シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

なにが「舶来品信仰」だか

一応、目を通す「WIRED VISION」。ふと、コラムを覗くとまたトンデモのかほりが…。


『舶来品信仰』と温暖化問題〜COP13の問題点を読み解く

http://wiredvision.jp/blog/ishii/200712/200712131100.html


はっきり云って、内容はくだらない、というかバカだ。
ちといじくり倒す。

冷静に考えてみます。温室効果ガスの中心はCO2で、これは化石燃料の消費と密接に絡みます。COP13での提案は、「あと10年程度で、エネルギー消費を最大4割減らそう」ということです。これはどんな意味を持つのか、想像をめぐらせてみましょう。

 やや雑ですが、議論の目安になる数字を試算します。日本の国内総生産(GDP)は2006年度、511兆円でした。日本がGDPの4割分である200兆円の富を生むことを断念すれば、おそらく温室効果ガスを4割減らせます。

いや、雑どころじゃなくて、無意味な前提だから。GDPのカウントする内容を考えれば、エネルギー消費がダイレクトに反映する、なんて事はありえんだろ?本当に記者だったの?
雑すぎるので、次のような不可思議な話を持ち出す。

個人の生活で影響を考えてみましょう。総務省の調査によれば、日本人のテレビの視聴時間は平日で1日3時間47分です(注1)。全国民が、その4割分の1時間半のテレビをみないようにすれば、ガス削減の一助になるかもしれません。

以前紹介したが、1990年段階での電力総需要は現在の6割以下。でも、少なくともバブル景気を覚えている世代以上が、当時がガマンの時代だったとは考えないだろ?本当に大丈夫か、コイツ。
ついでに書いておけば、一般人の生活によるCO2排出削減なんて、実際はたかが知れてるのよ。
だからこそ、
・社会構造の見直し
・産業構造へ手を加える事
が欠かせないわけだ。

食料の生産にはエネルギーが必要になります。それに使われるエネルギーを減らすには、食べなければいいのです。日本人のエネルギー摂取量は2000〜 2200キロカロリーですから、1日4杯のご飯(1杯200キロカロリー)を食べなければ、エネルギー摂取を4割減らせ、CO2削減に貢献できるでしょう。

あのな、食料生産手段にも依るんだよ。しかも、流通にも大きく依存する。「海外」で「大規模農業」で作り出す食料を「運輸」すれば、大量にCO2が排出される。
だが、「消費地近郊」で「小規模農業」で生産、つまり「地産地消」では、大きく削減できるの。
「フードマイレージ」とか「ヴァーチャル・ウォーター」なんて、環境関係では常識的な言葉のはずなんだが。

もちろん、経済の自損行為はおろかなことですし、自らの生活を犠牲にした削減策に、大半の人が拒絶反応を示すはずです。「25〜40%の削減」は、これほどまでに大きな影響を与えるのです。

前提が間違っているし、結論も間違っている。IPCCで再三云われていることは、「今、手を打たなければ、将来のツケがでかくなる」ということ。
やらなければ、さらに「大きな影響を与えるのです」。

さらに、「1990年からの削減」という基準年の設定も、おかしなことです。なぜ2000年ではなく1990年なのか。この年を境にEU(欧州連合)の加盟国である東欧諸国のCO2が、社会主義政権崩壊の混乱で大きく減り、それで生まれた余剰排出権を手に入れられるためです。

大丈夫かな?この人。COP3の「京都議定書」でも、すでに1990年を基準に排出量を決めているだろう?COP3いつやったと思ってんの。だいたい、東欧諸国、であるハンガリーの排出権、どこが手に入れたかくらい知ってるだろうに。

温室効果ガスを削減することは、先進国の人々が自らの生活を変える覚悟が必要です。私は個人的な意見として、温暖化防止活動のために、ある程度の規制や生活の制約はやむをえないと考えています。しかし、それは日本から遠く離れた外国で、各国の政治家による国際会議で決めるものでも、また霞ヶ関の官僚たちが決めるものでもありません。また日本一国が他国に比べて、公平性のないまま過度な負担を受ける必要もありません。

 日本国内での温室効果ガスの削減方法は、私たち日本国民が負担を直視した上で、自主的に決めるべきものです。

でたー!「自主的」決定! 
じゃあ、例えば、国の歳出削減や税論議に関して、“私たち日本国民が負担を直視した上で、自主的に決めるべきもの”なんて、この人云いますかね?
前提となる状況把握がこのていたらくで、キチンとした選択肢も示せないくせに、云う言葉が「国民の自主的決定」。都合の良い言葉があるものです。

しかし、温暖化問題をめぐる国際交渉の現実は、なかなか日本で紹介されません。新聞やメディアの温暖化問題をめぐる社説・論説を、こうした問題点を前提に読んでみましょう。「努力をしよう」とか「国際交渉を主導するべきだ」とか、一見すると「もっとも」な主張が並びます。しかし、「負担」を真剣に考えてはいないものばかりです。そして、なぜか国連の取り決めを「正しい」と無批判に受け入れています。

なんで、そんな話になりますかね。「日本国民」が知らなきゃならない「現実」って、単に駆け引き状況に留まるわけ?気候変動の現実、こそが知らなきゃならない事じゃないの?で、それに対して、どのような選択が取れるのか示すのが、一応は雁首揃えた面々の仕事でしょうが。

「国際協調主義」、「人類共通の利益」など美しい言葉を信じて日本人は行動したところ、なぜか損をする形になっていた――。残念ながら、明治維新以来の日本の近現代史を振り返ると、こんなことが頻繁に起こります。今また、温暖化問題と温室効果がスの削減で、同じことが起こるのでしょうか。

おーい、これは冗談で書いているの?むしろ、日本の近現代史を振り返れば、「国際協調主義」、「人類共通の利益」に“背を向けた”ところから、丸損する形になっていたんでしょうが。
アジア各地の植民地化や軍備削減に関しても、「他国に比べて不利」だとか、「交渉の場で日本が押し切られようとしている」なんて感じで煮えていったんでしょ?戦前の空気、てヤツは。


・ロンドン海軍条約(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E7%B8%AE%E4%BC%9A%E8%AD%B0


・リットン調査団(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%9B%A3

外国で決まったルールが日本人にとって、正しいものになるとは限りません。

いや、悪いけど、本気でこんなこと吐いているなら、ネトウヨと同レベルだよ。ホント。


少し、真面目な内容について書けば、もちろん経済活動はエネルギー消費を伴うわけで、当然CO2削減は影響が出てくる。
ただし、
・社会的構造の変化=(街をコンパクトにまとめる=コンパクトシティー化)
・産業構造の変化=三次産業などへのシフトを進める
・エネルギー効率を上げる(テクノロジーとテクニック)
・ライフスタイルを変える=(スローライフ)
という形で生活を貧しくせずに減らしていくことは可能な水準なのよ。
で、その変化自体、すでに目の利く連中は「ビジネスチャンス」として捉えている。
例を挙げれば、排出権取引なども挙げられるが、グリーン投資なんてのもある。
すでに動き始めている中で、この後ろ向きさ加減は間が抜けているようにしか見えない。
むしろ、主導権を取りたいなら、積極的に目標を先取りするくらいのアジェンダを設定しないと。
で、ドイツはすでに手を打ち始めているわけ。


北極海で顔でも洗って出直しな。