遠野の南の町外れであり、上郷町の来内との間に、遠野ダムがある。現在は、遠野第二ダムが完成した為に遠野第一ダムともいうが、古くは来内ダムとも呼ばれていた。その遠野第一ダムである来内ダムの着工が昭和28年。そのダムが建設される位置から下流域一帯が、ダム建設予定地になっていた。その下流域に栃洞と呼ばれる地がある。そこから、おびただしい人骨が発見された。恐らくだが昔、ダムが建った辺りを"ケッコロガシ沢"と呼ばれた処刑場であった。処刑は夜に行われ、刀で切られ崖下に蹴落とされた事から"ケッコロガシ沢"と呼ばれるようになった。その罪人が埋葬されたのが、栃洞ではなかっただろうか。そして今の遠野第一ダムを渡った山の斜面に、処刑された罪人たちの供養碑が一基建っている。