現在の遠野風の丘が建設される前は、鬱蒼とした森だった。そしてその前の道路では、よく頻繁に事故が起きていたので、地域では何かあるのではないかと思われていた。その森が伐採され、いつしか遠野風の丘が建設された。その基礎工事の中、おびただしい人骨が発見された。簡単に処分できないので、その現場から一番近い綾織の曹洞宗である長松寺に、その骨が持ち込まれてまとめて供養された。その当時の住職は、加藤秀山和尚。飲兵衛で、女好きの和尚だった。
ところでその発見された人骨だが、そのあたり一帯は宮の目の処刑場と呼ばれる場所であった。文献には処刑場の名前は載っているが、詳しい場所は不明であった。その事から、恐らく宮の目の処刑場で処刑された罪人が埋められた地であったと思われる。