購読フィード数1000以下の人間を「フツー」と呼ぶのはもうやめよう

これはよくわかる。というか、私もRSSリーダーやソーシャルブックマークを回りに勧めて、誰も使わないので???となっている口だ。

そもそも、もう25年間もこういう業界にいるので、プログラマと「フツーの人」の常識の違いを思い知らされる経験については、相当なストックがある。

一番印象的だったのは、とあるネットワーク関連ソフトのサポートの人から聞いた話。ネットワークが関わるソフトは設定が難しくうまくつながらないことが多い。だから、サポートへの問合せも多くて、それなりに初心者の方への耐性もできている。

ところが、そのお客様のケースは状況が違った。まずコントロールパネルからネットワークの設定を開いて読みあげてもらうのだが、なぜかそれが表示されない。サポート担当者は、どうもドライバがインストールされてないようだと気がつき、「お客様はネットワークカードはどちらの製品をお使いですか」と聞いてみた。

この質問の意味が通じないことも、ある意味想定の範囲内なのだが、どうやってもそれを理解してもらえない。ここらあたりで「何かがいつもと違う」とサポート担当者は気がついたのだが、何が問題なのはわからない。

しばらく通じない話を続けて、やっとわかった結論は、なんと、そのお客様はネットワークカードを買ってないということだった。つまり、スタンドアローンのパソコンが二台並べて置いてあり、ソフトをインストールしたら、それだけでその両者がつながるものだと、そのお客様は考えていた。

申し訳ありませんが接続するにはネットワークカードとケーブルとハブが必要になりますと申し上げると、「だって、これ一本で他に何もなくてもつながります、と箱に書いてあるじゃないか」と、そうおっしゃったそうだ。

そりゃ確かにそれっぽいことは書いてあるけど、物理的につながってない二台のパソコンが、ソフトを入れただけでお互いに通信しはじめるというその発想に、さすがの百戦錬磨のサポート氏も絶句してしまったということだ。

あるいは、これを読んで「それくらいで絶句するようじゃとても百戦錬磨とは言えないな」と思っている人もいるかもしれない。

まあ、ともかく、RSSリーダーが「フツーの人」には難しすぎるということはよくわかる。

しかし、この問題、単純なITスキルによるデジタルデバイドという話ではないと思う。もちろん、そういう要素もあるけどそれだけではない。

実は、そのサポート担当氏の話には続きがあって、このお客様は、ネットワークカードを購入後、そのソフトを継続して使いはじめた。そして、その後も何度もサポートに問合せてきて、「困ったちゃん」というか要注意ユーザ的な扱いにされかけた。

ところが、そういう質問にひとつひとつ丁寧に応答していくうちに、その初心者ユーザ氏は、充分そのソフトを使いこなせるようになっていった。そして、パソコン全般について幅広く勉強され、むしろ、先進的な使用方法を思いついては、あまり他のユーザには使われない特殊な機能について質問してくるようになった。

いつの間にか、非常にスキルが高く、そのソフトを隅々まで活用されている貴重なユーザということになり、最後には、ベータ版を試してもらい意見を伺うユーザの一人になったと言う。

これはさすがに典型例とは言えないと思うけど、スキル不足、経験不足なんていうものは、本当に使う理由があれば、突破できるものです。

RSSリーダーが普及しなかった理由を3つ挙げろといわれれば、

1.存在を知らない

2.難しすぎる

3.消化するFEEDが存在しない

こんな感じでしょうか。

特に最後の3は重要だと思う。

500以上RSSを登録している人とかいるらしいですけど、フツーの人にはそもそも消化する情報が無いですよ。

だから、私も「消化するFEEDが存在しない」という理由が重要だと思う。

ここには、二つのデバイドが重なって存在していると見るべきだと思う。

  1. ITスキル、慣れ、ネットにかけられる時間等による分断
  2. 情報に対する認識、おおげさに言えば「世界観」についての分断

「(潜在的に)フィードを必要としているが現状それを扱う能力の無い人」と「そもそも、そんなものを欲しない人」がいるのだ。

仮に、1を「デジタルデバイド」、2を「マインドデバイド」と呼ぶとしたら、重要な亀裂は「マインドデバイド」にある。「デジタルデバイド」は「マインドデバイド」を覆い隠しているだけで、本質的な問題点は「マインドデバイド」の存在である。

「デジタルデバイド」については、サービス提供者の側の問題である。もちろん、これも日々進歩しているが、まだまだ「フツーの人」が使える段階には至ってない。これが簡単だと思ってしまうのは、技術者の慢心だと思う。

ただ、このエントリにあるように、そういう問題は、ちょっとしたきっかけで一気に解決するかもしれない。また、そうはならなくても、少しづつ広まっていくのは確実だ。

「デジタルデバイド」が解消されていくと、「マインドデバイド」の姿がハッキリ見えてくるだろう。

確かに、スキルと関係ない所に、もう一つ別のギャップが存在する。ネットによって、これだけ世界が広がって、いろいろな人間が見えてきて、いろいろな方法でアクセスできるのに、そこに全く興味を持たない人。それは、技術とかスキルとかには関係なくて、世界観、人間観の問題だと思う。

「名無しさん」たちを理解できるか、想像できるかどうかが問題なのです。それがなんとなくわかっている人は、あまりヘマをしないのです。それがわかってなくて、ダイレクトな人間関係と管理された技術しか思い浮かべられない人が、冒頭のような失敗をするのです。

ですから、一番重要なのは、「増殖を想像する力」であって、それは技術でなくて人間の理解に関することだと思います。知性というより感性の問題だと思います。

私は、情報流出に関わる問題について、似たような観点からこのように書いたことがあるが、「デジタルデバイド」に隠れた「マインドデバイド」というものが存在し、本当の問題は後者にあると思う。

それで、こちらの問題については、「フィードなんて必要ない」と言う人を「フツーの人」と呼ぶべきものなのかという疑問を持っている。

「フィードによって何ができるか理解できない人」は「フツーの人」だ。でも、それを理解できた時に、それでもそこに何も好奇心を持たない人は「フツー」と呼べないと私は考える。

フィードというのは情報だ。でも、それらの情報の反対側には人がいる。人間というものの多様性に気がついていれば、フィードの数だけ人間の持つ多様性、可能性にアクセスできるということの意味に驚き、思わずとても読めない程のフィードを購読し、パンクしてしまって仕方なく、それを管理する手段としてのRSSリーダーの活用法を覚えるというのが人情だろう。

それは人間としての基本であって、それが全く無い人を「フツー」と呼びたくはない。

だから、全ての人がキャズムを超えるのではなく、キャズムを超えてむこう側で新しい秩序を構成しその一部となる人と、そういうものと無縁のまま生きる人に分かれるのではないだろうか。

キャズムのこちら側の人から見ると、むこう側の人も同じ新陳代謝をする同じ人類に見えるし、同じ社会の一員で同じものを食べて同じ乗り物に乗り同じお金を使い同じ政治システムに支配されている。だから、どこをどう見ても同じ人間である。

でも、キャズムを渡った人には、全く新しい別のレベルの秩序が見えていて、彼らはそこで生きている。

人類全体に対するネットの普及率がある閾値を超えると、全ての人にキャズムを渡ってもらおうと無理しなくても、アーリーアダプターだけで相当な人数になり、そこに充分な複雑さが生まれ生態系が回るようになる。

その世界を認識できる人とできない人は、それぞれ別の世界に住むようになるかもしれない。

実は、このエントリは、英訳されGlobal Voices Onlineというサイトに転載された*1。

トラックバックをもらっただけなので、どういう意味で転載されたのかはわからないが、こういう問題意識は、外国の方にも多少の意味はあるのかもしれない。少なくとも、たくさんあるエントリの中からこれを選んだ方に、私は親しみを感じる。

個別の具体的な問題で、「デジタルデバイド」に関わる問題と「マインドデバイド」に関わる問題を峻別するのは困難だ。だから、「フィードリーダーを使わない奴は馬鹿」みたいな傲慢さは持たないようにしたいと思う。このエントリのタイトルは釣りであり*2依然として「フィードリーダを使わない人がフツーの人」であると今も考えている。

だけど、「デジタルデバイド」と全く関係ない「マインドデバイド」という問題も、総体としてはだんだん見えてきている。「マインドデバイド」の向こう側にいる人とは、別の世界に住むことになるけど、それも仕方ないかなと思う。

少なくとも私にとっては「フィードなんて必要ない」っていう人は「フツーの人」ではない。

そう言ってしまうと、「フツーの人」はすごく少数派になるのかもしれないけど、だんだん増えていくし海外にもたくさんいるし海外ではこれからもっと激しく増えていくのだから、まあいいかと思うのだ。

*1:英訳からさらに数カ国後に翻訳されたようだ。同サイトがそういうシステムになっているらしい

*2:そういう自分が今日でやっと1059になった所で、こういう人ã‚„こういう人が異常に見える