親爺の昭和16年のアルバムに、柔道の試合をしている一枚の写真が貼ってあった。遠野旧制中学の柔道部の主将だった親父が感激した事とは、三船十段に稽古を付けて貰った事だったと言っていたのを思い出した。親爺の出生地は元々遠野では無く、三船十段と同じ久慈市だった。その久慈市の講道館に所属し、3段の段位まで修得していたが、その久慈市にいた時に三船十段に稽古を付けて貰ったのだろう。写真で巴投げをしているのが親爺で、投げられているのが、恐らく三船十段ではなかろうか。
三船十段の動画を観ると、相手の攻撃を受けながら身軽にかわしているのがよくわかる。巴投げに投げられている写真も、恐らく投げられながらも空中で反転して受け身を取ってかわしているのだと思うが、その途中を切り取った写真だろう。また、その時代のカメラであるから、初めから巴投げを行うと予告しての撮影だったと思われる。
武術として、柔道と剣道は盛んだった。遠野の町にも八木道場という柔道の道場があったが、いつしかそれも無くなってしまったのは、少子化の影響が大きいのだろう。子供が減れば、その選択肢も減る。そういう中で、プロの道も続く人気の野球とサッカーに子供達が集中してしまうのは仕方ないのだろう。しかし遠野では柔道は廃れてしまったが、剣道だけはどうにか存続している。いつか再び、柔道熱が復活する時が来るのであろうか?
親爺のアルバムの昭和16年という年は、日本がアメリカの真珠湾攻撃をして太平洋戦争が開始された年でもある。アルバムには、軍服姿の写真が多数あった。またグライダーを練習していたのだろう。遠野旧姓中学校の校庭に置かれているグライダーの写真が目に付いたものだった。