貝塚市とは、大阪府泉南地域に位置する都市である。隣に大阪府岸和田市、泉佐野市、熊取町を持ち、和泉山脈を経て和歌山県紀ノ川市にも隣接している。
浄土真宗本願寺派の寺院である願泉寺(重要文化財)をはじめ、浄土宗の寺院である孝恩寺(寺院に存在する釘無堂が国宝)、天台宗の別格本山とされる水間寺など数多くの仏教施設や史跡が存在し、寺内町として発展した経緯から、歴史色、仏教色の強い都市である。特に願泉寺の市への浸透は大きく、住職である卜半氏が願泉寺住職、貝塚寺内町領主として250年近くに渡って統治したこともあり、「卜半さん(ぼっかんさん)」という別称が残っている。
また東洋の魔女と呼ばれた日本女子バレーボールチームの本拠地でもあった。最近では海側の二色浜団地の開発が進んでおり、山側でも一定の都市開発が行われている。海側では大阪中心部から最も近いとされる二色浜海水浴場、山側には府立少年自然の家があるなど、アウトドア色も強い。
なお、ニコニコ的には某大物Youtuberの聖地としての知名度が高く、語れることが多い。
もともとは「貝塚」ではなく「海塚(かいづか)」と表記されていた。現在は「海塚(うみづか)」とされる市一部の地名における名残りとなっている。名前が変わったのは16世紀中盤~末頃とされており、当時大坂(のちに大阪)では石山本願寺に割拠する浄土真宗本願寺派が大きな勢力を誇っていた。本願寺派の当時の宗主であった証如が、紀州根来寺より卜半斎了珍という人物を住職として招き、寺院を再興し一大拠点とした。これが現在の願泉寺である。願泉寺の繁栄に伴い浄土真宗本願寺派の強い影響下に置かれた寺内町となり、その時に「貝塚」となった。
その経緯上、願泉寺を含む貝塚では本願寺派や根来衆、あるいは雑賀衆との結びつきが強く、証如の子である顕如の代になって、浄土真宗本願寺派と時の権力者である織田信長が対立すると、本願寺派に味方して頑強に抵抗した。そのため織田信長の焼き討ちにあい、1577年に全焼したとされる。本願寺派の顕如が信長との和睦を受諾すると、織田信長の庇護の下再建され、信長の後、豊臣秀吉や徳川家康とも昵懇な関係を築き、街は保護された。また顕如の信頼も厚く、石山本願寺退去後に一度ここを拠点にしており、往時は「貝塚本願寺」と呼ばれた。のちに本願寺派は東西に分裂したが、明治時代まで願泉寺は東西両属であったという。
明治時代になると町村制の導入で願泉寺を中心とする寺内町付近が貝塚町として発足し、1943年市制導入で貝塚市となった。平成の大合併では隣接する岸和田市との合併(吸収)が囁かれたが、立ち消えとなっている。
海側を南海電鉄、山側を阪和線が通行している。また海側から山側にかけて水間鉄道が走っており、南海電鉄と水間鉄道が貝塚駅で接続している。そのため南海電鉄貝塚駅では速達列車(急行、空港急行など)が停車し、市民における中心拠点とされている。その他の駅としては南海電鉄二色浜駅、阪和線東貝塚駅、和泉橋本駅があり、それぞれ難波駅、関西空港駅、和歌山市駅、天王寺駅、和歌山駅などへのアクセスを容易としている。水間鉄道は全線に渡って貝塚市に存在するため、貝塚駅(南海電鉄と接続)、貝塚市役所前駅、近義の里駅、石才駅、清児駅、名越駅、森駅、三ツ松駅、三ケ山口駅、水間観音駅がある。
鉄道以外では市が運営するは~もに~ばすなどがある。海側は二色浜団地、山側は蕎原集落までを包括している。水間鉄道の水間観音駅よりさらに山側へと進んだ場所への利用が見込まれている。
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最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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