「木曽義昌」(きそ・よしまさ 1540~1595)とは、戦国時代の武将。「木曾義昌」
源義仲で有名な木曽源氏の嫡流。
武田家に仕えて活躍し、武田家滅亡後は木曽家の存続を図った。
武田信玄の侵攻を受けた父が降伏すると、木曽義昌は武田信玄の娘真理姫の婿になり、武田家に従った。
義昌は木曽勢を率いて飛騨や美濃東部の戦いで活躍。
後に織田家へ寝返り、武田家を滅ぼした。
本能寺の変後は自立したが、豊臣秀吉の命令で下総国に領地を移され、故郷の木曽谷を失った。
木曽家は平安時代に活躍した源義仲の子孫。
※ただし他所から来た領主が勝手に子孫を称したとも。あるいは源氏親族と縁組して血統を取り込んだか。
木曾家は義昌の曽祖父と祖父の代には木曽谷を統一して飛騨国にも勢力を拡大し、父の義康は敵対していた小笠原家と同盟して背後を固めるなど順風満帆だった。
ところが信濃国へ攻め込んだ武田信玄が木曽領にも侵攻。木曽義康は抗戦の末に降伏して妻と娘を人質に出した。
武田信玄は娘の真理姫を義昌に嫁がせ、監視者を木曽家の家臣団に送り込んだ。
木曽義昌は父と共に武田軍の合戦に参加し、飛騨への侵攻作戦で活躍した。
さらに武田信玄は木曽家を介して美濃東部の有力者である遠山家を武田家に従属させた。
やがて織田信長が美濃を奪取すると、遠山家は織田家に従った。
武田家と織田家の関係は良好だったが、後に決裂。
これにより木曽家と遠山家は10年を超える死闘を繰り広げることになった。
木曽義昌は美濃東部の攻略に参加してこの時も活躍。
この頃、義昌の娘(武田信玄の孫)は美濃に領地を与えられた。
信玄没後は武田勝頼に仕えて戦い続けた。
1575年の長篠合戦で武田軍が敗北すると、織田軍は美濃東部へ攻め込み同地を奪還。
飛騨の国人衆の大半も織田家に味方したので、木曽谷は織田家に対する最前線となった。
木曽義昌は逆に美濃東部への侵攻を繰り返すことで木曾谷を戦禍から守り、美濃では織田家に従う遠山家の軍勢を度々撃破した。
しかし占領地を維持できる兵力はなく、後方攪乱を続けた。
木曽義昌の活躍により武田家は徳川家や北条家との戦いに専念し、越中の反織田勢力への支援を続けることもできた。
1582年、義昌は宿敵だった遠山友忠から調略を受けて武田家と断交し、弟の上松義豊を織田家へ人質に送った。
報告を受けた武田勝頼は義昌の寝返りを信じようとせず木曽家に使者を送ったが、義昌に追い返された。
木曽谷へ侵攻した武田軍を義昌は二度も撃退し、さらに織田軍の来援を仰いで武田家を滅亡させた。
木曽家は戦後に安曇郡と筑摩郡を加増され、領地は信濃西部から北西部・中央部まで拡大した。
旧武田領に配置された織田家の諸将を支援し、彼らと織田家の本拠地を結ぶ重要な役割を義昌は任されたことになる。
織田信長は寝返りの功績だけでなく木曽義昌の力量も高く評価していたのかもしれない。
武田家滅亡に際して、甲斐で人質になっていた義昌の老母(または乳母)と側室、長男千太郎、娘(または妹の岩姫)は武田家に処刑された。
真理姫は義昌と離縁し、幼い末子を連れて木曽谷で隠棲した。
1582年、本能寺の変が起こると武田家の旧領で騒乱が広がり、周辺の大勢力が信濃へ侵攻を始めた。
さらに武田家や織田家に排除された領主たちが信濃へ帰還し挙兵した。
木曽義昌は領地を守るために奔走した。
織田家の森長可や滝川一益が領地を捨てて木曽領へ来ると、義昌は彼らが預かる信濃国人衆の人質を受け取り、領内の通過を認めた。
(この時、森長可に次男を人質に取られて脅されたという逸話や、森が美濃へ帰還することを嫌がった遠山家から森の殺害を依頼されたという逸話がある)
1582年6月、上杉家の支援を受けた小笠原家に深志城を奪われた。
7月、北条家の大軍が信濃へ侵攻。義昌は北条家に従属したが、翌月には徳川家へ寝返り、家康に木曽家の領地安堵を約束させた。
2年後の小牧長久手の戦いでは羽柴秀吉に味方して三男を人質に送り、木曽領へ侵攻した徳川軍を撃退した。
木曾家は真田家や小笠原家と共に信濃で徳川家を圧迫した。
しかし翌1585年末に大規模な地震が発生(天正地震)、近畿・北陸・濃尾地方を襲った。
この地震で秀吉の勢力圏は大打撃を受けた。信濃の隣国飛騨と美濃も被害が大きかった。一方、東海地方では三河以東の被害はほとんどなく、徳川家の国力は損なわれなかった。
この地震の後から秀吉は徳川家への態度を一変させ、徳川家から離反して秀吉に味方した木曾家、真田家、小笠原家を徳川家の与力大名扱いした。
その後も信濃の諸大名は秀吉の都合に振り回された。
※秀吉が真田昌幸を「表裏比興」と非難したのは上記が理由とされる。
1590年、秀吉は関東の北条家を滅ぼし、その後に諸大名の大規模な領地替えを行った。木曽家は信濃から下総国阿知戸(現在の千葉県旭市網戸)へ領地を移された。
石高を大幅に削られた上に、大勢力となった徳川家のすぐ隣という、木曽家にとっては最悪の処置だった。
木曽谷は豊臣家の直轄領になった。
木曽谷は中山道の要地であり、さらに豊富な森林資源を維持していた。
※秀吉は若狭(日本海の玄関)や尾張(伊勢湾・東海道への入口)など交通の要衝には直轄領を設定したり親族や腹心を領主として送り込んだ。
また戦国時代は木材が大量消費された時代であり、森林資源の激しい争奪が行われた。過剰な伐採・採集を規制することで森林資源の枯渇(最終的には禿山となる)やそれに伴う災害を防ぐのは領主の重要な務めであり、木曾家もその役割を担った。
※木曾谷を没収するための口実だったかもしれないが、秀吉は木曽家を徳川家の与力大名として扱い続けたとみられる。
真田家の場合は、北条領への侵攻を繰り返したことで秀吉が北条家を攻撃する口実作りに貢献したことが、秀吉から評価されたのだろう。
小笠原家は下総国古河へ転封されており、その点では木曽家と同じ扱いだが、古河は交通の要地で阿知戸より豊かな土地だった。
小牧長久手の戦いの前後に真田家や小笠原家が秀吉に味方したことにより、木曽家は北条家や徳川家から圧力を受けずに済んだ。しかし逆に徳川北条を攻撃して秀吉に功績を認められる機会を失ったのかもしれない。
阿知戸は当時湿原が多く貧しい土地だったが、義昌はめげずに城下町や道路の整備、灌漑工事、田畑の開拓事業を推進した。
1593年、木曽谷から僧侶を招いて領内に東漸寺を建立し、木曽家の菩提寺にした。
その2年後に義昌は病没し、故郷の木曽谷ではなく阿知戸領内の湖に水葬された。
義昌は名君として阿知戸の領民に業績を語り継がれた。
千葉県旭市の名称は、義昌の先祖である源義仲が旭将軍と呼ばれたことに因む。
また義昌の家族は後日、木曽谷で保護を受けたという逸話があり、こちらでも人望があったようである。
木曽家は1600年に改易された。
跡を継いだ次男の義利が暗愚で叔父を殺した為とされるが、気遣いのできる人物だったという逸話もある。
他には木曽家は源氏の名門だったので徳川家にとって目障りだったという説、天下人となって遠慮する必要がなくなった家康から小牧長久手の折の報復をされたという説がある。
また江戸時代初期の大名の御家騒動は、徳川家との関係改善の役割を担った親族や重臣が影響力を持ちすぎて当主権力や他の家臣の立場を脅かしたことから内紛に発展した例が多く、木曽家でも同じ事が起きていたのかもしれない。
義昌の三男は豊臣家に仕え続けて大坂の陣で戦死。
四男は母の真理姫と共に隠棲してその後の動向は不明。
娘たちは諸大名に嫁いだ。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝 | 戦闘 | 52 | 政治 | 63 | 魅力 | 78 | 野望 | 73 | ||||||
武将風雲録 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | 70 | 戦闘 | 60 | 智謀 | 52 | 政治 | 64 | 野望 | 66 | ||||
天翔記 | 戦才 | 124(B) | 智才 | 110(B) | 政才 | 138(B) | 魅力 | 70 | 野望 | 67 | ||||
将星録 | 戦闘 | 57 | 智謀 | 70 | 政治 | 75 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 49 | 戦闘 | 46 | 智謀 | 62 | 政治 | 64 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 40 | 智謀 | 52 | 政治 | 49 | 野望 | 38 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 57 | 知略 | 61 | 政治 | 47 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 54 | 知略 | 54 | 政治 | 46 | 教養 | 49 | ||||||
革新 | 統率 | 61 | 武勇 | 60 | 知略 | 63 | 政治 | 52 | ||||||
天道 | 統率 | 61 | 武勇 | 60 | 知略 | 63 | 政治 | 52 | ||||||
創造 | 統率 | 58 | 武勇 | 60 | 知略 | 63 | 政治 | 52 |
掲示板
15 ななしのよっしん
2022/01/23(日) 11:22:56 ID: Bbj1L7yFkJ
結局は長篠の戦いの後秋山虎繁を見捨てる形になった
木曽義昌だが、武田勝頼が信長に対して攻勢だった
ころから連戦による重税に不満タラタラだったとかは
ありえないか?
16 ななしのよっしん
2024/01/21(日) 14:08:10 ID: KGENyKYASF
旭市の名前の由来がこの人だとは知らなかった
旭市のホームページにもしっかり書かれてるね
17 ななしのよっしん
2024/08/07(水) 18:18:23 ID: IUnIEh2N3f
木曽谷没収されたのは秀吉が欲したのもあるだろうけど、しょっちゅう裏切るような真似してれば秀吉からしてみればそりゃ信用されんわ
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/23(月) 20:00
最終更新:2024/12/23(月) 20:00
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