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ヒガシボウジョウトキナガ
東坊城聡長とは江戸時代後期の公卿である。
寛政11年(1799年)12月26日、五条為徳の三男に生まれ、のち東坊城尚長(なおなが)の養子になる。東坊城家は菅原氏を祖に持つ五条家庶流で、家格は半家に属す。
仁孝天皇・孝明天皇の2代に渡って儒学の講義を務め、学習院創設に携わる。のち学頭兼奉行、議奏に任じられる。
嘉永7年(1854年)、武家伝奏に就任。
安政5年(1858年)、通商条約の勅許を得るため上京した堀田正睦との交渉を行うが、幕府寄りの姿勢を見せたとして攘夷派の非難を受け、同年3月に武家伝奏を罷免。翌安政6年(1859年)には永蟄居の処分を受ける。
文久元年(1861年)11月9日死去。享年63。死後罪を免じられた。
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提供: こよみ。
最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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