドワード・ラスカ (左) にCAISSACを紹介するシャノン (右)。写真は「コンピュータチェス―世界チャンピオンへの挑戦」 (David Levy/Monty Newborn, 翻訳:飯田弘之/吉村信弘/乾伸雄/小谷善行, サイエンス社) より引用。CAISSACはおよそ150個のリレースイッチを使って組まれており、サイズは100x100x150cm。電磁石によって駒の位置を検知するが、自動で駒を移動させることはできない。縦横軸に配列されたランプの示す位置に、手を使って駒を移動してやる必要があった。 |
シャノンはその後も継続的にゲーム研究を行っており、1953年には「チェスプログラムは自分の失敗と成功を学習できるか?」という次なる課題に取り組んでいます。そしてこの研究のために、ジョン・マッカーシイとマーヴィン・ミンスキイというふたりの助手を雇いました。彼らはシャノンとの研究を経て人工知能という新しい学問分野を確立し、のちにはMIT第一世代ハッカーたちの育ての親ともいえる存在になっていくのです。「スペースウォー!」を手がけたスティーヴ・ラッセルもまた、マッカーシイの門下生でした。このシャノンから続く潮流に身を置いていなければ、彼もコンピュータをゲームマシンにしようというアイデアには辿り着かなかったかもしれません。
(続)